夫婦が仲よく飲み歩いていた近所の飲食店街も、すでに閑散としていた

「言ってはいけないひと言でした。男性は基本的にプライドで生きており、仕事や稼ぎに誇りを持っている人が多いものです」

 犯罪者心理に詳しい新潟青陵大学大学院の碓井真史教授は、事件のきっかけとなった“禁句”について、そう話した。

珍しいくらい仲のいい夫婦だった

 新型コロナウイルスの感染者が急増し、安倍晋三首相が「緊急事態宣言」を出す2日前の4月5日の夜、東京の下町・江戸川区で“コロナ殺人”とも言える事件が起きてしまった。

 その日は日曜日で、会社員の牧野和男容疑者と妻でパートの美紀さんは、午後6時ごろから夕食がてら一緒に晩酌をしていた。

 しかし、5時間が過ぎた11時15分ごろ、美紀さんが思わず言い放ってしまった不満に和男容疑者はキレてしまったのだ─。

「地元では若いころからおしどり夫婦として知られている評判の夫婦でした。みなさん本当に驚いているし、気の毒に思っていますよ。旦那さんがなんとか情状酌量で無罪にならないかと願っています」

 と夫婦を知る近所の主婦は悲しむ。

 最近では、感染はしていないものの「コロナ疲れ」「コロナうつ」、「コロナ離婚」など、さまざま事象が報告されているが、ついに死亡事件まで発生してしまった─。

「夫婦は酒が強く、20代の若いころからよく連れだって飲みに行っていました。ホントに珍しいくらい仲のいい夫婦だった。なんで、こんなことになってしまったのか……。

 コロナでストレスがたまっていた奥さんが、珍しく余計なことを言ってしまい、夫婦ゲンカに慣れていない旦那さんが、つい手を出してしまったのかも。でも、いまは旦那さん自身がいちばん後悔しているでしょうね」(別の近所の主婦) 

 激高した和男容疑者は、美紀さんに平手打ちなどの暴行を加え、美紀さんは床に転倒して後頭部を打ちつけ、そのまま動かなくなってしまったのか─。

 空白の時間に何があったかは不明だが、和男容疑者は45分後の午前0時ごろ、みずから119番通報。

 傷害容疑で警視庁小岩署に逮捕され、「カッとなった」などと犯行の動機を自供したが、その後、美紀さんは搬送先の病院で帰らぬ人となってしまった……。

家賃が家計を圧迫か

 亡くなった美紀さんは身長155センチぐらいで、少しふくよかな愛想のいい可愛らしい人だったようだ。

「明るくて謙虚で、キツイところはまったくなかったですよ。結婚が早くて20歳ぐらいで子どもを産み、2人のお母さんで、ママ友が多かった。昔は近所のベーカリーで車の移動販売をされていました」(同・主婦)

 15年くらい前からは、近隣のケータリング会社で、パートとして働いていた。

 店長が打ち明ける。

「とても仕事熱心な女性でした。最初は配達と配膳をやっていましたが、最近はほとんど配膳が中心でしたね。

 給料が減ったことについては、……こういう状況ですから、しかたなくてね。パーティーや大きな葬式が自粛でなくなってしまったので、仕事が激減して、やむなくそうせざるをえなくなってしまいました。それが原因だとしたら、本当に申し訳ないことをしたと思っています」

 職場でも夫婦仲はよく映っていたようだ。

「牧野さんは配膳先の現場で仕事を終えることが多いのですが、そこへ旦那さんが車で迎えにくることがよくありましてね。うらやましいくらい、仲睦まじい夫婦でした」(店長)

 といっても、和男容疑者は無職だったわけではない。

「彼は会社員で、建設関係の職人さんでしたが、コロナで現場の仕事が減っていたのかもしれません……。仕事仲間ともよく連れだって飲みに来ていましたけど、言葉遣いも丁寧でね。飲み屋でのケンカなど、1度も聞いたことがないくらい」(近所の居酒屋の店主)

 実は夫婦が住んでいたマンションの家賃が、家計を圧迫していたかもしれないと話すのは、別の近所の女性。

牧野さんが住んでいたマンションは狭くても2LDKで、家賃は15万円前後です。リビングが広くて、ベランダも広いの。春にはベランダから花見ができるいい場所なんですよ。

 しかも、最上階の9階に住んでいたので、夫婦にどれだけ収入や貯蓄があったかはわかりませんが、定年間際の夫婦にとっては少し高額な印象ですよね」

事件現場となったマンションの最上階の9階に、夫婦は子ども2人と住んでいたことも

言ってはいけなかった言葉

 そんな状況であればこそ、いくらおしどり夫婦でも収入への文句や愚痴が出てしまったのかもしれない。

「うちに来院したり、相談の電話を入れたりする方も、不安に陥っていたり、いらいらしたりしている人が多い状況です」

 そう病院での現状を説明するのは、東京・品川区の感染症専門医「KARADA内科クリニック」の佐藤昭裕院長。

「新型コロナの症状が出ていないのに疑ったり、違うと言っても納得しなかったりする人が増えています。

 精神的に危ない状況、過敏になりすぎて妄想に陥っている人までいます。日本人はその程度の症状ですむことが多いですが、欧米ではDV(家庭内暴力)にまでなるケースも報告されています。なんとかこの事態を乗り越えないと、今回のような事件がまた起きてしまいます

 冒頭の碓井教授も同様の事件への懸念を示す。

「この夫婦だけの特殊な事件とは思えません。新型コロナの自粛生活が長引くなか、在宅時間が増えて、夫婦仲が悪くなったという話をよく聞きます。

 赤の他人に言われて聞き流せることも、最も理解してもらいたいパートナーには言われたくないもの。仲のいい夫婦なら、なおさらです」

 一方の妻の側も、いまはストレスがたまっていると碓井教授が続ける。

ママ友とのおしゃべりや、女子会もできなくなっています。ストレスを抱えた者同士が自宅で長時間、一緒にいるうちに、ふだんならば決して口にしないひと言が出て、それがエスカレートしていったのではないでしょうか。

 怒りの感情は、6秒待つと落ち着くと言われていますので、カッとなっても、グッとこらえて6秒数えましょう」

 おしどり夫婦を襲った目に見えない敵であるコロナ。こうした事件が再び起こらないためにも、一刻も早い生活支援などの対策が求められる。

 そして、「コロナのせいで自分の出勤回数や収入が減った」と、美紀さんが愚痴を漏らした後に思わず口にした言葉─。

「あなたの稼ぎが少ない!」

 は、夫婦どちらも決して口にしてはいけない禁句だということを肝に銘じたい。


【識者PROFILE】
◎KARADA内科クリニック 佐藤昭裕院長 
東京都品川区西五反田1-2-8 FUNDES五反田10階
電話……03-3495-0192