行政書士・ファイナンシャルプランナーをしながら男女問題研究家としてトラブル相談を受けている露木幸彦さん。今回は、妻ががんの闘病中にもかかわらず夫が不倫したトラブル事例を紹介します。(後編)

※写真はイメージ

 15歳の息子を持つ松島志保さんは人間ドックで子宮がんが見つかり、抗がん剤治療を始めた。しかし志保さんの夫は会社の後輩女性と不倫関係にあり、妻の闘病をサポートすることは全くないまま、海外赴任から帰国すると別宅を借りて不倫相手と同棲を開始。志保さんが不倫を咎(とが)めると、夫は「もう我慢しないって決めたんだ。お前たちに縛られたくない」と言い放ち、同棲を継続。志保さんは絶望し、抗がん剤治療をやめることを決意したが、夫からさらなる追い討ちが──。

(前編はこちら)

<家族構成と登場人物、属性(すべて仮名)>
妻:松島志保(相談時40歳、享年41歳)広告デザイナー(年収400万円)
夫:松島雅也(相談時43歳、現在44歳)CGディレクター(年収900万円)
長男:松島湊(相談時15歳、現在16歳)中学生⇒高校生
妻の実母:大村志乃(相談時62歳、現在63歳)保険代理店経営

「彼女と一緒になりたいから離婚してほしい」

 裁判所から志保さんのもとに手紙が届いたそうです。志保さんは手紙を開封するとビックリして激しいめまいに襲われ、さらに過呼吸を引き起こして、その場にひっくり返ってしまったそうです。

 手紙の件名は「離婚調停の申立」で、差出人は家庭裁判所。夫は彼女との同棲だけでは満足せず、志保さんと離婚すべく裁判所へ調停を申し立てたのです。さらに、

《彼女と一緒になりたいから離婚してほしい。湊(みなと)から聞いているよ。お前はボロボロだって。安心しなよ。湊はこっちで育てるからさ》

 とメールを送ってきたのです。

「今にも死にそうで役立たずの妻は用なし! まだ若くて健康、そして長生きできそうな女へ乗り換えたい!」

 そう夫から自分の存在を全否定されたと受け取った志保さんは、あまりのショックで病気が悪化しても不思議ではありませんでした。闘病中の妻を“ポイ捨て”するのに何の躊躇(ちゅうちょ)もない夫を目の当たりにして、志保さんが平常心を保つのはとうてい、無理なこと。怒りに打ち震えつつ、筆者の元へ相談にやってきたのです。

志保さんが亡くなった場合、息子の親権は?

 ところで、がんの経験から得られるものを「キャンサーギフト」といいます。例えば、精神的な強さや前向きな価値観、そして闘病を通じて知り合った友人などですが、志保さんの場合は離婚でした。これは、がんのおかげで得たものではなく、がんのせいで失ったものなので、もはやギフトとは反対の代物でした。志保さんは病院で日常生活に戻ることができたがん患者に出会うたび、虚しい気持ちに支配され、激しく落ち込み、心身ともにむしばまれていったのです。

「動けるうちにどこに行こうかしら」
「会いたい人には会っておかないとね」
「半年後にはホスピスかもね」

 夫に離婚を切り出されてから、そんなふうに志保さんは弱音をこぼすことが増えていったのですが、筆者が最も心配していたのは「もしも志保さんが亡くなった場合、息子さんはどうなるのか」です。死の恐怖に直面している志保さんに向かって、「もし死んでしまったら」という後ろ向きな言葉、そして最悪のタラレバは伝えたくはなかったのですが、息子さんの将来を考えると見過ごすわけにはいきません。

「万が一のとき、このままでは(離婚せずに婚姻関係を続けると)息子さんは旦那さんのところへ連れて行かれますよ」

 筆者は心を鬼にして志保さんへ言葉を投げかけました。日本の制度では結婚している間、夫と妻のどちらも親権を持っています。しかし、夫婦が離婚すると片方が親権を失います(=単独親権)。離婚せずに志保さんが亡くなった場合、親権者は夫しかいないので、夫が息子さんを引き取りますが、本当に大丈夫なのでしょうか?

 闘病中の妻を追い詰めるために手段を選ばない非情すぎる夫。そして同じ女性なのに子宮がんを患った妻に気兼ねせず不倫に興じる女……。息子さんはうすうす、父親の裏切りに勘づいているので、万が一のことがあれば、息子さんは父と愛人を「母の仇(かたき)」だと思うでしょう。とはいえ夫に引き取られた場合、夫の経済力、女の家事力に頼らなければならないので息子さんは無力感に苛まれるでしょうし、同じ空気を吸うのは吐き気がするはずです。

息子を守るため、夫からの離婚要求に応じる

 筆者は志保さんにこう言いました。

「相手の女は“自分の息子として育てていくんだから、頑張ろう”と思うでしょうか? 想像してみてください」

 もし不倫相手の女が離婚ではなく死別で「妻の座」を手に入れた場合、何の責任もとらずに済むので、「不倫略奪」に対して反省など微塵もしないでしょう。そもそも女にとって息子さんは「本妻の子」。息子さんから志保さんの面影を感じるたびに不快感が伴うので、邪魔な存在に感じるはず。そのため、女が継母となれば息子さんをいじめる可能性が高く、「生き地獄」のような日々が待っています。

 志保さんが「息子を夫に渡したくないです! 母に任せたいと思っています」と言うので、筆者は息子さんを守るため、夫からの離婚要求に応じてはどうかと諭したのです。

 夫は息子さんの親権を要求し《湊はこっちで育てるからさ》とメールしてきましたが、別居する段階で豪語していた「お前たちに縛られたくない」という言葉と相反します。本当に息子さんを引き取って育てようという気持ちはなく、「妻の言いなりになりたくない」と思って口を滑らせただけ、ということは明らかでした。

 実際に「夫の不倫」で離婚するのなら当然、慰謝料が発生します。しかし、志保さんは慰謝料より息子さんのほうが大事なので、離婚に応じるだけでなく慰謝料も請求しないことを伝えると、夫が署名済の離婚届を送りつけてきたそうです。親権者の欄には何も書かれていなかったので、志保さんは親権者を「母親」の欄に書き、市役所へ提出したのです。

公正証書遺言で息子の「未成年後見人」を指定

 離婚してから志保さんが亡くなった場合はどうなるのでしょうか? 息子さんを引き取る人のことを『未成年後見人』といいますが、今回の場合、未成年後見人の候補は夫と志保さんの母親です。

 筆者は志保さんの注意を喚起しました。

「離婚するだけでは不十分です。離婚して旦那さんが親権を失っても、息子さんの父親であることに変わりはありません。裁判所が今回の事情を知らなければ、後見人を夫に指定する可能性もゼロではありませんよ」

 実際、残された遺族(志保さんの母親)が夫の悪行の数々を証明できるかどうか定かではありません。そのため、志保さんは離婚するだけでなく、誰を「後見人」にするのかを指定する必要があります。離婚して唯一の親権者になれば、志保さんの一存で後見人を指定することが可能になります(民法839条1頁)。

 筆者は『公正証書遺言』という形で残すことをすすめました。志保さんの希望を正式な形で書面化しておけば、裁判所が志保さんの意志を尊重してくれる可能性は高まります。もちろん、志保さんが夫ではなく母親を選んだことを知れば、夫は激怒するでしょう。しかし、証人を立てて後見人を指定するこの遺言は志保さんひとりで作ることが可能なので、夫に協力してもらう必要はありません。具体的な文面は以下のとおりですが、公正証書の原本は母親に預け、しかるべきときのために使ってほしいと託したのです。

  ◇   ◇   ◇  

参考)公正証書遺言の書式

公正証書遺言

本職は遺言者・松島志保の嘱託により、証人・◯◯◯◯、◯◯◯◯の立会の上、次の遺言の趣旨の口述を筆記しこの証書を作成する。

遺言者は未成年の子、松島湊(2003年5月10日生まれ)が成人する前に遺言者が亡くなった場合、大村志乃(◯◯県◯◯市◯◯3-4-20)を後見人に指定する。

2018年12月27日

住所 △△県△△市△△3-8-12 Aマンション603

名前 松島志保          印

上記遺言者は本職と面識がないので、法定の印鑑証明書をもって、人違いでないことを証明させた。

上記遺言者及び証人に読み聞かせたところ、各自筆記が正確なことを承諾し、以下にそれぞれ署名捺印する。

遺言者 松島志保
証人 ◯◯◯◯
証人 ◯◯◯◯

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配偶者だから必ず助けてくれるとは限らない

 公正証書遺言の手続が終わったあと、志保さんからの連絡は途絶えてしまったので、筆者は息子さんの行方を最後まで見届けることはできませんでした。しかし死後、筆者のもとを訪ねてくれた母親の話から察するに、裁判所が志保さんの遺志を酌み取り、息子さんの後見人を夫ではなく志保さんの母親に選定してくれたようです。志保さんが生前にやり遂げた手続きは死後、きちんと息子さんを守ってくれたのです。

 近年、社会全体でがん患者を支援しようという機運が年々、高まっています。例えば、厚生労働省が「疾患を抱える従業員(がん患者など)の就業継続」を目的として策定した事業主の取り組みに対する支援策など。このような試みは頼もしいですが、患者に最も近く、いちばん力になるべき存在は誰でしょうか? 結婚している場合は配偶者でしょう。とはいえ夫婦というのは血がつながっていません。戸籍上は身内でも、血縁上は他人です。そのため、「夫だから」「妻だから」必ず助けてくれるとは限りません。

 志保さんの夫のように、妻の病気が悪化するような嫌がらせを繰り返す配偶者が世の中に一定数、存在することは頭の片隅に置いておいたほうがいいでしょう。

 当然のように協力してくれると信じていた相手に裏切られるとショックは大きいですし、相手が配偶者だとなおさらです。もし自分が病気にかかったら、配偶者の協力をあてにして病気の治療を始めてもいいのかどうか、慎重に検討したほうが賢明と言えます。


露木幸彦(つゆき・ゆきひこ)
1980年12月24日生まれ。國學院大學法学部卒。行政書士、ファイナンシャルプランナー。金融機関の融資担当時代は住宅ローンのトップセールス。男の離婚に特化して、行政書士事務所を開業。開業から6年間で有料相談件数7000件、公式サイト「離婚サポートnet」の会員数は6300人を突破し、業界で最大規模に成長させる。新聞やウェブメディアで執筆多数。著書に『男の離婚ケイカク クソ嫁からは逃げたもん勝ち なる早で! ! ! ! ! 慰謝料・親権・養育費・財産分与・不倫・調停』(主婦と生活社)など。
公式サイト http://www.tuyuki-office.jp/