明智光秀の肖像画

 本能寺の変にて主君・織田信長を討ったことで有名な明智光秀。軍事、政治、外交などすべて万能にこなす逸材であったとはいわれているものの、謎が多く、現在伝わっているエピソードは眉唾ものも多いとか……。

 気鋭の識者に、バッチリ解説していただきました! これを読めば、『麒麟がくる』のクライマックスがますます待ち遠しくなること間違いなし! 解説は、東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんです。

“容姿がいい”という感覚は存在せず

【1】イケメンだったって本当?

 写実的ではない可能性があるにせよ、肖像画を見るとイケメンですね。穏やかそうで、粗暴な人相ではない。ただし、明智光秀がイケメンだったという証拠なる文書は存在しません

 これは光秀に限った話ではなく、当時は頭がいい、勇ましいといった評価はありましたが、容姿がいいという感覚は存在しなかったのです。そういった記述が目立つようになるのは、戦乱の世が平定した以降です。

 出雲阿国の相手役であり歌舞伎の祖とも言われる名古屋山三郎という武士が、その元祖とも言われ“伝説的美青年”と謳(うた)われています。芸能が発達していく過程で、観衆も成立していきます。となると、容姿に対する評価もできあがっていく。裏を返せば、それ以前の時代を生きた武将の容姿は、あくまで後世の想像と言えるでしょう。

光秀=天海上人なの?

【2】信長から「金柑頭」とバカにされたことも謀反の原因に?

 信長の家臣・稲葉一鉄の子孫らが書き残した『稲葉家譜』の中に、「光秀が信長から折檻(せっかん)を受けた際に、その拍子に付け髪が飛んだ。光秀はその仕打ちをひどく恨んでいた」という表記があります。また、信長が光秀を金柑頭(きんかんあたま=ハゲ)とバカにしていた、という説もよく知られています

 実は室町時代までは、頭頂部をさらされるというのは、下半身が丸出しになることよりも恥ずかしいことでした。肖像画でことごとく烏帽子(えぼし)をかぶっているのは、そういった意味もあるんですね。ところが、信長の肖像画はかぶっていないため、安土桃山時代になると、必ずしも頭頂部を見せること=恥ではないことがうかがえます。

 先の『稲葉家譜』は江戸時代に書かれたものなので、創作の可能性が高い。“上司からのパワハラに対する恨み”は、誰もが腑(ふ)に落ちやすい説。想像でいろいろな恥辱を考えた結果、“頭頂部をさらされた”に行きついたのではないか。謀反(むほん)の原因としては、あくまで想像の範疇(はんちゅう)でしょう。

【3】「光秀は生きていた」という説の信ぴょう性は?

 生き延びた光秀は、その後、家康の側近・天海上人として暗躍した──という説がありますが、私はありえないと考えます

 光秀の右腕ともいえる重臣、斎藤利三の娘・お福(のちの春日局)が、江戸で天海に会った際「ごぶさたしております」と口にした……なんて創作物があるため、もっともらしく浸透していますが、歴史史料的に裏づけるものはないと言っても、光秀が天海ではないエビデンスを示すことも難しい

 山崎の戦いで敗戦した後、光秀の首はさらされたと言われています。ですが、それを見て光秀に間違いないという記述があるわけでもない。生死が不明、ゆえに光秀=天海説というユニークな伝説に結びついていったのでしょう。

【4】「本能寺の変」に黒幕はいたの?

 裏で秀吉や家康が糸を引いていた……など、さまざまな黒幕説がありますが、黒幕かどうかはさておき、歴史学でもキーパーソンとして有力候補に挙がるのが、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)を含む四国勢です

 林原美術館所蔵の『石谷家文書』に、本能寺の変の直前まで、信長の四国攻めをめぐって元親と、その連絡役であった光秀が折衝している様子が書かれています。ただし心情までは描かれていないため、謀反にいたる原因になったか否かは推測でしかない

 なお、前述した斎藤利三の妹は元親に嫁いでいます。その縁を利用して、信長は光秀に四国方面の連絡役を任せるわけです。こういった背景に加え、文書として外交記録が発見されたことから四国説がクローズアップされた。『麒麟がくる』でも、この点は描くでしょうから、斎藤利三のキャスティングが誰になるかは見どころですね。

【5】ほかの信長家臣との仲はどうだったの?  

 関係性を立証する史料はないのですが、信長家臣になるや、ものすごいスピードで出世するので仕事はできたのでしょう。同時に妬まれることもあったかもしれませんね。信長臣下の中で、光秀、秀吉、滝川一益は外様(とざま)なので、前田利家、柴田勝家あたりとは雰囲気が違うといったことはドラマの中で脚色できる。

 光秀は、信長から丹波攻めを任されるわけですが、それをこなしつつもさまざまな方面へ応援を送ります。フットワークが軽いためあいつは頼りになるなという好印象もあったかもしれないただ、上司である信長は、光秀を信用していたのか、放任していたのかはわかりませんが、丹波攻めを単独で任せている。秀吉に対しても同様で、中国方面の制圧を単独で任せています。

 ところが、北陸方面を担当する柴田勝家には、機転がきく前田利家などを部下として配置するなどサポートが手厚い。つまり、光秀と秀吉の待遇が非常に似通っているんですね。このあたり、ドラマでどう描かれるかが見ものですね。

『麒麟がくる』にはこう期待したい!

光秀、信長、秀吉をどう描くか? サポートする家臣団にも期待

 やはり光秀、信長、秀吉をどう描くかでしょう。本能寺の変という一大クライマックスをどのように訪れさせるのか──。それを考慮すると、この三者の関係性はとても大事です。そこに光秀の側近である斎藤利三をはじめとした明智家臣団がどう絡んでくるか。

 1996年の大河ドラマ『秀吉』の際は、光秀を村上弘明さんが演じ、斎藤利三を上條恒彦さんが演じていました。こう聞くと、「あのとき上條さんが演じた役の人か」となる人も多いのではないでしょうか。これまで光秀は脇役ばかりでしたから、なかなか家臣団が描かれることはありませんでした。

 ですが、『麒麟がくる』は光秀が主役。信長にムチャぶりされる中で、それでもデキるビジネスマンとして各方面に当たる光秀を、どのように明智家臣団がサポートしていくのかにも期待したい

 僕は歴史学者だから憶測で語ることはしないけど、大河ドラマは創作です。魅力的で面白い作品になってほしいですね。

(取材・文/我妻アヅ子)


ほんごう・かずと 1960年、東京都生まれ。東京大学文学部・同大学院で日本中世史を学ぶ。日本中世政治史、中世古文書学、中世寺院史などが専門。2012年の大河ドラマ『平清盛』では時代考証を担当。著書多数。近著に『誤解だらけの明智光秀』(マガジンハウス)。