「こんな職場は辞めたいけれど、転職してうまくいく保証もないし……」「もっと自分に合った仕事がある気がするものの、どうやって探せばいいだろう」「このままこの仕事を続けていたら、市場価値が下がってしまうのでは?」
働き方の選択肢が増えた現代において、転職や独立を決意する人は珍しくなくなりました。しかし、安易な決断で退職に踏み切った結果、「前の職場のほうがまだマシだった……」と後悔を抱く人もまた、少なくないようです。
「キャリア選択」という人生を左右する重大な決断において、極限まで不安や後悔を減らす方法はないのでしょうか。
今回は10万本の科学論文を読破してきたサイエンスライター・鈴木祐氏の著書で、発売後6日で5万部を突破した『科学的な適職 4021の研究データが導き出す、最高の職業の選び方』(クロスメディア・パブリッシング)より、就職・転職の成功率を高める具体的なテクニックをご紹介。
その前に、そもそもなぜ我々は間違ったキャリア選択をしてしまいがちなのか、そのメカニズムから見てみましょう。
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キャリア選択で後悔が起きる科学的な理由
キャリア選択における後悔はなぜ起きるのでしょうか? その根本的な“原因”について考えるために、ハーバードビジネススクールが行った調査をお教えします。
この研究は、日本を含む世界40か国のヘッドハンターや、人事部門の責任者1000人超にインタビューを行ったもの。彼らが過去に携わった転職の実例をピックアップした上で、働く場所を変えたことによって以前と同じパフォーマンスを発揮できなくなったり、人生の満足度が下がってしまったりした人に共通する要素を抜き出しました。要するに、いい仕事を見つけられずに後悔した人たちの共通項を調べたわけです。
その結果をひと言でまとめると、次のようになります。
《就職と転職の失敗は、およそ7割が「視野狭窄」によって引き起こされる》
「視野狭窄(しやきょうさく)」とは、物事の一面にしか注目できなくなり、そのほかの可能性をまったく考えられない状態を意味します。
一例を挙げれば、調査のなかでもっとも多かった失敗は「下調べをしっかりしなかった」というものでした。普通に考えれば、キャリア選択の場面では徹底的なリサーチを行うのが当たり前の話。もし友人から「直感で転職先を選んだ」などと言われたら、誰もが「もっと下調べをしなさい」とアドバイスするでしょう。
が、いざ自分のこととなると、なぜか私たちは十分なリサーチを怠りやすくなります。ヘッドハンターたちの証言によれば、転職先の企業に「業績はどのように査定していますか?」や「仕事の裁量権はどれくらい確保されていますか?」といった質問をぶつけた人はかなりの少数派だったとか。
彼らが「もはや十分な情報を手に入れた」と判断したのか、はたまた「もう自分の進路は間違いない」と思い込んでしまったのかは定かでないものの、どうやら多くの人は、「適職選び」という人生の一大事においても、意外なほど広い視野を維持できない傾向があるようです。
正しい選択を妨げる“致命的なバグ”
正しいキャリア選択への道のりはまだ続きます。というのも、私たちの意思決定力は生まれつき深刻なバグを抱えており、そのせいでいかに企業の財務諸表を分析しようが、どれだけ自己分析を行おうが、正しくキャリアを選ぶことはできないからです。
その証拠に近年では、経営学の世界などでも「情報の分析をする際は必ず脳のバグを取り除け」といった考え方が普通になりつつあります。
一例として、世界的なコンサルティングファーム『マッキンゼー・アンド・カンパニー』が行った実験では、まず2207人のエグゼクティブ(経営幹部)から直近で行った1000件超の意思決定を集めたうえで、「他のサービスに投資すべきか?」や「新たな事業に進出すべきか?」といったビジネス上の決断がどのような成果をあげたかをチェックしました。その際に、エグゼクティブの意思決定スタイルを2つの側面から調べています。
◎物事を決める前にどのようなデータ分析を行ったか?
◎物事を決めるためのプロトコル(手順)は決めていたか?
当然ながら、大半のエグゼクティブは、意思決定の前に大量のデータ分析を行っていました。不確実性に対応すべく感度分析を行ったり、高度なファイナンシャルモデルを使ったりと、資本調達の可能性を綿密に数字で把握するスタイルが一般的だったそうです。
一方、意思決定のプロトコルをはっきりと決めていたエグゼクティブはほとんどいませんでした。例えば、第三者の意見を聞いたり、チームのなかから反対意見を募ったり、あえて最悪の状況を想定したりと、分析の内容をもとにどのような手順で決断を下すかを定めていたエグゼクティブは少数派だったのです。
その後、それぞれの意思決定がどれぐらいの利益に結びついたかを確かめたところ、次の事実が明らかになりました。
《 正しい意思決定を行うためには、綿密なデータ分析よりも脳のバグを取り除くプロトコルのほうが600%も重要である》
驚くべき数字ではないでしょうか? どんなに精密な分析を行っても、脳のバグに立ち向かうためのプロトコルを決めておかなければ、意思決定を間違えてしまう確率は上がるようです。研究チームは言います。
「決して『分析』そのものが無意味だと言いたいわけではない。今回の研究データをよく見れば、ちゃんとしたプロトコルを使った意思決定は、ほとんどが良質な分析に裏づけられていた。なぜなら、プロトコルによって脳のバグが取り除かれた結果、質の低い分析が排除されたからだ」
要するに、脳のバグをうまく取り除ければ、あなたが正しい決定を下せる確率は格段に上がります。その作業は決して楽ではないものの、データ分析より600%も重要だと言われればやるしかないでしょう。では、脳のバグの実態と排除の仕方について、詳しくご説明します。
誰もが陥る『バイアス』の恐ろしさ
私たちに生まれつき備わったこのバグは、行動経済学では『バイアス』と呼ばれます。直訳すれば「偏ったものの見方」のことで、「人間は常に一定の決まったパターンでミスを犯す」という現象を表した言葉です。
バイアスにはさまざまな種類が存在しており、現時点で研究で確認されたものだけでもおよそ170件以上。それぞれのバイアスには、意思決定を誤らせるもの、記憶を歪めるもの、人間関係を乱すものなどがあり、あらゆる方向から私たちを間違った道に誘い込みます。
適職探しにおいてもその悪影響は変わりません。例えば、『確証バイアス』が代表的です。これは、自分がいったん信じたことを裏づけてくれそうな情報ばかりを集めてしまう心理で、「今の時代はフリーな働き方が最高だ」と思い込んだ人が、独立して成功を収めた人の情報ばかりを集め、同じような考え方をする仲間とだけ付き合うようになるのが典型例です。
いったんこの状態にハマった人は、大企業のいいニュースや独立に失敗した人の情報には目もくれず、最後は自分と違う生き方を好む人たちを批判し始めるケースも珍しくありません。カルト宗教の発生と同じようなメカニズムです。
私たちが克服すべきバイアスは山ほど存在しますが、ここでは『確証バイアス』のほかに、仕事選びの邪魔になりがちなものを簡単に見てみましょう。
◎アンカリング効果
選択肢の提示のされかたによって、まったく異なる決定をしてしまう心理現象です。例えば、あなたが転職先を選ぶ最初の段階で「年収500万」の企業に惹かれたとしましょう。すると、この「年収500万」という数字が基準値になってしまい、たとえ「お金は重要ではない」と頭ではわかっていても、どうしてもそれ以下の年収では物足りなくなってしまいます。
◎真実性の錯覚
繰り返し目にしたというだけの理由で、その情報を「真実に違いない」と感じる心理のことです。ニュースサイトなどで「これからの働き方は従来のルールが通じない」「今後は個人の能力が問われる時代だ」といった文言に何度もふれたせいで、そこに数字やデータの裏づけがなくとも事実だと思い込んでしまいます。
◎ フォーカシング効果
職探しにおいてあなたが重要視するポイントが、実際よりも影響力が大きいように感じられてしまう状態です。「『グーグル』のように社食が充実していたら最高だろう」と思っていれば、社食がもたらす喜びが必要以上に大きく見えますし、「福利厚生だけは譲れない」と考えていれば、福利厚生を重んじる会社が実態よりもよく感じられてしまいます。
◎サンクコスト
「今までたくさんの時間とお金を使ってきたから」という理由で、メリットがない選択にこだわり続けてしまう状態です。何年も頑張って働いてきた職場であれば、いかに業績が傾いてきたとしても、すぐに転職を決意するのは難しいでしょう。過去と自分を切り離すのは容易な作業ではなく、これまたあなたの幸福を下げる要因となります。
◎感情バイアス
自分の考えが間違っているという確かな証拠があっても、ポジティブな感情を引き出してくれる情報に飛びついてしまう心理傾向です。厳しい事実を受け入れるのは誰でも嫌なものですが、ネガティブな感情を避けたいあまりに「好きを仕事にしよう」や「10年後の有望な企業はこれだ!」といった手軽な情報にばかり意識が向かってしまう現象は、誰にでも覚えがあるでしょう。
では、適職探しを邪魔するバイアスを取り除くためのプロトコルとは、どのようなものでしょうか?
前述のとおり、バイアスは山のように存在するため、個別に撃破していくのは得策ではありません。すべての問題にいちいち立ち向かっていたら、適職選びだけで人生が終わりかねないでしょう。
そこで、『科学的な適職』で紹介している、あらゆるバイアスからほどよく距離を置くための包括的なテクニックの中から、特に取り組みやすく効果の高い1点をお教えします。
三人称で視野を広げる『イリイスト転職ノート』
「いろんな視点で物事を見てみよう」とはよく聞くアドバイスですが、そう簡単にはいかないのが人間の難しさです。やすやすと複数の視点を取り入れられるなら、適職探しも苦労しません。
そこで、まず使えるのが、『イリイスト転職ノート』という手法です。イリイストはラテン語の「ille」(「三人称」の意味)からきた言葉で、古代ローマの政治家ユリウス・カエサルが、『ガリア戦記』のなかで自らの行動を「彼は町を攻囲したが」と解説したりなど、自分のことをあたかも他人ごとのように記した修辞法にちなんでいます。
『イリイスト転職ノート』の要点も同じで、自分の行動を「三人称」として記録するのが最大のポイント。そもそもはウォータールー大学がバイアス解除のプロトコルとして提唱したもので、実証研究では300人を対象に効果を確かめています。
研究チームは、まず被験者に「その日に行った意思決定のなかで、もっとも悩んだものを教えてください」と伝え、それぞれに「仕事を辞めるか考えた」や「上司とケンカをした」などの日常のトラブルを思い出させました。
続いて、その「日常の悩み」について三人称の視点を使いながら日記上で説明するように指示し、「彼は仕事を辞めるかどうかに悩み、転職サイトでよりよい条件の職場を探した」といったように、自分が行った意思決定の流れを、まるで他人ごとのように書かせたそうです。ひとつの日記にかけた時間は15分で、作業は1日1回のペースで行われました。
4週間後、被験者に複数のテストを行ったところ、『イリイスト転職ノート』を続けた被験者に目覚ましい変化が確認されます。悩みを三人称で書き記したグループは他人の視点で物事を考えるのがうまくなり、多角的な観点からベストの対策を導き出せるようになったのです。
論文の主筆であるイゴール・グロスマンは、「自分の意思決定を三人称で想像するだけでバイアスを簡単に消せることがわかった。この方法を使えば、私たちはより賢明に問題を対処できるだろう」と言います。適職を選ぶ際は、ぜひ自分が日常的に行った決断を三人称で記録してみてください。
適職の発見率を高める『イリイスト転職ノート』の書き方
まとめると、『イリイスト転職ノート』の手順は次のようになります。
(1) 1日の終わりに、自分がその日に行った就職・転職に関する意思決定の内容を三人称で書き出す
(2) 日記には最低でも15分をかけ、2段落ぐらいの文章を書く
ここで書き出す内容には、必ず以下の項目を含めるようにしてください。
◎どんなことを決めたのか?
◎ どのような流れで決定にいたったのか?
◎ その決定をするために、どのようなエビデンスを使ったのか?
◎ その決定により、どんな結果を期待しているのか?
◎ 自分の決定にどのような感情を抱いたか?
具体的な記載例は次のようになります。
【1】「逆求人型就職サイト経由で、衣類メーカーからメッセージが来た。とりあえず“彼”がネットでその企業について調べてみたところ、自社で製造ラインの一部を作っていることがわかった。これは、“彼”が重んじる『多様』の考えにも一致することから、1Dayインターンへの参加を決めた。“彼”が期待するのは、“どこまで多様性があるかを確かめられるか?”というポイントだ。インターンへの参加を決めたことで事態が一歩進み、“彼”はいい気分になっている」
【2】「“彼女”はどうすればいいかわからず、ひとまず自己分析のため、就活団体主催のグループディスカッションに参加。“学生時代に統計を履修したことを推したほうがいい”とアドバイスを受けたので、“彼女”はそれをベースにエントリーシートのひな型を作る。とりあえず達成感は出たが、これが果たして正解なのかまったく自信を持てていないようだ……」
『イリイスト転職ノート』をつけるメリットは大きく2つで、第一に意思決定の記憶をあとから改ざんできないのが大事なポイントです。
人間には自分の記憶を都合よく書き換える性質があり、例えば、「ちょっとネットで調べただけだが、実際に面接に行ったらよさそうな企業だった」のような結果が得られた場合、私たちは後から「自分のリサーチが成果を上げた」などと、事実とは違うストーリーに変えてしまうものなのです。この状態を放っておくと、いつまでたっても職探しの精度は上がりません。
もうひとつのメリットは、意思決定のパターンがハッキリすることです。後から日記を読み返すと、「自分はいつも少し華やかな業界に反応するところがあるようだ」「ネットの口コミを必要以上に信じがちだな」など、何らかの傾向が見えてくるはずです。その点で『イリイスト転職ノート』は、下手な自己分析ツールよりも正しく自分を見つめる機会を与えてくれます。
転職に関する記録や就活ノートをつけている方は多いと思いますが、その記述の多くは、会社やセミナーの雰囲気、面接の質問と回答、自己分析などの記録などに費やされ、自分が日々のなかで行った意思決定の流れを書き残すケースは少ないでしょう。転職や就職に関する作業をした日は、必ず意思決定の記録をつけてください。
【著者プロフィール】
鈴木祐(すずき・ゆう) ◎新進気鋭のサイエンスライター。'76年生まれ。慶應義塾大学SFC卒業後、出版社勤務を経て独立。10万本の科学論文の読破と600人を超える海外の学者や専門医へのインタビューを重ね、現在はヘルスケアや生産性向上をテーマとした書籍や雑誌の執筆を手がける。自身のブログ『パレオな男』で心理、健康、科学に関する最新の知見を紹介し続け、月間250万PVを達成。近年はヘルスケア企業を中心に科学的なエビデンスの見分け方などを伝える講演も行う。著書は『最高の体調』(クロスメディア・パブリッシング)、『ヤバい集中力』(SBクリエイティブ)他多数。