高木さんの手首から先はほぼ動かない

「ほぼすべてが苦悩と精神的な孤独だった人生から、やっと解放される。自分の人生がやっと自分のものになった。病気一色、病院漬けの日々からの解放感というか、やっと死ねる、終われるとホッとした気持ちが大きいです」

 昨年10月13日、スイスの非営利団体『ライフサークル』から“死の権利”を得るメールが届いた際の心境を、そう明かすのは高木真奈美さん(仮名)。九州地方に住む20代後半の女性だ。6歳のときに神経系の難病を発症、20年以上闘病を続けてきた。日本では症例が少なく、未解明な部分が多いため治療法は確立されていない。

 両足はほぼ動かず、ひざから下は感覚もない。上半身も手首から先がほぼ動かず、物をつかんだり握ることは不可能。スマホを使うときは指の間にペンをはさみ使用。SNSで情報発信はでき、死に至る病ではないが、日常生活には介助が必要な状態。

「回復の実感もなく、自分の人生って治療するだけなのかな、と考えたとき、この先も生きていきたいのかな、と思うようになりました」

 高木さんが安楽死、“死を含めた人生プラン”を考え始めたのは、今から5~6年前のことだという。

「今は両親に介護してもらっていますが、この先、両親も年を取ります。いずれ自分は、第三者の介護を受けることになるんです。生きていたいと思う理由もないのに、介護されて生きていくのは私の意にそぐわない生きざまだと思いました。だったら、私はもう人生を終わらせたい、と考えるようになりました

 自力で死ぬ方法として決めたスイスでの安楽死。

 鳥取大学医学部の安藤泰至准教授(生命倫理・死生学)によれば、安楽死や尊厳死に関する世界共通の定義や学問的に公認されている考えは存在しないという。にもかかわらず、メディアにはぼんやりとした輪郭のまま、時折『安楽死』の文字が躍る。

 一般的に「安楽死」は、医師が致死薬を患者に投与する“積極的安楽死”、医師が処方した致死薬を患者自らで使用する“医師の幇助(ほうじょ)自殺”を指すが、これらは日本では合法化されていない。しかし、ベルギーやオランダ、スイスなど一部の国では、認められている(下記参照)。

《安楽死をめぐる各国の現状》

◎積極的安楽死のみ容認
コロンビア

◎医師による自殺幇助のみ容認
スイス(刑法の規定による)、アメリカの一部の州

◎両方を容認
オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、オーストラリア・ビクトリア州
高木さんがスイスの団体から幇助自殺の権利を得た際につぶやいたSNSの投稿

 昨年10月、パラリンピックの車いす陸上女子メダリストのマリーケ・フェルフールトさんは、ベルギーの自宅で医師の投薬を受け、命を閉じた。40歳だった。同国では、一定の条件下での安楽死が合法化されている。

 昨年6月2日、NHKが放送したNHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』では、重い神経難病の日本人女性がスイスで医師による幇助自殺を受ける過程が放映され、障がい者や難病患者の自立生活を推進する団体「日本自立生活センター」(京都市)が、「障がい者・難病患者の尊厳や生命を脅かす」と声明を発表し、波紋を広げた。

 一方、「尊厳死」は延命治療の手控えや中止を指し、「消極的安楽死」とも呼ばれる。「安楽死」「尊厳死」とも共通するのは「死を実現するための死なせる行為」という点だ。

約200万円の費用には貯金をあてる

 高木さんが、のちのち家族に「まさか本当にやるとは思わなかった」と泣きつかれることになる可能性にアプローチしたのは昨年2月。

「外国人の幇助を受け入れているライフサークルに(尊厳死を希望する意思を記す)リビング・ウィルを提出し、会員費を支払い、入会が認められました」

 お金だけあっても安楽死はできないという。

 幇助の申請は昨年9月末。必要な書類は、本人の強い幇助を希望する旨とその理由を記した嘆願書、家族や親しい人について書いた書類、病名や病状を記載したメディカルレポートの3種類。専門家に翻訳を依頼した嘆願書はA4で約5枚だった。

「問題はメディカルレポートで、書くことが自殺幇助にあたる可能性が否定できない。治療を受けている病院では、拒否されました。最終的に知人の知り合いの医師が理解を示して、書いてくれました」

 このような手続きの結果、幇助自殺の権利を獲得できたが、家族が立ちはだかった。

「話し合いは平行線でしたが、私は両親のために苦痛を押し殺して生きていくことはできない。“私の人生なんだから、もう終わらせたい”と訴え続けました。折り合いはつきましたが、まだ両親は葛藤している状態です。ただし、私が渡航したい意思については一応、了承が得られています」

 そう現状を伝える。申請から渡航費(本人のみ)、現地での火葬後、遺灰と死亡診断書が日本に届くまでの費用は、日本円で約200万円。高木さんは貯金をあてる。

 許可が下りてから高木さんには、変化が訪れたという。

「飼い猫や犬がいつもより可愛く見えるようになりました。心の余裕だな、と感じます。安楽死制度は重篤な疾患にかかったときの救済手段、心のよりどころ。セーフティーネットというか、生きやすさにつながる、副次的な効果をもたらすものとしてもとても期待しています

鳥取大の安藤准教授(写真左)、横浜市大の有馬准教授(同右)

賛否両論が飛び交う安楽死

 問題が命にかかわるだけに、専門家の見解はさまざまだ。

 横浜市立大学の有馬斉准教授(倫理学・生命倫理)は、

「命をそんな簡単にあきらめてもいいのか、という議論や海外に渡航して安楽死をするのはどうなのか、という議論ももっとあってもいい」

 としたうえで、

「安楽死を認めてもらったほうが、いいかもしれない人がいるのも理解できる。いつでも死ぬことができる、となればその期間までは病気のことは考えずに過ごせ、それは希望になるかもしれない。他方、同じ病の人にとっては生きることのプレッシャーになったり、同じ状況の人が死んでもいいと認められたら、自分の生も否定されている気分になるかもしれない」

 と指摘。安藤准教授も、

「もし安楽死が許されるなら、命が軽くなってしまう。同じ病気や障害があっても生きたいという人の権利が侵害され、生きづらい社会になったらいけない」

 と弊害を危惧。当事者を支える仕組みの大切さを説く。

「同じ病気でも希望を持って元気に生きている人がいる。生き方の情報交換をしたり、どうすれば自分が楽かを考えたり。そういうことは医学だけでは決まらないので、ひとりひとりの生活での工夫、介護、医療、みんなで当事者を支えることもできるのでは」

 医療スタッフや両親など周囲の支援の中で高木さんは、長く闘病してきた。

「ここ7年弱で計60回近くの治療をしました。毎月、1週間入院。退院後しばらくしたら入院の繰り返しでした」

 と、果てしない闘病のスパイラルにからめとられてきた。

 賛否両論のある安楽死は、その思考の深淵で納得する形でつかみ取った、高木さんの希望なのである。

「両親は、私の苦悩もある程度理解している、と言ってくれていますが、苦痛の肩代わりは誰にもできません。“わかるよ”と言われても、それは想像の範疇を出なくて、本当のつらさはわからないんです」

高木さんが入会した幇助団体へは日本からもアクセスできる(同団体ホームページより)

残された時間をより豊かに過ごすため

 さらに安楽死は重篤な病気などで身体が動かない、意思の疎通もできない、そうしたつらい状態を長引かせることなく、より悔いのない人生を送るための選択肢のひとつになりうるのではないかとの可能性も示す。

「不快に思う人もいるとは思いますが、人によっては自分のタイミングで人生の幕を下ろせるからこそ豊かに生きられる人もいるのではないかと思います」

 とはいえ、安楽死を楽に死ねる言葉としてとらえられることには、断固としてノーの意思を示す。高木さんが、幇助自殺の権利を得たことをSNSで発信したところ、“どうやったら死ねるんですか?”というメッセージが数多く届くようになった。

「安楽死をはけ口のように使うことや、死ぬ権利と結びつけることはどこか違うのではないかと思っています。死ぬ権利はあってもいいし“安楽死で死にたい”と発言することはできますが、安楽死そのものは誰でも簡単に受けられるものにすべきではないと思うんです。

 一切の恐怖や覚悟なく安楽には死ねませんからね。これはあくまでも自殺なので

 改善しない精神疾患の方からの問い合わせも多い。しかし、スイスでも精神疾患患者の幇助自殺は非常に難しい。正常な判断力があることが確約されなければ審査には通らない。病気の症状としての自殺願望や衝動性があるなどの状況が考えられるからだ。それだけ理性的な選択が求められる。

 高木さんはスイスに渡る時期を、「半年後、遅くとも1年後までには」と考える。

 そして自身の生の行方を、次のように伝える。

「現地では2人の医師の診断と2日間のクールダウン期間があります。幇助はこの期間内にいつでもキャンセルすることもできます。もしかしたら明日、急に何か生きていたいという理由ができるかもしれない。そうなったら安楽死はしないかもしれないですね。だから最後まで早く死にたいとか、死だけが目的にならない生き方をしたいと思っています。

 その日が来るまで、自分がより豊かで穏やかに生きるために何ができるか、ということは心にとどめておきたいです」

 目下の希望として、『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)を書いた脚本家の橋田壽賀子さん(94)に会って話をしてみたい、と漏らす。ほかにもいろんな人に会って話をしたい。会いたい人に会えたそのときは、こう質問しようと決めている。

「どんな人生を送ってきたの」