横綱白鵬と、白鵬の内弟子の石浦

 年が明けて瞬く間、1月12日には大相撲初場所が始まる。おすもうさんのお正月は「初場所が終わってから」とよく聞くが、どの相撲部屋も年末は30日ころまで、年明けも3日、4日から稽古が始まっている。そんな中でヒートアップした稽古があわや乱闘に? という記事が出て驚いた。

 記事によると、宮城野部屋で三番稽古(同じ力士2人が何度も続けて相撲を取る稽古)をしていた幕内の石浦と幕下の宝香鵬が稽古に熱くなって殴り合ってケンカのようになってしまい、師匠の宮城野親方と、横綱白鵬が止めに入って収まったが、宮城野親方は暴力があったとして協会に報告。その場には横綱の稽古はじめを取材しようと各新聞社の記者がつめかけており、すぐにこれはニュースとして報じられたというわけだ。

昔からよくあること

 正直なところ、最初にこの報道を読んだとき〈こんなこと、いちいち報道すべきことなのかな?〉と思った。相撲部屋の稽古でヒートアップした力士がケンカのようになることなんて、よくあることだからだ。

 フェイスブックの書き込みなど見ていても、元力士の方や長年の相撲ファンたちも同様なことを言っていて、昔からよくあることで、いちいち報道することじゃない。礼に始まり礼に終わっているなら、それでいい。自分だってケンカになって、稽古が終わってもコンチクショウと腸が煮えくり返るような思いがしたことが何度もあった……そんなふうに書いているのをいくつか見た。

 伝える記事の中には「激しい稽古で感情むき出しになるのも同情の余地はあり、ひと昔前なら看過されていてもおかしくないシーンだ」と擁護しつつ書いているものもあり、相撲ファンの多くの気持もそんなふうだったように思う。

 しかし日本相撲協会は9日に臨時理事会を開いて、石浦を1か月20%の減俸とけん責、宝香鵬をけん責、宮城野親方を3か月20%の減俸処分とした。今回もこれまで同様にコンプライアンス委員会が持たれて、2人の行為は稽古の範疇(はんちゅう)を超えて「暴力禁止規定」の「稽古中において、握り拳で殴るなど、審判規則禁じ手反則第1条各号に掲げる禁じ手を故意に暴力として用いる行為」に当たるとしたことでの結果だ。

 処分に至った経緯も丁寧(ていねい)に説明されていて、「スポーツ報知」が報じたところによると、

「両名は当初、通常の稽古をしていたところ、ダメ押しがきっかけとなって突発的に暴力に及んだ」「双方適宜避けており、けがはなかった」「両名とも過去に暴力をふるったことはなく、両名の間にトラブルはなかった」「稽古中、白熱のあまり感情的になったもので、暴力の継続性、反復性はなく、いじめや制裁など陰湿な要素もない」「両名は深く反省している」と、悪質性は高くないと見なされたそうだ。

元大乃国の芝田山親方

 芝田山広報部長のコメントも、今回は稽古中に熱くなって起こった突発的なもので、上の者が下の者に暴力をふるう過去の事案とは違い、真剣な稽古の中で起こったことで、あまり厳しい処分にするとほかの力士たちの稽古が委縮してしまうと説明し、現実的な判断になった。

 相撲は格闘技なのだから稽古中に熱くなってケンカになっても当り前、少しぐらいの殴り合いだって構わないと相撲ファンの私は見ていたが、いえいえ、それは違いますと、協会はそういう見方を否定した。

 稽古中とはいえ、暴力は暴力であると判断を下したことわけで、そこに注目したい。

ヒートアップする白鵬批判

 スポーツ界に於ける暴力について思い出すのは、一昨年、体操界の指導者による暴力問題が報道されたときに、タレントの武井壮さんがそれに関してツイートをしていて、「スポーツの世界から汚い物、恥ずべき蛮行を全部無くして誰からも敬愛される紳士的で最高で最強の文化を作ろうぜ!」(2018年9月11日)と書いていた。「誰からも敬愛される紳士的で最高で最強の文化」ってなるほど、と思ったのを覚えていて、今、相撲界が目指しているのもここなのか! と改めて思わされている。

 江戸時代に興行相撲が始まったころ、相撲場は荒れに荒れ、見ているほうもやるほうもケンカが日常茶飯事、暴力が横行していたと読んだことがある。おすもうさんになる人も、荒くれ者で無法者が多かったとかも。

 それからずっと、相撲の場ではシゴキとか暴力が当たり前で、ひと昔前の稽古風景のビデオなどを見ると、竹刀や箒でバンバン殴って、その箒が割れたりするのもよくあることだった。でも、それはもう絶対にダメ、些細(ささい)なことと思われるようなものでも、終わりにしなければいけないんだという決意が今回よく分かった。昔からあることだから、という言葉はもう通用しないと私自身も、わかりましたと頷(うなず)くほかはない。

 しかし今回の処分や伝え方に納得しない人たちも多くいて、記事に連なるコメント欄には石浦や相撲協会、さらにケンカの仲裁に入った横綱白鵬への罵倒が連なる。ツイッターなども同様で、〈石浦を追放せよ〉との罵倒や、〈裏の力が働いている〉といった陰謀論などが渦巻いてる。相変わらずだなーと、それらを読んでいるが、こういう人たちは常に怒っていて、常に罵倒し続けているのだ。

 例えば昨年末には白鵬の「かち上げ」について、延々罵倒し続けていた。というか、その延長としてのこの事件を捉えている人も多く、全然関係ないのに? とはなはだ疑問だ。

 白鵬への批判は最近では、それこそ“ヒートアップ”することが多く、集団イジメのように映る。「かち上げ」の件のときには、ヤフーが意識調査に「白鵬のかち上げどう思う?」などといきなり取り上げた。そして80%以上が「問題ある」に投票していたが、大相撲を見ているのかも分からない一般の人たちに、それだけ設問しての結果に何の意味があるのだろうか? 

 白鵬のかち上げについては横綱審議委員会が「見苦しい」「やりすぎ」「横綱相撲ではない」として「相撲協会に指導してほしい」と話したが、協会側は「相撲の手のひとつで、特に指導することはない」と答申し、問題はないとされていたはずだ。

 またそのときに問題の一番として上がった、白鵬―遠藤戦では、荒磯親方(元横綱・稀勢の里)がNHKの大相撲中継で、

「かち上げた瞬間に、白鵬の右の脇にスキができますから、遠藤はそこをうまく突いていくことをしっかり頭にあれば、ここまでまともに食らうことはないんです。僕は左のおっつけがあったので、逆にやってくれたらうれしいんですが、横綱はそれが分かっていたので僕にはかち上げを仕掛けてきませんでした」

 とコメントしていたのだが、いつの間にかその意見は消されてしまい、横審の個人的な感想や、また白鵬―遠藤戦でのNHK大相撲中継のもうひとりの解説だった舞の海さんが言った、「こういうことをする横綱は過去にみたことがありません」といった言葉のほうを土台にして伝える記事をいくつか見た。ちなみにそういうことをしている過去の名横綱たちの写真が、翌日のツイッターには多数上がっていたことを言っておこう。

 そうした報道に際し、どこも両論併記の体を見せるのだが、根拠があやふやで個人的感想のほうをタイトルにしたり、その感想を基準にして論を張っていくことが多く、結果として白鵬に問題があるといった方向に流れ、やれやれ呆れる的な結論に導いてしまっているのを問題に感じた。

小錦の外国人横綱不要騒動も

 大相撲はとかく話題にあがりやすく、そんなふうにバッシングしやすいのは今に始まったことではない。1961年の相撲雑誌の読者投稿欄を読んでいたら、大鵬ファンの女性が「あなたの不調のとき、口をそろえて手きびしい批判をしたマスコミの圧力」と書いていて、なるほど当時も人気力士は叩かれやすかったのかと驚いた。いま、大鵬は横綱の鏡、神さまのように崇めているが、当時はそんなものだったのだ。

 さらに1992年、小錦の横綱昇進が話題になったときには横審のひとりが『文藝春秋』に「外国人横綱は要らない」などという記事を出して、次第にそれが一般論としてメディアが広めたことを、当時の出羽海理事長が憂えていたことを相撲雑誌の記事でやはり読んだ。

マゲを切り引退会見をする、ハワイ出身の小錦

 出羽海理事長は「外人が横綱になったらどうするんだとか、協会は言ってないんです。協会にかこつけて、マスコミが嫌いなことを表現しているわけです。私たちは逆に小錦や曙に見習わないといけないんです。小錦が幕内に上がってきたときに、みんなアワ食いましたよね。黒船が来てドカーンと眠りから覚めたようでした。みんな慌てて稽古しだして、相撲の地力がワーッとアップしたんです」と話していた。

 こんな話は当時、ぜんぜん伝わってこなくて、新聞やテレビでは小錦バッシングにあふれていたのを覚えている。

 そうした伝え方からあまり変わってないのかもしれないが、今はSNS社会で当時とは全く状況が違う。白鵬にしろ、今回の石浦にしろ、さらには相撲協会そのものがとにかくバッシングしたい人たちの標的のようになってしまう。

 もちろん賛否両論、意見があるのは自由だが、ひたすら罵り、人格否定や、差別的な文言まであるのは問題だ。言っている人たちは自分たちの日ごろの憤懣(ふんまん)のはけ口にしているようにしか見えず、これは大相撲に限ったことではないのかもしれないが、社会のひずみを感じぜずにおられない。伝える側はそうした社会的影響を少しでいいから念頭に置いてほしいと心から願う。

 2020年は大相撲を楽しんで見たい。大相撲は楽しいスポーツ興行だ。眉根にシワを寄せて罵りながら見るものじゃない。見る側も伝える側も、それを胸に喜びを分かち合おう。


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。