西山茉希としげるちゃん

『しげログ』は商品プロデューサーとして活躍し、海外のファッション・流行などをナビゲートしているしげるちゃんが毎回「会いたい人」と「好きなお店」で対談! ゲストの“素”を引き出しちゃいます。第5回目のゲストはファッションモデル・タレントの西山茉希さん。お友達のしげるちゃんだからこそ引き出せる彼女の“これまでとこれから”。 それでは……カンパーイ!!

* * *

しげるちゃん(以下/しげる)「久しぶりだよね~、前回は、とあるイベントで偶然会ったのが最後?1年以上前だね(笑) そのときは、入口で挨拶程度だったので、今日は、ビールをいただきながらお話ししましょ!!」

西山茉希(以下/西山)「はい!」

しげる「ではまず、新潟っ子がいかにして今の西山茉希になったのか。デビューのきっかけから教えてほしいんだけど。最初はスカウトなんだよね?」

西山「そう。大学受験で上京するお友達に、私は卒業旅行としてくっついて行ったの。“これが最後の東京かな”ってぐらいの思い出づくりの感覚で。18歳の中ごろかな。で、銀座駅で迷子になって、そこに一人のおじさんが声をかけてきたんです。その方がのちの私のマネージャーさんなんだけど」

 

しげる「迷子になったんだ(笑)。じゃあ最初はやっぱり怪しい人って思ったんじゃない(笑)?」

西山「うん(笑)。でも私は原宿に行きたくて、「原宿に連れて行く代わりに僕の話を聞いて下さい」って言われて。その電車の中でスカウトを受けました。芸能界へ入らないかって。でも原宿に着いたら着いたで、「(どうしたらおじさんが)帰ってくれるか」ということに頭が働くから「電話番号お渡しするので今日はここで帰らせてください」と言って帰りました。そのときは“電話出なきゃいいや”と思ってたから

しげる「でも電話、取ったんだ」

 

西山「学校を卒業して就職したら最低3年は続けるっていうルールが何故か私の中にあって。ちゃんと貫きたいし、その覚悟のない環境には進みたくなかったんだけど、そうすると卒業してまずフリーターになっちゃうじゃないですか。でも周囲は就職して毎日葛藤して過ごしていて新生活の会話をしてるの。取り残されてる感がある中で連絡が来たから(笑)」

しげる「すぐにOKは出さなかったんでしょ?」

 

西山「そうそう。やっぱり芸能界には興味がなかったから断り続けてた。で、何回目かの電話で“18歳のあなたが、やってないことに決めつけて答えを出しているのが今でしょ? でもやってみたらどうなるかわかるじゃん? どうなのか。それでダメだったら辞めればいいじゃん”って。それが転機だったかな。その数十秒後に“分かりました、行きます”って」

しげる「で、ご両親には何て話したの?」

西山「友達とその事務所へ行って、新潟に帰って来てから“東京でお仕事したい。芸能界の事務所の方からスカウトされて、もう話が進んでいる”って報告しました。でも最初は話も聞いてもらえなくて。“絶対嘘でしょ?”みたいな

しげる「そりゃご両親だって、急に“東京に行って芸能人やります!”って言われてもね(笑)」

 

西山「でも本当に私のモデル人生の“列車”は走っちゃってて、もう選択肢がない!って感じにまでなってたの。降りられないのは本能というか嗅覚で分かるぐらいに。事務所の方がレールを敷いてくれてて、大人の人たちは私がモデルとして生きていく前提でいろいろ動いてくれちゃってたから。それでそのままその電車に乗ってるうちに“『CanCam』のヘアページからスタートします。そして数ヶ月したら先輩たちの表紙の中に入ります!”ってなって

しげる「降りられないよ、そこはもう(笑)」

西山「それでもウチの親は不安だったから“ちょっとの間通わせて下さい”って。でも新潟県中越地震のとき、唯一残ってた飛行機がキャンセル待ちをしないと、その日の撮影に行けるかわからない状況になって。そのときに両親が“あなたの職業は笑顔でいなくちゃいけない仕事だから、余震で怯える生活よりもお兄ちゃんがいる東京に行きなさい”って言ってくれたんです。

 私、『CanCam』でもハッピー担当みたいなところもあったから。それで親が事務所の社長に“西山家のワガママかもしれませんけど、ウチの兄と一緒にいさせることで安心もできますのでお兄ちゃんと一緒に住むという形でもいいですか?”と。そこから東京生活がスタートしました

 

テレビに映るカリスマモデルが“マネキン”だった時代

しげる「いきなり人気のある雑誌『CanCam』のヘアページから、数ヵ月後には表紙モデルなんてすごい事だよね!ファッションページのポージングの練習とかは他のモデルさんを見て学んだの? 教えて貰う事じゃないもんね。そこは自分の魅せどころだから」

西山「教えてくれない(笑)しかも私は元々古着好きで、ファッション系統も全然違っていたのでいわゆる“赤文字系”の雑誌は読んできてなかったから(笑)」

しげる「確かに、古着テイストの茉希ちゃんのイメージがあるかも!」

西山「初めてファッションのページに行った時にその当時の編集の方たちから言われたのが“『CanCam』は見て覚えさせるから。学びたかったら見て覚えて”。だから撮影の間、カメラ前の先輩を必死に見て覚えて(笑)。

 いつの間にかに、朝4時から長いときで夜中の2時とかまでの仕事をやって、その間にバラエティー番組に出演するようになりました。そうしているうちに本来あった“人と過ごしたい、人と一緒に笑いたい”って欲求がわからなくなっちゃって

しげる「そうだよね~、いつも移動は車で、昼間の街を歩く事があまりない生活だと、季節感っていうか、“たんぽぽがこんなとこに咲いてる~!”みたいな感動とか時間の感覚とかもなくなるからね。余裕がなくなると心から笑う事ができなくなるよね」

西山「うん。“茉希は笑顔担当!”ってはやいうちからハッピーなキャラクターをつけけられて……(笑)そのうち“私は嘘をついているんじゃないか”って思い始めて。こんなに“茉希ちゃん、茉希ちゃん”って言われてるのに“芸能界って何なんだろう、モデルさんへの憧れって何なんだろう”って」

 

しげる「こんなんで、人を笑顔にできるのかって話だよね。それじゃ大変だよね。そこを乗り越えるきっかけみたいなものはあったの?」

西山「ちょうどその頃に(フジテレビの総合格闘技番組の)『SRS』の5代目ビジュアルクイーンに就任したんです。玉袋筋太郎さんと水道橋博士さんの浅草キッドのコンビに囲まれて。そしたら、“西山!”って呼んでくれる玉さんがいて。何となく喋ってくれるときに(素の私を)見つけてくれて、それを収録中でも引き出してくれたの。その当時『CanCam』の格好で出ていたんだけど、私の素のキャラクターをなくさないでお仕事させてくださったのが浅草キッドのお二人で。そこで私はテレビのお仕事とおしゃべりが好きなんだ!って思えました」

しげる「すごく素敵な出会いだね!」

西山「ただ、玉さんや博士には通用するけど『SRS』じゃない番組はやっぱり全然なんか“仲間外れ感”というか。それで結局は『CanCam』メインのスケジュールだから、バラエティーで回数を重ねて前室でお話している芸能人たちの輪には入れないし。プライベートのご飯とかお友だちとか、正直拒否してたし、そういう関係性も作れなかった。

 親友の山田優だって最初声かけてくれてたけど、 “茉希は本当に電源切っちゃってどこに行くかわからない子だった”って今でも言われるし。すごいやっぱりコミュニケーション能力を見失っていた時期でした」

しげる「当時のいわゆるカリスマモデル(コンサバ誌)ってバラエティー番組のパッケージに合わせるのが難しそうだったもんね。あまり喋りすぎてもダメ、常にニコニコしてなきゃダメとか。でも。そういうのテレビの視聴者からするとつまらないタレント

西山「そうそう」

しげる「そこがジレンマだよね、コンサバ誌のモデルだからって、いきなりドカーンって笑いをとっていくのは難しいよ~。編集部とかからも“下品なコトは言っちゃダメ”とか、きっとあるでしょ!? 誌面のモデルとしての品格というかイメージもあるだろうし、広告ページのイメージもあるだろうし。そんなジレンマの中で、素の自分を引き出してくれる人に出会えたら、仕事としてのしゃべりも、すごく楽しくなるよね~」

 

西山「その当時は今よりもモデルさんが雑誌の中のカリスマ的存在で、マネキンになっているっていう考え方が強かった。だからそれこそ専属モデルの雑誌がガッチリトップとってた。“テレビ出るのはいいですけど、衣装は『CanCam』のスタイリストの方でお願いしますね”って

しげる「イメージを変えずにね」

西山「私なんかは特に喋ると何も考えずしゃべっちゃうところがあったから、当時はきっと編集部からあまりTVの活動を良く思われてなかったんじゃないかなぁ。(山田)優と注意されたときもあるし(笑)」

しげる「もう、その2人が出会ってしまった時点で、ダメだよね~~(笑)」

西山「でもそんな中で玉さんと博士と過ごすテレビのお仕事の中でどんだけ『CanCam』が忙しくてもそこでなぜか同じ仕事なのに自分の心が緩んで“仕事が楽しい”って思えたんだよね。“私はモデルではあるけれど、テレビのお仕事は好きなんだな”って感じることができたスタートラインがその番組だった

「令和婚」より「令和離婚」のほうが……

しげる「そうだね。楽しいって思えることが何より大切だよね! 茉希ちゃんはいまシングルマザーなわけじゃない? 日常生活はどんな感じかしら?」

西山「今は保育園。ウチはふたり保育園で、一人が小学校に上がるんだけど、なんかそれにすっごく怯えてる自分がいて。新しい環境、ひとり子どもがまた違う環境に行くってのが。でも本当に仕事がしたいとも思ってる」

しげる「もっとシングルマザーに優しい環境になって欲しいなってのはあるよね」

西山「そう、それでこの間『学童』の申し込みしてきた。それで入れたら夕方の6時まで頑張って仕事をやらせてもらうけど、自分は仕事だけしていればいいかと言えば、きっとそれも正解じゃなくて。世間の方々に“子どもをほっぽり出して仕事ばかりしている”と思われるのもアレだし……! 色々言われてしまかもしれない。報道でもよく『令和婚』って言われてるけど、実際には『令和離婚』の方が多くない? みたいな(笑)

 

しげる「アハハハ!そうだよね~~(笑)」

西山「なんか世の中っていいように伝えるなって思って~」

しげる「そうだよ~~!!(編集部に)君たち(笑)!」

西山「そういう表面的な言葉よりも、一人の人と遂げていくってそういう思いだけでも大事にしたいなって思う。例えば夫婦じゃなくてもこうしてしげるちゃんとのご縁があって。本当に小さくても大きくてもご縁は大事にしていきたいな、って思います。よく東京は『一期一会』って言うけどそれは嫌だな

しげる「それしげるも使わせてもらうね! しげるがどこかで使ってたら笑って(笑)」

西山「スクショしてDMする(笑) 正直、子どもの体調不良を恨みたくなる時だってある。そんなとき、色んな葛藤があっても笑い飛ばせるお母さんは素敵だと思います。
育児の上での愚痴や本音を隠して子どもに当たるより、それをどこかで吐き出して言葉にして笑顔に変われる方がいい。我慢しないお母さんでいることで、子どもにも本音で向き合ってあげれると思うんです

――(編集部)「シングルマザーのご家庭も昨今は増えていますよね。でも、お父さんとお母さんが子育てをするべき、という考え方はまだ根強いです。そこについて西山さんが思うことはありますか?」

 

西山「好きな人と結婚して、家族が家庭の中で揃っているのが当たり前と思われる世の中じゃないですか。彼女たちのスタートラインが、旦那が家にいなくても何とも思わない女性であってほしくない。でも、習い事とかで学べないことは私は伝えたいと思ってて。私はやっぱり、これだけ人のご縁に恵まれて、そして東京も好きになりました。だから娘たちには“ママって人に支えられてるな。だから自分たちも楽しいんだ”って感じてもらいたい

しげる「ママの背中を見て育ってね、と。そういうことだよね」

西山「見せる背中がないから!私は同じ景色見せてくしかできないんですよ」

しげる「こないだインスタで背中見せてたじゃない~!」

西山「やだ~(笑)!」

しげる「でも、子どもたちもママが楽しんでいる姿はしっかり見ていると、しげるは思うよ」

 

西山「うん。愚痴ったところで何も変わらない。変わらないなら自分が“変わる”。状況を小馬鹿にするぐらいのメンタルじゃないとネガティブな言葉に引っ張られちゃうし、愚痴っていたら子どもから“え、じゃあ離婚しなきゃよかったじゃない”って思われます。私は、そんなことで頑張るママさんたちが自分たちの輝きをくすませて欲しくないんです。胸張って言えることじゃないけど“私シングルなんだ”って。それをエネルギーとして、せっかくの一度切りの人生を楽しんでもらいたいと思っています

しげる「うん。そうだね! 今の茉希だからこそ言える言葉だと思う!――そろそろお時間みたいだから締めに入るけど(笑)。改めてこのお店、どうだった?」

西山「この空間、私、大好きなんですよ。しげるちゃんにも久しぶりに会えて。ビールも美味しいですし」

しげる「しげるもこのお店好き。ゴチャゴチャ~ってしてるんだけど、それが計算された感じなんだよね!」

西山「そうそう。ゴチャゴチャしてオシャレって一番難しいですからね。それは“人生”も然り、かもしれません。――って言葉で最後はまとめてみようかな(笑)」

 

今回のお店 『JOLLYS LIQUORSTORE SOUNDSTUDIO』

【店主に直撃!】

――元々こちらのお店は酒屋さんだったそうですね。

「大正10年に創業しました。そして'16年5月16日、リニューアルオープンしてこのお店に。以前も『角打ち』はやっていたのですが、その『角打ち』をさらに発展させた形です。酒屋のお値段で、お酒もおつまみも買え、ここで食べられます」

――お店のこだわりについて教えて下さい。

JOLLYSの店主、峯村幸さん

「イメージはカリフォルニアの海辺にあるリカーショップ。アメリカのクラフトビールを中心に世界のビールを集めてあります。イチオシはベルチングビーバー社のピーナツバターのミルクスタウト。カリフォルニア州サンディエゴのビールで、簡単にいえばピーナツバターの入った黒ビールです。原材料にもピーナッツやチョコレート、コーヒーも入っていて、飲みやすくコクがありまろやかな味わい。日本で取り扱っているお店も少ないですので是非お試し下さい」

――メッセージをお願いします。

「お酒と海と音楽をテーマに掲げたお店です。店の奥にはDJブースがあり、月1で音楽イベントも開かれます。ほか不定期なイベントも。普段のBGMもサーフ系のアーティストを厳選するなどして流しています。また今のオススメでいえば、パブストブルーリボン。ライトなビールで、日本でもファッション店がコラボするなどおしゃれな商品になりますので、ご興味ある方は是非!」