「私は、あの冬、布団の中で凍えていたあのとき、(自分が)ヒグマだったらどんなによかっただろうと思いました。
しかし、私は人間であってヒグマではありません。私という人間を、人間として認めてください」
今年1月15日、ストーブの買い替え費用を生活保護費で認められないのは憲法違反だとして、札幌市に費用を支給するように求めた裁判の初弁論が行われた。訴訟を起こしたのは、同市白石区在住の50代男性・山上純さん(仮名)。冒頭の発言は初弁論のときの一場面である。
灯油がなくなったら自分は死ぬんだと思っていた
そもそも生活保護制度は、生活に困窮する人に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としているはずである。
’17年12月、約18年間、使い続けたポータブル石油ストーブに灯油を入れたところ、漏れて床に広がった。
「このまま使い続けると火災になってしまう。保護当局のケースワーカーにも確認してもらいました」(山上さん)
と、冬をしのぐため、灯油代のお金でストーブを新たに購入。そして、その費用約1万4000円を申請したが、認められなかった。山上さんは、その冬は灯油を購入できず、ポリタンクに残った昨年の灯油をだましだまし使うことに。
「この灯油がなくなったら室温が氷点下になって、自分は死ぬんだと思っていました」(同)
ちなみに、同年12月の札幌市の平均最低気温はマイナス5℃。1、2月はさらに冷え込みが厳しくなる。
「北海道で暖房機器を使わずに生活している人なんて、ほぼいません。だからこそ、故障したストーブの買い替えは臨時のやむをえない支出として、認められるものと信じていました」(山上さん)
限られた灯油をできるだけ節約するためストーブは常にいちばん弱火にセット。凍結で水道管が破裂しない程度にして過ごした。室温が10℃を超えることはなく、外出時に着るコートにマフラー、厚手の手袋、帽子、マスクを身につけ、寒さをしのいでいたという。
「心臓の病気があって、血圧を上げないように言われています。でも、布団の中でじっとしていても寒い。それで結局血圧は上がってしまう。寒さもつらいですが、血圧の上昇で発作が起きて死んでしまうのではないか、と考えるのも怖かったです」
と、山上さんは当時の過酷だった日々を振り返る。
新卒で就職その後、事業を立ち上げる
地元の小中高を卒業後、大学へ進学。中堅企業に就職した山上さんは、20代後半に自ら起業した。しかし、資金繰りがうまくいかずに廃業し、フリーターのように職を転々とする生活になったという。父親は大学時代に、母親も起業して間もなく亡くなり、親族関係はほとんど絶たれ、若くして天涯孤独だった。
「それからは主に肉体労働で稼ぎました。新聞配達や交通整備の仕事などもやったことがあります。自宅は親の家を相続して、いまもそこで暮らしています。
当時は借金の返済もしなくてはいけなかったので、売れるものはすべて売り払って、友人や会社の同僚にお金がないので助けてください、と頭を下げ、生活保護を受けないように何年も貧困生活を続けていました」(山上さん)
手持ちのお金が5000円を切ったとき、追い詰められた山上さんの思考はマイナスの方向へと傾いた。
「強盗をやるか、自殺するしかないという考えが頭をよぎったんです。さすがにこれはもう限界だと思って、7年前から生活保護を受けるようになりました」
40代後半になり、不運はさらに重なる。自宅で胸の痛みを感じて息苦しくなったという。
「職場の健康診断でも、高血圧に気をつけるよう指摘を受けていました。でも、このときは痛みも治まったので身体のことより自分自身、きちんと働いて社会に適応したいと、まだ願っていました。なので精密検査は受けず、医師から言われたように、血圧を上げないよう気にしながら、土木の仕事を始めました」(山上さん)
働き始めると“自立した生活をしたい”という気持ちが高まり、つい作業に夢中になる。ところが、今度は作業中に狭心症を起こしてしまう。薬を飲みながら続けようと試みたが、
「無理して働いても迷惑をかけてしまうと社長に相談して退職勧告をしてくれませんかとお願いしました」
猛烈な胸の痛みで救急車を呼ぶと
そして、辞めてしばらくたったある日、自宅で異常なのどの渇きとともに、まるで象に踏みつけられたような猛烈な胸の圧迫感に襲われたのだ。痛みも我慢の限界を超え、救急車を呼んだ。
「救急車が家に到着するまで20分、車内で15分かけて心電図を取り、病院に引き受けてもらう交渉に10分かかり、ようやく出発しました。私は胸の痛みに耐えるため、必死にこぶしを握り締めていて、内出血ができるほどでした。そして診断結果は、急性心筋梗塞。運よく搬送先の病院には心臓血管の専門医がいて、すぐにバイパス手術を受けて助かりました」
現在の山上さんはどこにでもいる50代男性と変わりなく、重い病気やケガを抱えているようには見えない。
「でも、中身の心臓はボロボロで、いつ発作が起こるかわからない状態の“内部障害者”なんです」
3度目の発作が起きないよう、ふだんから血圧を上げないよう、徹底的な注意を払う生活が必要となった。自立して生活したいと強く望んでいた山上さんは働くことをあきらめ、生活保護の生活扶助と医療扶助を受けて生きていくことにしたのだ。
脅しのような“水際作戦”に直面
生活保護の申請には、厳しいチェックや担当者の冷たい対応という大きな壁が立ちはだかると聞く。山上さんが受けた対応も、いま思い出しても恐怖でしかなかったと振り返る。
“初回面談担当者”は経験豊富な年配者で、受給を申請に行くと、まず奥の面談室に連れていかれ、外から見えない席に座らされるという。そして第一声は、
「何しに来たんだ。金をもらいに来てるのか? ここはそういうところじゃないから帰れ。ハローワークがあるだろう。働けるんだったら働け。お金がない? みんなお金がないんだよ!」
と、腕を組み、高圧的な態度で終始、対応された。そして最後は、
「今回は申請ではなく相談ということでいいな。相談で対処させてもらった。ご苦労さま。もう帰っていいから」
と締めくくった。
まさにこれは“水際作戦”にほかならない。受給者を増やさないよう、藁(わら)をもつかむ思いで申請しに来た人の思いを弾き飛ばすのだ。
「最初に行ったとき、私は怖くなって申請をあきらめました。女性ならば、もう2度と行こうと思わないのではないでしょうか。すべての窓口がこのような対応ではないかもしれないし、中にはいい人もいるとは思いますが」
と、ため息をつく山上さん。
受給できなければ、もう限界という状況であったため、今度は生活保護申請のサポートを請け負う相談窓口に頼った。スタッフがあらかじめ生活保護窓口に電話を入れてアポイントを取り、当日はスタッフ2人に付き添ってもらい面談に向かい、無事に申請することができたという。
こうして申請が受理された山上さんは、生活費に当たる生活扶助と、医療扶助などを受けている。生活扶助は月約7万7000円で、医療扶助はかかった医療費を全額負担してもらえる。山上さんは、
「生活保護を受ける前は、国民健康保険料が高くて払えず全額負担でした。病院へ行きたくても行けない、そんな状況でした。支払いの負担を減らすため、医師に処方する薬を間引きしてもらったこともあります。いまは、必要な医療を受けられるので、感謝しています」
と語る。
ただ、生活扶助の金額に余裕はまったくないと明かす。食事は自分で調理したり、スーパーのお惣菜を利用しながら、身体のために3食きちんととるようにしている。今年の冬は灯油も購入して寒さに震えることもなく、生活はできる。ただ、ポータブルストーブのような耐久消費財が壊れたとき、買い替えの費用が出せないのだ。
山上さんは、長らく使っていた冷蔵庫やガスコンロも壊れたが、新しいものを購入する余裕はない。
「洗濯機は昭和時代に買った二層式を使っていて、いつ壊れるか。炊飯器も壊れてから20年以上、使っていません。古いパソコンの処分費用の申請もしたけれど、却下されました。いまだに処分できないまま自宅に置いたままです」
使用できるものが日々減り続けていく生活だが、申請が通った事例もあるという。
「町内会から火災報知器をつけるようにと言われました。ですが、お金がなく買えないので申請したところ、代金は、施設設備として一時扶助を出してもらいました。あと、昨年、台風の影響で網戸が壊れてしまったんですが、これも申請したら受理してもらいました」(山上さん)
福祉に殺されかけた事実を訴えたい
今回、山上さんが石油ポータブルストーブの買い替え費用の支給を却下され、札幌市を訴えたのは、自分が福祉に殺されかけたという意識があるからだ。
確かに、買い替え費用は自分で貯めて払うのが基本とされているが、一時扶助として資金を出せる要件もある。例えば、長期入院のあとや、地震などで被災して新しい家を借りる際にストーブがないといった場合だ。
北海道において暖房器具は、なければ命に関わるもの。しかも、山上さんは心臓の病気を抱えている。発作が起きると、救急車では間に合わないため、専門医が24時間待機している病院へタクシーで直行する。そのため限られた生活扶助費からタクシー代8000円を常に身近に取り置いている。
「担当の部署は、私のことを助けることもできたし、そのお金(予算)も持っていたのに、見捨てたわけです。私にとってみれば、札幌市に殺されかかったと考えています。それをわかってもらって、けじめをつけたいと思ったのです」(山上さん)
最後に山上さんに、いま楽しいと思えることを聞いた。
「楽しみはないです。ただ、生きていてよかったと思います。生活保護という制度がなかったら今の私の命はありません。窮地にいる人は勇気を出して申請してほしい」
次回の公判は4月20日に行われる。
生活保護一時扶助申請のアウトとセーフの境界線とは?
生活保護は、憲法25条の「国民に健康で文化的な最低限度の生活」が保障されるべきという考え方に基づいた制度だ。いつ自分の家庭が経済的なやり繰りに困るとも限らない。そんなときは、高い金利の借金を重ねるより、まずは福祉事務所に状況を相談してみよう。申請の手続きや生活保護制度の実態など(気になる生活保護制度Q&A)について、厚生労働省の担当者に話を聞いた。
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そもそも、生活保護を申請する場合、どこへ申請すればいいのか。
「福祉事務所は基本的には都道府県にありますが、市・町・村でも設置している地域はあります。全国では1250か所ほど設置しています」
申請の手順は複雑ではないのか。
「福祉事務所に来ていただいて、保護の申請の意思を表示していただければ大丈夫です。原則14日以内に保護か却下を決定します。結果は決定通知書で本人に通達されます」
申請する場合、何か必要なものはあるか。
「特に必要ありません。福祉事務所に申請用紙などありますので、そこに名前などを記入していただきます。字が書けない方に対しては職員が代筆して申請を受け付けることもやっております」
支給される費用は、生活扶助(食費・光熱費など)、住宅扶助(家賃)、教育扶助、医療扶助、介護扶助、出産扶助、生業扶助(就労のための技能取得費)、葬祭扶助の8種類ある。
生活扶助費と住宅扶助費は、住んでいる場所が都市部か地方か、世帯の人数、それぞれの年齢などによって基準額に差があり、また受給を始めた年によって金額に大きな差が出ないように調整され、それぞれの支給額が決まる。加えて母子家庭や障害者への加算や冬季における光熱費等の増加需要に対応する冬季加算などもある。
こうしてその家庭の最低生活費が計算されるわけだが、働くなどして収入がある場合は、その収入額を差し引いた金額が支給される。働いたり、なにか収入があっても、生活が苦しければ保護を受けられる可能性はあるので、福祉事務所に相談してみるといい。
前出の山上さんは、生活保護申請時に“水際作戦”を経験したというが、
「生活保護の申請があったら絶対に受け付けないといけません。書類は決定するまでの間に作っていただければ大丈夫です。申請権を侵害してはいけないとなっています」
そして、裁判で争っている壊れたストーブの買い替え費用について、
「決められた要件に該当しないと、一時扶助として支給されません。日常生活に必要なものは、支給された保護費の中でやり繰りして購入していただくのが、生活保護制度の大前提です。それが難しく、緊急の場合は、社会福祉協議会の生活福祉資金の貸付制度を紹介しています。低所得者に無利子、連帯保証人不要での貸し付け制度もあります」
ルールや制度はただ守るためだけにあるのだろうか。山上さんのように死の恐怖と隣り合わせになる制度は変えていかなければならないはず。生活保護とは“生活に困ったときの最後の砦(とりで)”なのだから。人命よりもルールが優先されてはならない。
気になる生活保護制度Q&A
Q 現に住んでいる家を売らないといけないの?
A 住んでいる家や土地などが著しく高価な場合であれば売却していただき、それを活用していただくことになります。しかし、すぐに家を売却することはできないので保護を開始後、自宅を売却してから支給した保護費を返してもらうなどの対応があります。
Q 自動車は売らないといけないの?
A 自動車も資産となりますので売却していただき、活用していただくことになります。ただし、障害のある方や公共交通機関の利用が著しく困難な地域に居住する方が通勤、通院のために必要とする場合などは、保有が容認されるケースもあります。
Q パソコンやスマホを持っていたらだめ?
A いいえ。そういったことはありません。ただし、著しく高価なものであれば、活用を求められるケースもあります。
Q テレビとか電化製品も売らないといけないの?
A いいえ。そういったことはありません。ただし、著しく高価なものであれば、活用を求められるケースもあります。
Q 家電製品が壊れたので買い替え費用を申請したい。
A 生活保護制度においては、家電製品の買い替えを含め、日常生活に必要な生活用品は保護費のやり繰りによって計画的に購入していただくこととしております。
なお、保護開始時に所有していない場合、長期入院後に退院して新たに単身で居住を始める場合において所有をしていない場合、災害によって失った場合、転居により所有している家電が使用できない場合、犯罪などの被害を受け転居する際に持ち合わせがない場合のいずれかに該当している場合であれば、家具什器費(炊事用具や家電等の購入費用)が支給されるケースがあります。(上限あり)
Q グッチなどのブランドバッグは売らないとだめ?
A 必ず売っていただくことにはなりませんが、著しく高価なものであれば、活用を求められるケースもあります。
※厚生労働省への取材をもとに作成。必ずしもすべてが上記のケースに当てはまるとは限りません。