「薬剤耐性(AMR)」という言葉を知っていますか? 薬剤耐性とは病原体が変化して抗生物質(抗菌薬)が効かなくなることで、世界保健機関(WHO)が警鐘。
対策をしないままだと2050年には1000万人の死亡が想定され、昨年には、日本でも2017年に8000人以上が死亡したと初めて推計された。薬剤耐性の脅威とすぐにできる予防を、専門家がわかりやすく解説!
健康な人も感染症に注意が必要
薬剤耐性菌とは、抗生物質が効かない菌のこと。「この菌による感染症にかかると、抗生物質が効かず治療が困難になり、死に至ることがあります」と、国立国際医療研究センター病院の具芳明先生。
2050年には、がんの死亡者数を超えて薬剤耐性菌で年間1000万人が世界で死亡するとWHOが発表している。
「すでに、米国では年間280万人の薬剤耐性菌の感染者が出て、3万5000人が死亡しています。わが国では、2017年に2種類の薬剤耐性菌により年間8000人以上が死亡していることがわかりました」(具先生、以下同)
薬剤耐性菌の種類は未知数、今後調べが進めば死亡者数は増えていくと考えられる。
「感染者は手術などで免疫力が弱っている人や、高齢者に多いのですが、健康な人も要注意です。抗生物質の使用で、すでに体内に薬剤耐性菌をもっている可能性があります」
薬剤耐性菌と抗生物質には深~い関わりがあるというのだ。もしも、身体の中に薬剤耐性菌がいたらどうなるの!?
しぶとく生き延びようとする菌
そもそも薬剤耐性菌がどうして出現したかというと、「菌による感染症は、主に抗生物質を使用して治療を行います。しかし、使い続けていくうちに菌が賢くなって、薬剤耐性菌が発生します。抗生物質は菌を殺す薬ですが、菌のほうはあの手この手を使って生き延びようとするのです」(具芳明先生、以下同)
例えば、膜をつくって攻撃から逃れたり、入ってきた薬を自分の外に出したり、自分自身を変化させたり……抗生物質の攻撃をかわすための防御力をつけた菌が薬剤耐性菌なのだ。
「薬剤耐性菌の多くは、大腸菌など腸内細菌や皮膚の常在細菌などで、健康な人にもいる身近な菌がほとんどです。しかし、手術や抗がん剤治療などで体力が落ちている人や高齢者が薬剤耐性菌に感染すると、菌血症など重大な病気にかかることがあり、最悪は死に至ります」
健康な人にもリスクはある。
「薬剤耐性菌に感染すると、薬が効かず治療が難航します。例えば、大腸菌の薬剤耐性菌に感染すると、その菌が原因で膀胱炎にかかった場合、薬が効かず腎盂炎や菌血症を発症することがあります」
薬も効かず、長々と苦しむなんてイヤ! どうしたら、薬剤耐性の恐怖から逃れられる?
インフルエンザ、風邪には全く効かない
「私たちにできることは、抗生物質を正しく知ることです。かつては、普通の風邪でもインフルエンザでも、“念のため”と抗生物質が処方された時代がありました。そのせいか、何の病気にでも効く万能薬と思っている人が少なくありません。
抗生物質は菌を殺す薬で万能薬ではありません。インフルエンザや普通の風邪はウイルスが原因なので、まったく効きません」
必要もないのに抗生物質を飲むと、身体にいい働きをする腸内細菌が殺されて、残された薬剤耐性菌が増えてしまうのだ。
「10年前には風邪症状の6割以上に抗生物質が処方されていました。2017年ごろまでには3割まで減ったものの、患者に要求されると処方してしまう医師もいるので、患者が賢くなることが重要です」
では、抗生物質をまったく飲まなければいいのかというとそうではない。
「菌による感染症は抗生物質が有効です。風邪のような症状でも、ときには菌によることがあります。医師の指示に従い、きちんと処方された分を飲み切りましょう。途中でやめたり用法どおりに飲まないと逆に、薬剤耐性菌を生む結果になってしまいます」
1.抗生物質は医師の指示どおりに服用する。
2.必要がないのに医師に要求をしない。
3.人にあげたり、もらったりしない。
4.自己判断で飲まない。
以上のことが重要なのだ。
【コラム1】菌とウイルスの違いを知ろう
菌とウイルスは生物学的にまったく違うもの。
「菌はウイルスに比べて10~100倍も大きいのです。種類にもよりますが、菌をゾウにたとえると、ウイルスはネズミほどになります」(具芳明先生、以下同)
決定的な構造の違いは細胞があるかないか、菌には細胞があるが、ウイルスには細胞がない。ウイルスは、遺伝子がタンパク質の殻に入っているようなもの、つまり、生物の定義にはあてはまらないが物質ともいいきれない微妙な立ち位置なのだ。
「ウイルスは、菌のように細胞をもたないので自分で増えることができず、細胞に入り込んで増殖するやっかいものです。風邪やインフルエンザは、ウイルスが原因。感染者の飛沫などから身体の中に入り込み、細胞を宿主にして増えていきます」
ウイルス性の病気にかかったときに抗生物質を飲んでも、敵がいないのに攻撃を続けているだけ。それどころか腸内細菌が殺されて、風邪やインフルエンザで体調が悪いときに、腹痛や下痢で苦しむことになるのだ。
ちなみに昨年、東大の研究チームが、抗インフルエンザ薬「ゾフルーザ」が効きにくい耐性ウイルスについて発表し、こちらの動向も気になる。
【コラム2】大腸菌の驚異! 膀胱炎の薬が効かない!?
薬剤耐性菌で、世界的に問題となっているのは大腸菌。
「大腸菌はお腹の中にいる腸内細菌です。大腸菌の薬剤耐性菌に感染すると、身近な例でいうと、膀胱炎の治療が難航します。膀胱炎は、直腸にいる大腸菌が尿道から膀胱に入り炎症を起こす尿路感染症です」(具芳明先生、以下同)
膀胱炎は菌が原因のため抗生物質が使われるが、原因となった大腸菌が薬剤耐性菌だと効く薬の種類が減り治療が難航する。菌が腎臓にまであがってくると、腎盂炎を起こし重症化する可能性もある。さらに、菌が血管に入ると全身に回り菌血症を起こして命にかかわることも!
「膀胱炎に効く抗生物質は数種類あるため、必要以上に恐れることはありませんが、複数の抗生物質が効かないスーパー薬剤耐性菌に感染したら治療が困難になることもあります」
スーパー薬剤耐性菌の大腸菌は世界各地で見つかっており、感染の可能性はどこにでもある。
【コラム3】海外から持ち込む“インバウンド菌”に注意
AMR臨床リファレンスセンターの調べによると、東南アジアや南アジアへの旅行者の約6割が下痢や腹痛を起こした経験があるという。
「その原因の多くは大腸菌や、食中毒の菌として知られるキャンピロバクター、サルモネラ菌、ノロウイルスなどです。
東南アジアなどの屋台で売られている食品には、これらの菌がついている可能性があります。特にカットフルーツなどの生ものは危険です。火を通しているものでも、調理後に菌がつくことがあり注意が必要です」(具芳明先生、以下同)
東南アジアなど途上国には薬剤耐性菌が多く、知らない間に口にしている可能性がある。「腹痛や下痢を起こし自己判断で抗生物質を飲んでしまうと、薬剤耐性菌を増やしている可能性があります。そのまま日本に持ち帰り感染を拡大する原因にもなるので注意しましょう」
同センター調べでは、抗生物質を海外旅行に持って行くという人は4割にも及ぶ。「海外に抗生物質を持って行く場合は、自己判断で服用せず医師の指示に従うことが大切です」
【コラム4】世界各国の薬剤耐性菌事情
日本 ●薬剤耐性が原因の死亡例も
大阪府大東市の阪奈病院で、2019年8月までの2年半の間に、スーパー薬剤耐性菌に結核の入院患者19人が感染し、1人が発症して死亡。国立病院機構大阪医療センターにおいても、2010年からの4年間で薬剤耐性菌の腸内細菌に112名が感染し、死亡例が20例あった。
政府が薬剤耐性菌の対策に本格的に乗りだしたのは'16年から。調査、教育、啓蒙活動が始まり、国内の状況を把握するだけでなく、国際的な背景への理解も進めている。
欧州 ●感染対策、教育、啓発を徹底
欧州全体では年間3万3000人が、薬剤耐性菌の感染症で死亡。北欧、ドイツ、フランス、イギリスなどは抗生物質の適正使用、感染対策、教育、啓発がうまくいき、薬剤耐性菌の感染は少ない。逆に、ギリシャ、イタリア、ポルトガル、スペインなどでは、薬剤耐性菌の蔓延が止まらない状況にある。
薬剤耐性菌は細菌だけでなく真菌(カビ)にもいる。ドイツではすべての抗生物質が効かないスーパー薬剤耐性菌の真菌、カンジダ・アウリス菌が発見されて話題となった。
抗生物質の取り扱いにも問題あり
米国 ●スーパー薬剤耐性菌が全米に広がる
薬剤耐性菌の感染者は全米で年間280万人、3万5000人が死亡している。2018年には、食中毒を起こすサルモネラ菌の薬剤耐性菌に92人が感染し29人が入院したと報告。鶏肉が原因とされている。問題のサルモネラ菌は、生の鶏肉を使った商品から検出されたほか、生きた鶏からも見つかった。
薬剤耐性菌は、食用の動物から人間にうつるという感染経路があり、米国をはじめとして先進国では動物への抗生物質の投与を問題視している。2015年から米マクドナルドでは、抗生物質を飼育時に投与した鶏の肉の使用を段階的に中止。鶏肉供給者に打撃が予想されたが、薬剤耐性菌の対策を優先する形となった。
対策が進んでいる米国だが、実は衝撃的な事実がある。抗生物質にはいくつか種類があり、段階的に使用していくが、最後の切り札といわれる抗生物質が効かないスーパー薬剤耐性菌、いわゆる多剤耐性菌が発見された。最初は東海岸からで、今では全米に広がっている。死亡者の報告もあり、対策が急がれている。
東南アジア&途上国 ●抗生物質の取り扱いにも問題
薬剤耐性菌の感染拡大の中心は東南アジアや南アジアなどの開発途上国。調査体制が整っていないことがいちばんの問題で、世界的な課題とされている。特に衛生上の問題から大腸菌などの腸内細菌の薬剤耐性菌が多くみられ近年、注目されている。
東南アジアでは菌の感染拡大だけではなく、抗生物質の取り扱いにも問題が山積。医師の処方がなくても薬局で抗生物質が購入でき、自動販売機でも売っているほどで、消費量の増加が著しい。
(取材・文/山崎ますみ)
総合内科専門医、感染症専門医。国立国際医療研究センター病院 AMR臨床リファレンスセンター 情報・教育支援室長。国立感染症研究所、東北大学などを経て2017年より現職。薬剤耐性(AMR)対策を推進するための教育啓発や医療現場の支援において中心的な存在として活動を行っている。