無観客での本場所は、力士たちも初めての経験となる(写真はイメージです)

 3月8日から予定されていた大相撲春場所(大阪エディオンアリーナ)が、新型コロナウイルスの影響で、無観客試合で開催されることに決まった。

 プロ野球のオープン戦や競馬、テニスのデビスカップなどで無観客試合が決定、またすでに行われているが、大相撲もそれに倣った。中止も囁かれていたが、2011年の同じく春場所を八百長疑惑から中止し、その開催予定期間中の3月11日に東日本大震災がおき、相撲ファンは「相撲は四股を踏んで大地の邪気を祓うもの。それがなかったから……」と、いささかこじつけだが囁きあったりもした。もしやそれがトラウマで?ということはないだろうが、とにかく中止ではなく、無観客で開催されることになった。

観客の歓声で気持ちを高める力士たち

 ところで、大相撲の無観客試合はこれが初めてではない。

 昭和20年、終戦間近の6月に無観客試合が両国国技館で開かれている。このとき、5月場所が明治神宮外苑相撲場で開催予定だったが、その前日に空襲にあって相撲場が焼け落ちてしまい延期に。急きょ、6月に国技館で開催となった。

 もちろん国技館も3月10日の東京大空襲で天井のあちこちに穴が開いて、屋根なんてあってなきがごとし。土俵を中央から少しズラして作って、それでも雨が降ると傘をさし、招待された傷痍軍人らほんの一部の人が見守ったそうだ。

 そこに力士として出ていた、引退後はNHKの相撲解説者としても人気を博した神風さんは「土俵からは、大鉄傘の焼け落ちた部分から空が見えるといった惨状で、これがあの双葉山人気で天下を揺るがした国技館のなれの果てかと、みじめな想いがこみあげる中での非公開の七日間の場所であった」(『神風一代』日本放送出版協会)と記している。

 当時、どうしてそんな状況でも開催したのか? は、相撲についてのコラムの多いライター小島貞二氏の『相撲史うらおもて その二』(ベースボールマガジン社)によると、「なにせ、戦争に負ける二月前でしょう。あんなときに相撲の本場所でもあるまいと思うんだが、無理やりやったというのは、やっぱり軍部の圧力だったんでしょうね。日本は戦争に負けちゃあいない。東京も焼けちゃあいない。その証拠に国技館でいつもと変わらず本場所をやっている。そうラジオや新聞であおって、国民に気合を入れる。そんな裏があったようなぁ」とある。今回がよもやそんな二の舞ではないことを祈りたい。

 当時は無観客ながらラジオ中継はあったようだが、今回も、もちろんテレビ中継は入るだろう。なので、おすもうさんたちにはカメラの向こうの観客のエア歓声を想像しながら気持ちを高めてやってもらいたいが、なかなか集中するのが難しいかもしれない。

 大相撲は常々言われるようにスポーツであり、興行であり、神事である。おすもうさんは観客の歓声と興奮で気持ちを高め、集中し、肉体を躍動させ、肌を光り輝かせる。お客さんはそれを見て、また興奮する。かつて好角家の哲学者・梅原猛は大相撲を「色気の格闘技」と呼んで、場内のお客さんと力士たちが作り上げていくこの相互作用を、大相撲に欠かせない魅力と記した。それが難しいこの場所、見る側も少し気持ちを変えて臨みたい。

3月は「就職場所」と「卒業場所」

 それにしても本場所って、そんなに何が何でも開きたいものな? と思う、大相撲に特に興味のない方にお伝えするが、年に6回、奇数月に開かれる本場所(今回もそう)は、力士の技量を審査し、番付を決めるためのものであり、同時にお給料も決まる。再び梅原猛の言葉を借りれば「力士は自らの人生を、わずか数秒の取組に結晶させる」のであり、本場所15日間、1日のうちのわずか数秒に、人生を賭ける。そのために毎日毎日、文字通りに血のにじむような厳しい稽古を積んでいるのだ。

 さらにこの3月に行われる春場所には、特別な意味もある。すでにネットのニュースなどでも話題となっていたが、中学や高校、大学を卒業して新たに大相撲界に入門する新弟子の身体測定や内臓検査などが29日に行われ、45人が合格した。彼らはまだ番付表に載らないが、この場所で「前相撲」を取り、5月場所(東京・国技館)からはそこでの成績を基準に番付が決まり、本格的にプロとしてスタートすることになる。そう、今場所はいわゆる「就職場所」なのだ。

 と、同時に今場所は「卒業場所」でもある。3月の場所を最後に引退、4月から第二の人生をスタートさせるおすもうさんも多い。就職が既に決まっている人なら、今場所が相撲を取る最後のチャンス。彼らに最後の相撲を取らせてやりたい……そういう意味でも、春場所は是非、開催したい、という思いがあったんだろう。

 とはいえ、1人でも新型コロナウイルス罹患者が出たら、すぐに中止する勇気を相撲協会には本気で持ってもらいたい。おすもうさんたちはまわしひとつで身体をぶつけ合い、相手との距離も近い。お互いの汗が飛び、顔と顔との密着もある。相撲は「濃厚接触」だ

 感染は瞬く間に広がる恐れがある。放送はどうする? そのときは過去の本場所の録画を取り出してきてはいかがだろう? 昭和50年代の本場所そのままオンエアー……とか、それはそれでまた盛り上がる気もするんだけど?

 何はともあれ、無事に始まり、無事に終わることを祈りたい。「支度部屋はなるべく分散して」とか「力水は形だけにする」とか「手などのアルコール消毒のタイミングはいつ」とか「審判の親方はマスク着用するのか」とか「風呂場はどうする?」とか、いかにウイルス感染を防御するか? に注目が集まってしまうかもしれないが、朝乃山の大関昇進を賭けた戦い、小兵の新鋭・翠富士の十両デビューなど、注目ポイントも多々あること、お忘れなく! 


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。