なぜ韓国映画『パラサイト』はアカデミー作品賞を受賞できたのか?(写真はHPより)

「この映画は、たぶん作品賞を取らない。自分の中の悲観的な自分がそう恐れている。僕はそれを受け入れる。僕はこの映画について書いてきた。自分が所属するL.A.映画批評家サークル賞でこれに投票した。作品だけでなく、監督と助演男優部門にも」

 賞レース専門家のグレン・ウィップはアカデミー賞授賞式当日の米紙ロサンゼルス・タイムズで、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が作品賞を取る可能性の低さについて、そう嘆いた。

 別の紙面では、ベテラン映画批評家のケネス・トゥーランとジャスティン・チャンが各部門の受賞予測をしている。トゥーランは、ほとんどの専門家同様、『1917 命をかけた伝令』が作品賞を取ると予想していた。だが、その少し前に行われた予測記事で、全6人中ただひとり『パラサイト』を挙げていたチャンはここでも今作に望みをかけていた。

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「わかっている。こんな予想をするのは、愚かだろう。(中略)しかし、去年のROMA/ローマより、ポン・ジュノによるこの映画は、初の英語でない作品賞受賞作となる可能性が、ずっと高くある。その資格がある作品だ」と、彼は評している。

「パラサイト受賞」は映画史に残る大事件

 チャンの予感は的中した。いや、願いがかなったというほうが正しいだろう。現地時間9日のアカデミー賞授賞式で、『パラサイト』は外国語映画のために用意されている国際長編映画部門(旧・外国語映画部門)にとどまらず、脚本部門、監督部門、そして最も名誉のある作品部門の4部門を制覇したのだ。

 アカデミー賞の作品部門が外国語映画に与えられるのは史上初のこと。そもそも、韓国映画が何らかの部門にノミネートされること自体、初めてだった。まさに歴史を変える大事件が起こったのである。

 その直前まで受賞の最有力候補と考えられていたのはサム・メンデス監督の『1917』。戦争もので、イギリス出身の監督とキャスト(アカデミーのイギリスコンプレックスは昔からよく言われている)、ドラマチックでリアリティがあり、最後には観客を感動させるこの映画は、どこから見ても「アカデミー受け」する作品だ。アカデミー賞の前哨戦として注目されるプロデューサー組合賞(PGA)を受賞したことで、今作はほぼ王手をかけた状態にあった。

 なのに結果的にアカデミーが選んだのは、最も「オスカー好み」から遠い韓国を舞台にした、馴染みのない韓国人俳優が出るダークでユーモラスな作品だった。どうしてこのような展開になったのか。考えられる理由は、ふたつある。

米アカデミーに訪れた大変化

 ひとつは、この4年ほどの間に起こったアカデミー賞の投票母体の変化だ。演技部門の候補者20人が2年連続で全員白人だったことから「#OscarsSoWhite」批判が起きたのを受け、米アカデミーはマイノリティや女性、若者を増やすべく、意図的にそれらの人々を新会員に招待してきた。

 会員のクオリティを落とさずにそれを行う上で注目したのが、海外の映画人。4年前には6000人前後だった会員数は現在1万人弱にまで増え、その中には過去に類を見ないほど外国人がいる。映画といえばハリウッドと信じてやまない従来の会員の中に、カンヌやヴェネツィアは常連だがアメリカの超大作はあまり見ないという人がかなり混じってきたわけだ。

 海外の映画人の多くは、『パラサイト』を北米公開よりずっと前の5月にカンヌ映画祭で見ており、また、ポン・ジュノの過去作も見ている。そんな彼らは、「アカデミー作品賞に韓国映画はふさわしくない」などという考え方をしない。そもそも、アカデミー作品賞は英語でなければいけないというのは、アメリカ人による単なる思い込みであり、ナルシシズムでもある。

 その主張はノミネーション発表以後、批評家や業界関係者の間でたびたび聞かれてきた。最も積極的に発言したのは、先にも出たロサンゼルス・タイムズのチャンだ。彼は本投票真っ最中だった先週末、「パラサイトがオスカーを必要とするよりもっと、オスカーがパラサイトを必要としている」という見出しの長いコラム記事を書いている。

「パラサイトは、作品賞を取るべき映画。だがパラサイトは作品賞を取れない」という文で始まるその記事で、チャンは「海外の映画通は米アカデミーが自分たちの庭しか見ないとわかっている」と、シニカルに指摘。大多数のアカデミー会員はそれを変えたいと思ってもいないとも述べた。

 続いて彼は、「オスカー作品賞を取ることでパラサイトがさらに優れた映画になるわけではない。また、取らなかったからといって劣る映画になるわけでもない」と、冷静な観点からアカデミー賞の意味や存在について考察。

 最後は、「パラサイトには、もうこれ以上何かを証明する必要はない。アカデミーには、その必要がある」と、説得力を持つ言葉で締めくくっている。

『ROMA』と『パラサイト』の違い

 彼や同様の意見をもつ業界関係者の言葉にどれほど影響力があったのか、正確にはかることはできない。だが、そもそも『パラサイト』がつまらないなら、どう言われたって人は投票しない。同作が支持を集めたのは、素直にこれは良い映画だと思ったからだ。

 それが、理由その2。『パラサイト』は、多くの人が純粋に「おもしろい」と感じる映画だったのである。そこは昨年アカデミー賞作品賞にノミネートした『ROMA』との違いでもある。

 2019年のアカデミー賞で『ROMA』がギリギリまで『グリーンブック』と争いつつも敗れた背景には、外国語映画であることのほかに、Netflixに作品賞をあげることへの強い抵抗が挙げられた。しかし、それ以前にあの映画を「心から」好きだった人は実のところ、それほど多くなかったのではないか。映画館で見た人はともかく、自宅で見た人からは、あの延々と続く冒頭のシーンですでに飽きてしまったという声も聞いた。

 もちろん「何も起こらない」ことこそあの映画のポイントだ。辛抱強く最後まで見れば、「優れた映画だった」という評価になる。

 一方で『パラサイト』は、最初からテンポが良く、飽きさせることがない。そして最後には、良い意味で、最初に想像していたものと全然違う映画だったのだとわかる。その意外性と衝撃が、強く心に残るのだ。格差や不平等というタイムリーな要素をもちながら決して説教くさくならないのも強みだといえるだろう。

 だからといって、アカデミー会員の大多数がこれを1番気に入ったということは、意味しない。作品部門に関してのみ、アカデミーは候補作全部に順番をつける投票方式を採用している。1番に入れた人が最も少ない候補作を排除し、排除された作品を1番に入れた人の票は、次のラウンドで2番目を1番に繰り上げるというのを繰り返す。これは、「最高」と言う人と同じくらい「あれのどこが良いのか」と言う人もいる作品には、不利なやり方である。

最も多くの人に支持された作品

 つまり『パラサイト』は、今回の候補作9本の中で、最も多くの人が「あれは、まあ良かったよね」と思った映画だったのである。受賞の理由は、何をおいてもまず、作品の力のおかげなのだ。

 しかし、賞は作品の力だけで取れるものではなく、タイミング、ほかの候補作など、「運」の要素も必要となる。今回はそれらがすべて揃い、さらに、もうひとつの要素「努力」も兼ね備えていた。ハリウッド映画ほどキャンペーンにお金をかけられない中、ポン・ジュノはこのアワードシーズン、せっせと投票者向けの試写会などにも顔を出している。また、ゴールデン・グローブや映画俳優組合(SAG)賞など授賞式では、心に残るスピーチをして人々を惹きつけ続けた。それら全部が、実を結んだのだ。

 そんな一大事業を終えたポン・ジュノは、昨夜の受賞スピーチで、「朝まで飲むぞ」と語っている。目が覚めた後、彼はあらためて自分の達成したことの大きさを実感したのではないか。同じようにアカデミーも、自分たちのやったことのすばらしさに満足しているに違いない。チャンが言ったように、彼らはポン・ジュノ以上にこの賞を必要としていたのだ。歴史を良い方向に変えてくれたこの両者に対し、映画ファンとしても心から祝福を送りたいと思う。


猿渡 由紀(さるわたり ゆき)◎L.A.在住映画ジャーナリスト 神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒業。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場リポート記事、ハリウッド事情のコラムを、『シュプール』『ハーパース バザー日本版』『バイラ』『週刊SPA!』『Movie ぴあ』『キネマ旬報』のほか、雑誌や新聞、Yahoo、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。