「薄暗い自室から一歩も出ずに、扉の前に食事を用意してもらっているのだろう」「親に甘やかされ、自堕落(じだらく)な生活を送っている。家ではゲームに明け暮れているはず」「働くのが嫌な怠け者。ひきこもり状態に陥ったのは、努力不足の自己責任だ」「何を考えているのかわからない。そのうちに、犯罪でも犯すのでは──」
“ひきこもり=犯罪者予備軍”はとんだ間違い
『ひきこもり』と聞くと、このようなイメージを抱く人が多いのかもしれないが、これらの印象はまったくの誤解である。
そう指摘するのは、20年以上もの間、ひきこもりの治療・支援ならびに啓蒙活動を続けてきた精神科医の斎藤環氏だ。長年にわたって当事者の臨床にも携わっており、この社会問題における重要な識者のひとりである。
今年1月には、『中高年ひきこもり』(幻冬舎)を出版。昨年に内閣府から発表された「調査の結果、40〜64歳のひきこもり状態の人が全国に61万人以上いる」というデータをふまえ、改めてこの社会問題を解決するための糸口を啓蒙する狙いだ。
この本は全7章で構成されているが、そのうち2章を『ひきこもりをめぐる10の誤解』について割き、世間に広まる誤ったイメージを変えることに心を砕いている。もっとも大きな誤解は「ひきこもりの人は、犯罪を起こす可能性が高い」という点だという。
昨年、神奈川県・川崎市で、就労せず家にこもりがちだった50代の男性が起こした通り魔事件や、東京都・練馬区の元農水事務次官が無職の40代長男を刺殺した事件などに際して、マスメディアおよびネット上では、ひきこもり当事者を“犯罪者予備軍”かのように扱う声が多かった。
しかし、事実はイメージの正反対であるというのだ。
「そもそも、ひきこもりの定義は“6か月以上、社会参加をせず、精神障害を第一の原因としないこと”です。社会との接点がないことが特徴であり、殺人など他者を巻き込む犯罪は社会へのコミットメント(責任を持って自発的に参加すること)であるため、ベクトルが正反対。むしろ一般的には、極めて犯罪を起こしづらいと言ってもいいでしょう。
また、“加害者がひきこもりだ”と報道された事件において、犯人が持病を抱えていて通院中であったり、鑑定で精神障害の診断が下されるケースも多い。いわゆる、ひきこもりであったがゆえの犯罪だ、とは言えないケースがほとんどだと思います」(斎藤氏・以下同)
誤ったとらえ方が広まった元凶は、'00年に起こった2つの事件をめぐる報道にある。
「新潟県少女監禁事件と西鉄バスジャック事件という大きな出来事が、同じ年に立て続けに起きた。それぞれの犯人像が“ひきこもり傾向にあった”と報道されたことにより、ひきこもりが犯罪を犯しやすいかのようなイメージが生まれてしまったのです」
メディアの人権意識も現在より低かったため、昨年の2つの事件とは比べ物にならないほど大きなバッシングが起こり、突如、世間のひきこもり問題への関心が高まったという。
「しかし、先ほども触れたように、ひきこもりの人は基本、家族以外との社会的な関係を持てません。新潟の事件では犯人が9歳の少女を誘拐して9年以上監禁しており、犯人像はひきこもりの特徴からかけ離れている。17歳の少年がバスを乗っ取り、死者1人と負傷者2人を出した西鉄バスジャック事件では、犯行の引き金は不本意な強制入院を強いられたこと。親が入院を強行した理由は、家庭内暴力でした。
多少なりとも“ひきこもり的”な側面を持つ人間による犯行だったとしても、その後、'19年まで凶悪犯罪は発生しなかった。むしろ犯罪率は極端に低い『属性』ではないでしょうか」
本当に怖いのは“外”ではなく“周囲の目”
また、次なる大きな誤解として「ひきこもりは、遊んでばかりで日夜ゲームに明け暮れている」とイメージする人が多いというが、これもまったくの間違いであるとか。
「前述の練馬区の事件で、殺害された長男がよくネットゲームをやっていたことで、この印象がさらに強化されたようですが、私が臨床で接してきた人のなかでは、ゲームをやっている人は1割以下でしたね。そもそも、ひきこもりの人たちは、“社会参加できない自分には価値がない”と、自罰的な思いを抱える人が多いんです。
では、どうしているのかというと、何もできずにぼーっとして過ごす人が多いんです。それだけ聞くと怠惰な印象かもしれませんが、引きこもりの自分には価値を見出せず“なぜ自分は外に出られないのか”“どうすれば働けるようになるのか”“周りに迷惑をかけてしまっている”といったように、自身を責める気持ちが頭を支配してしまうんですよ。
“自分なんかが何かに興じることが許せない”とまで思ってしまっているケースも多く、ゲームでもなんでも、“自ら楽しむ”という主体性を回復できるのなら一歩前進で、むしろ好ましい行動だと思います」
さらに「一日じゅう、家から一歩も出られない」というイメージも、正しくないという。
「自宅から出ないほどの人は少数派で、コンビニや図書館によく足を運ぶ人は少なくありません。不思議なことに、自宅付近の外出は不可能でも、海外旅行に出かけるのは平気な人もいるんです。誰も知らない都会の喧騒(けんそう)に紛れて歩くのは大丈夫だとか、コンビニでもレジ担当が外国人のときは買い物ができる、という人も。
つまり、彼らは自宅の外の世界が怖いのではなく“世間の目”が怖いのです。働いていない自分が恥ずかしい、周りに気づかれたくない。知られたら、責められてしまう……。そんなことを常に考えて、近所の人の視線に怯(おび)え、自分を追い詰めてしまう。もし彼らが怠けているなら、周りと接点のない生活に満足し楽しんでいるはずですが、実際は苦しみ続けている人ばかりなんです」
ひきこもりをめぐる大きな誤解はまだまだある。その原因が甘えや怠慢だと見られやすく、「スパルタ式で厳しくすればいい」「性根を叩き直せば解決する」と考えてしまう人も多いのだ。実際、当事者の家族までもがそう思ってしまい、暴力的自立支援の悪徳業者に依頼をしてしまうケースがある。
「“自立支援”と自称して、当事者を無理やりに拉致して寮に軟禁、保護者に高額な料金(着手金で400〜500万円)を支払わせる悪徳業者が存在します。親に対して、“お子さんがこのまま犯罪者になってもいいんですか”と不安を煽り、契約に持ち込むのが常套(じょうとう)手段。
私はこの業界で有名な施設から、10人の当事者の“救出”を支援した経験もありますが、難しいのは、親元に返すとまた寮に送り返されてしまうこと。本人が警察に駆け込んだとしても、親の意向に従うので、送り返されてしまうんですね。このような事態を防ぐためにも、“スパルタ式で治す”という考え方は、極めて危険なのです」
すべては信頼関係を築くことから
では、これまで多くの人が抱きがちだったイメージが的外れだとすると、ひきこもりとは、いったいどのような状態なのか。斎藤氏は「困難な状況にある、“まとも”な人たち」と考えるべきだという。
「ひきこもりに陥ってしまう理由は、非常に幅広いんですよ。パワハラやセクハラ、過労で体調や精神状態が悪化してしまった人。職場、学校、家庭内で人間関係がうまくいかず、悩んでしまった人……。さまざまな理由から一時的に、誰とも会いたくないと考えて、しばらく家に閉じこもってしまう。誰にでも起こりうることですよね。その“困難な状況”の程度が大きく、長期化してしまった“状態”を指すのが、ひきこもりという言葉です。
凶悪事件をひきこもりと関連づけた報道が出るたび「特殊な家庭環境で育ったのでは」という見方をする人が少なくありませんが、過去の調査や私の臨床経験から、虐待などの特殊な事情を抱えるケースはわずか。つまり、どんな家庭環境でも、何歳からでも起こりうる問題だと考えるべきです」
この「困難な状況にある、“まとも”な人たち」という表現は、ツイッター上でみつけたひきこもり当事者の言葉がきっかけで、使うようになったという。
「ある人が、こんな体験を寄せてくれました。自分がひきこもっていた時期に、家族は日々、自分を責めるので苦痛が大きかった。そこから抜け出すきっかけになったのが、近所に住んでいた幼馴染(おさななじみ)の存在だったと。その子が毎日散歩に付き合ってくれた際に、ひきこもっている状況を一切、批判せず自分のことを“今はいろいろうまくいっていないけれど、まともな人間”だと扱ってくれたことが救いだったというんです。
私はまさに、これが正解なんだと思いました。なんとかして“あげよう”という発想自体がダメで、ただ、ひとりの友人として話したり、遊んだり、時間をともに過ごす。当事者がありがたいのは、そういったスタンスで接することなんだと思います。
斎藤氏が「困難な状況にある、“まとも”な人たち」という言葉を使う背景には、ひきこもりを病気扱いしたい人々の存在もある。
「ひきこもりが病気ではないといえば、“では、ただ怠けているだけなので支援は不要”ととらえ、支援が必要だと訴えると、“それならば、治療するべき病気だ”と扱いたがる人が多いようです。病気としての治療ではなく、苦しみを和らげるための支援が必要な、フラットな状態であることが理解されづらいのです。
さらに、'10年に発表された厚生労働省のガイドラインでも、病気とみなす『医療化』の考えが強く反映されている。
「おそらく、厚労省は当事者の家族会などからの要望を受けたかたちだと思われます。ひきこもりが病気として診断されると保険診療の対象になるので、費用が安くなる。しかし、そもそも当事者たちは病気扱いされることを望みませんし、その状態で家族が無理やり病院につれていくのは、逆効果。当事者を病気扱いしているうちは信頼関係が築けませんから、いずれにせよ、病気としてみないほうがよいでしょう。それではスティグマ(個人に不名誉や屈辱を引き起こすもの)は消えません。
では、どう対処すべきか。医療の対象ではなく、“福祉”の支援対象のカテゴリに入れることが賢明でしょう。デイケアや、当事者らで構成された自助グループ、就労支援機関など、さまざまな社会資源にアクセスすることも可能になりますし、そういった人々の頑張りが、当事者の役に立つことが多いのです。本人が自ら希望する場合を除いて、治療を強要するのは間違っています」
「一緒に正解を探していく」という姿勢を
我々が個人レベルでもできる、ひきこもり脱出の一助となり得るアクションはあるだろうか。
「前述したように、ひきこもりに陥ってしまった人たちは、親からの押しつけや職場でのハラスメント、学校でのいじめなどが原因で、主体性を奪われた状態です。その相手に対して、家族が例えば“外に出て働けば変わる”などと結論ありきの指示や説得をしても、逆効果になってしまう。
かといって、当事者の主張をすべて受け入れる必要もありません。異論があれば、それは伝えてもいい。例えば“もう一生、働かない”と言われた場合、頭ごなしに否定することは控えつつも“親としては残念だ”と心境を伝えてもいいし、なぜそう考えるのかを尋ねてもいい。
まずいのは、本人の意思を尊重せず、世間の常識に当てはめて“それは間違っている”と押し付けること。ひきこもり当事者は自分を変えようとする圧力に敏感ですから、強制的ではない、対等なコミュニケーションを積み重ねていくことでしか、信頼関係は築けないのです。その意味では本人よりも、まずは家族や周囲が先に変わり、歩み寄る必要があるのです」
この対話を重視したコミュニケーションは、フィンランドで開発された『オープンダイアローグ』という手法を参考にされている。当事者の主体性を育むうえで、非常に効果的だという。
「'80年代から開発、実践されてきた手法で、もともとは統合失調症の患者への治療方法でした。高い成果があがっていて、再発率の低下や社会復帰率の上昇といったエビデンスも確立されています。コツとしては『変化』『改善』『治癒』を目的とせずに、対話を続けることのみを目指します。対話をする際には相手の話を否定せず、必ず最後まで聞く。そして、その感想を言う。こういったコミュニケーションを続けるなかで、当事者の権利と尊厳が尊重された結果、主体性が生まれ、副産物として改善の効果もある、ということになります」
本人の主体性が生まれることで、思ってもみない可能性が開けることもある。斎藤氏と親交のある『ひきこもり新聞』の編集長・木村ナオヒロ氏はその一例だ。もともとは自身がひきこもり当事者だったが、現在は、経験者としての立場から、社会への問題提起をおこなっている。
「木村さんはひきこもりを脱出したあとに新聞を立ち上げたわけですが、私が一般的なモデルをベースに考えていたら、おそらくデイケアや就労支援に行くことを提案していたでしょう。ところが、ご自身で動いて、予想をはるかに超えた展開になりました。このように、自分のことは自分で考えているわけなので、狭い想像の範囲で誘導してしまわずに本人の主体性を信じるのが、いちばんの近道なのだと思います」
最後に、ひきこもりを減らしていくために必要な施策を聞くと「専門相談ができるスタッフを配置すること」だという。海外でも、類似の策を実施している国は多い。
「上述したような対話ができる専門相談員を、全国的に配置することが必要です。私の試算では、人口10万人規模に対して2〜3人いれば十分だと思います。自治体に任せきりにすると、人事異動で連続性が失われるので、民間ネットワークを自治体が資金面で援助をするかたちがよいでしょう」
この相談員について「高度な専門性や医療の知識、学歴は求めない」と語る斎藤氏。どのようなスキルが必要なのだろうか。
「重要なのは、オープンダイアローグについての話と同じで、不用意にアドバイスやダメ出しをしたり、教え導くことを“まずい”と感じるセンス。“これが正解だから”と強要せずに、一緒に正解をさがしていく。そういった共同作業ができるような研修を受けて、“対話とはなにか”を理解する必要があります。研修では当事者と話をし、対話になっていたか、傷つけられなかったか、結論を押し付けられなかったかなどを記入してもらい、フィードバックを受けるなかで、身につけてもらえればと。
たった3時間ほど研修をしただけで完璧にやってのける方もいますし、そもそも、この対話の姿勢が有効なのはひきこもりに限っての話ではありません。あらゆる支援活動の現場において、必要なスキルなのではないでしょうか」
人の話を最後まで聞いて、リアクションをする。不用意なダメ出しをしない。これは、言ってみれば他人と関わるうえで、当然の態度ではないだろうか。職場や学校、家庭において、そんな当たり前のコミュニケーションもできない人と接してきたことで、主体性を奪われてきたのが、ひきこもりの人々なのかもしれない。
(取材・文/森ユースケ、取材協力/『ひきこもり新聞』編集長・木村ナオヒロ)
【PROFILE】
斎藤環(さいとう・たまき) ◎1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、病跡学、ラカンの精神分析。『ひきこもり』診療の世界的な第一人者として、治療・支援ならびに啓蒙活動に従事。著書に『中高年ひきこもり』『社会的ひきこもり』『家族の痕跡』『母は娘の人生を支配する』『「社会的うつ病」の治し方』ほか多数。