「ご存じのとおり妊娠中です。シングルマザーで産もうと決めました。22週まで堕ろせると言われたけど、産む選択をしたのは、紗里です」
もはや“狩野英孝との6股騒動のアノ人”という説明が不要なくらい、炎上クイーンとしての地位を確立した感のある加藤紗里(29)。1月24日付の冒頭コメントよろしく、スピード離婚&直後に妊娠発覚など、彼女がインスタグラムやYouTubeなどから発する言葉に世間の注目が集まっている。
父親が語った、加藤紗里の素顔
広島市の繁華街。ビルの1階に出店して33年になるという古参のステーキ店。加藤紗里の実父・加藤正明さんの店だ。オープン前の午後5時前、店主である正明さんを訪ねた。
娘について話を聞きたいと申し出ると、「オタクはヒドい記事を書いてくれたね。昨日、買ったよ」と怒りながらも、記者を店内のカウンター席に座らせ、名物であるチーズケーキを出してくれた。店がオープンすると、常連客が入れ替わり立ち替わりにやって来ては、カウンターでチーズケーキを食べ、正明さんと談笑していく。
カウンター6席に、4人掛けのテーブル2つ。アットホームな店で、実父へのインタビューが始まった。正明さんは、記者の質問にすべて答えるというので、直球の質問をした。
――紗里さんと離婚した元夫とは最後に会ったのは?
「彼とは3回会いました。紗里から“結婚を前提として付き合っている”と言われて、まずは報告に来た昨年9月。2回目が紗里の妊娠の報告に来た10月。最後が向こうのご両親の顔見せに来た11月です。最初に来たときは、紗里が“付き合っている人がいるから、連れて行きたい”なんて言うんです。初めてのパターンだったから、ビックリしましたよ。ウチの奥さんを含めて合計4人で、近くのホテルで食事をしました。
カレに会って、さらにビックリしたのは、紗里が今まで付き合ってきた男とは違い、全然チャラくないんです。どこにでもいる好青年という感じ。実際に、カレは当時36歳にして15人の社員を抱えるという不動産会社の社長でした。想像していたタイプと違い、ビックリしていたのは妻も同じで、“あの~、紗里のどこがよかったんですか?”なんて聞いていましたよ。
“友だちに誘われて行った食事会に来ていた彼女は、テレビで見るのと違い、普通の女の子だったから好きになりました”と言っていました。10月にもやって来て、カレが“順番が逆になったんですが、妊娠していました、すみません”と言ってきました。紗里も、そのころは“つわりがひどい”と言っていました。
11月3日に彼の両親も来て、6人で食事をしました。しかし、11月後半に破局したようで、向こうの父親が電話をしてきました。“ウチの息子はバカでした、そうとう無理をしていました、本当にすみません”と、謝っていました。私も“ウチの娘がワガママで”と謝りましたよ」
本当の破局理由は…
「でも、向こうには“子どもができたことは、われわれにとっては最初の孫ですから、うれしいんですよ”と言いました。カレは紗里に嫌われまいと出費を頑張りすぎたようですね。12月後半に、妻が紗里のいる東京へ行き、年明けの1月12日には私が東京へ行ったんです。カレがいなくなったマンションで、私が紗里のそばで寝ましたよ。
紗里が言うには、本当の破局理由はカレの束縛にあったようです。カレはもともと、実は紗里のファンだったようで、結婚する前は“紗里の自由なようにやらせる”と言っていたのに、同居した途端に豹変し、紗里の男関係を探るようになったんです。紗里のケータイもチェックしたり、“胸の開いたドレスは着るな”とか、仕事にまで口を出してきたんです。これは夫婦間でもやってはいけないこと。モラハラですよね。カレには“自由奔放な加藤紗里と結婚するんだ”という自覚がなかったんでしょう。お金が続かないというのなら、なぜ付き合っていた5月から9月までの間に“紗里と結婚するのは無理”と言わなかったんだろうと思います。
結婚すると決まったとき、私はご飯を食べながら、紗里に言いました。“いい機会だし、もう30歳になるんだから、ギャルみたいな茶髪はやめなさい”と。これは親としての正直な気持ちでしたね。
そうしたら、紗里は真っ赤な顔をして“私は大学を中退して、19歳で東京へ出たよ。でも、なんのコネもなく、詐欺にも遭ったし、怖い目にも合った。自分で人脈を切り開いて、10年やってきたの! これが加藤紗里なのよ! 私は変える気ないよ”って言って、バーって泣き出したときは、私も今の加藤紗里のキャラを全否定するようなことを言いすぎたかなと思いました。親としての意見を言ったんですけれどもね。
単なるレースクイーンだったのに、狩野英孝さんの6股相手として出てきて、それから4年がたちました。半年で消えると思われたでしょうが、なんだかんだとやっています。キャラの濃さは日本一ではないでしょうか。その部分は大したものだと思っています」
――妊娠したとわかったときは何と言いましたか?
「妊娠2か月だったから、まだ堕ろそうと思えば堕ろせる。孫はほしいけれど、どうせわれわれは先に死ぬんだよ、と言いました。そうしたら、紗里は泣きながら“私、産む”と言ったんです。妻は“紗里がかわいそう”と言っていました」
――出産に立ち会えない?
「仕事がありますからね。妻も仕事なんですよ。もしかしたら、妻だけは東京へ行けるかもしれませんが」
――紗里さんと最後に会ったのはいつ?
「先ほど言ったように、1月12日に私が東京へ行ったときです。その日は、紗里が『サンデー・ジャポン』に出ていた日で、放送後も取材が殺到していた。結局、紗里に会えたのは夜の9時でした。
それまでの時間を潰すのが大変でしたよ。紗里からは“マネージャーと一緒に東京見物してて”なんて言われましたが、“なんでこんな日に来たのよ?”とも言われました。結局、紗里のマンションに2晩泊まりました」
――今のようなキャラになったのはいつから?
「紗里は、幼稚園のころから習い事をしていました。バレエ、ピアノ、琴、日本舞踊といった具合です。妻がしつけにうるさかったので、紗里は、そのあたりはしっかりしていますよ。
中学受験のときは猛勉強をして、県内でも名門と言われる女子校に入りました。そのころ3つ上の紗里の姉が『ミス日本コンテスト』に応募したんですよ。紗里も“出たい”と言ったのですが、まだ早いと諦めさせようとしたけど、募集年齢が15歳以上で、紗里も15歳になったばかりでした。結果、姉と2人で出たら『中四国代表候補』の3人の中に2人が選ばれたんです。
高校の部活はダンス部でしたね。このときはダンスを一生懸命やっていました。自由奔放なのはもとからですが、このあたりから自分に自信がついたのか、今のキャラに近くなりましたね。
でも、4年前のバッシングのときは本当につらそうでした。夜になったら“ママ、つらい”と、弱気の電話をかけてきました。あと、紗里は整形手術をやっているともよく言われますが、私の目や鼻とよく似ているでしょ。胸が大きいのは母親似なんですよ」
結局、店の開店から閉店まで、じっくりと話をしてくれた父・正明さん。いろいろと明らかになった加藤紗里の意外な一面。ただ、ぶっちゃけキャラは父親譲りだったようで――。