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 最近、よく耳にする「有罪率99.9%」という言葉。日本では起訴されたら99.9%有罪になってしまうという意味だ。嵐の松本潤さんが、残された0.1%の真実を追求する弁護士を演じたドラマ『99.9-刑事専門弁護士-』で知った人も多いかもしれない。

 私たち市民は、検察も裁判官も正義のために戦っているのだから当然、公平に裁かれていると思い込んでいる。しかし、それでも冤罪(えんざい)が起こるのはなぜなのか?

『裁判官失格』(SBクリエイティブ)の著者であり、民事・刑事・家事・少年という多種多様な事件を担当した判事歴30年以上の元裁判官・高橋隆一さんは、証拠もないのに犯人にでっち上げる警察や検察、自らの出世のために面倒な裁判は後回しにして点数稼ぎをするエリート裁判官がいることを知り、ガク然としたという。

 私たちが、日本の裁判に納得できないことが多いのはなぜなのか? 高橋さんが見た日本の司法の黒い実態とは──。

「有罪にしておけば無難」という裁判官の心理

 刑事事件については、刑事訴訟法上、起訴を行うことができるのは検察官だけだ。

 そして検察官は、被疑者が起こした事件について起訴できるだけの証拠を集めることができていたとしても、刑事訴訟法第248条で「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提訴しないことができる」とされている。

 このように検察官の裁量によって不起訴にすることを認める原則を「起訴便宜主義」という。言い換えれば、検察は「勝てないケンカはしない」とも言える。

 実際、検察は99.9%の勝算がない限り起訴しないのだ。

 このような現実を前に、裁判官には「有罪にしておけば無難」という心理がどうしても働いてしまう。そして、裁判官の世界では裁判の処理件数が多いほど評価される。だからこそ、正義を貫くよりも、とりあえず有罪にして処理件数を稼ぐ裁判官が出世するのは必然だ。

 実際、面倒な裁判はすべて後回しにしてためておいて、あとは転勤の際にすべて後任に丸投げするエリート裁判官が多数いるのだ。

警察主導の自白で立件されたひき逃げ事件

 一方で、日本の裁判は自白偏重主義といわれ、たいがいの事件は被疑者の自白によって立件されている。痴漢事件で冤罪が多いのはそこにも原因があるのではないかと私は思っている。

 どんなに本人が「やっていない」と言っても、毎日、警察官に厳しい取り調べを受けているうちに、この状況から逃れられるのならば罪を認めてしまおうか、そのほうが楽だと魔が差す瞬間があっても無理はない。

 そのようにして、真実とは違うことを自白調書に書かれてしまうというケースが少なからずあるのではないかと私は推測している。

 先に述べたように、裁判官にとって「刑事事件で起訴されたら有罪判決」というのが常識のようになっているのも事実だ。

 私が担当した事件の中にも、明らかに警察主導による自白で立件された事件があった。

 事故の概要は以下のとおりだ。

・ ダンプカーの運転手である被告人が前を走る軽自動車を追い越したところ、向かい側からトラックが来たので慌てて左にハンドルを切った

・ その際、ダンプカーの後輪が軽自動車のタイヤの一部に接触したため軽自動車がふらつき、はずみで電柱にぶつかって軽自動車の運転手がケガを負った

「業務上過失傷害」と「ひき逃げ」の容疑で逮捕され、裁判となった。

 ここで法律上の「ひき逃げ」について少々説明させてほしい。

 一般的には加害者の車が被害者をひいて逃げるのが「ひき逃げ」、被害者が乗っていた自転車や車などに加害者の車がぶつかり、その結果、被害者の車が破損しているのに逃げるのは「当て逃げ」と思われている。しかし、厳密には事故を起こしたのに、被害者を救護しないで、警察にも報告しないでその場を立ち去るのを道路交通法上「ひき逃げ」といい、傷害や死亡事故とは別に処罰される。

 被告人は自分の運転するダンプカーが軽自動車にぶつかり、結果的にケガを負わせたという事実(業務上過失傷害)は認めた。ただ、被告人は法廷で「ぶつかったことを知っていて、逃げたわけではない。追い越しの際、対向車との衝突を避けるのに必死で、軽自動車と接触したことには気づかなかったので、そのまま走り去った。だからひき逃げではない」と主張した。

矛盾点が多々見つかった

 そこで記録を丹念に読み返したところ、おかしな点が多々あるのが見つかった。

 まず変だなと思ったのが、自白調書に「ぶつかった後、怖くなって脇道に逃げました」とあったことだ。この脇道は渋滞を避けるために、そのあたりの地理をよく知る人が使う道だ。実は偶然にも、車の運転が好きな私は、被告人が通ったという脇道をよく走っていた。もちろん渋滞を避けるためだ。

 もしもプロのダンプカーの運転手がこの道を通るとしたら、当然、「渋滞を避けるため」だろう。怖くなって逃げるために脇道へ入ったというのはありえないうえ、ストーリーとしてできすぎなのではないかと直感的に思った。

 また、この被告人は事故の1か月後に逮捕されたのだが、自白調書には「逮捕されるまでの間に、証拠隠滅のため慌ててタイヤ交換をしました」ともあった。

 ところがよく調べてみるとタイヤ交換は、運送会社によって定期的交換の際に行われたものであることがわかったのだ。

 さらに、被告人は、追い越しの際、軽自動車と接触したことに全く気づかなかったと法廷で述べていたが、自白調書では追い越ししようとしたときに衝突音が大きく、その擬態語が、警察のほうでは「ガガガという音がしました」と、検察のほうでは「ドンッという音がしました」と異なっていることにも違和感があった。

 決定的だったのは、被告人が「慌ててハンドルを大きく左に切った」と自白しているにもかかわらず、その自白どおりのブレーキ痕が見つからなかったことだ。自白供述どおりに急ブレーキをかけながら大きく左にハンドルを切ったのであれば、左のスリップ痕が強く残り、逆に右側は浮くはずだ。

 しかし実際には、そうはなっていなかったため、被告の供述が真実だとすれば、スリップ痕がこんな形になるはずはない、と私は考えたのだ。

正しい裁判とは?

 トータル的に考えると、ひき逃げに関して自白を強要されたとしか思えず、その部分は無罪判決を出した。

 これは極めて異例なことだ。業務上過失事件でひき逃げとなれば量刑は重くなるので、通常であれば「単なる言い逃れ」とされたところだろう。被告もあきらめてそのまま有罪になる確率が高かったと思う。

 そもそも日本の検察官は起訴したら必ず有罪になる事件しか起訴しない。そのため裁判で無罪になることはほぼない。

 しかし、私は、ひき逃げに関する自白調書そのものにおかしな点があることに気づいたのを、そのまま放置することはできなかったのだ。

 一部無罪判決を出した後、検察は反省会を開き、結局、控訴することはなかった。

 もしかしたら自白を強要され「でっち上げられた」事件で、記録そのものをよく読むことによって無罪にできるケースは、あるのではないだろうか。

 裁判官にとって、個々の事件は自分が担当している数多くの事件の中のひとつだ。しかし当事者からしたら、ほとんどの場合、一生に一度のはず。その当事者にとっての事件の「重み」を裁判官は忘れてはいけないと思う。


高橋隆一(たかはし・りゅういち)
東京都生まれ浅草育ち。早稲田大学法学部卒業。1975年に裁判官任官後、31年間の長年にわたり民事・刑事・家事・少年という多種多様な事件を担当。2006年3月千葉家裁少年部部長裁判官を最後に退官。その後、2006年4月遺言や離婚契約の公正証書の作成などに携わる公証人になる。2016年8月退職。趣味は昆虫採集、登山、スキー、陶芸等。現在、弁護士(東京弁護士会所属)