“倉木パパ”こと山前五十洋(やまさき・いそみ)さんが4月5日に心不全で亡くなった。享年76歳。
「倉木麻衣さんの実父ですが、ずっと絶縁状態でした。でも、葬儀では彼女が喪主を務め、遺骨を拾って引き取っています」(スポーツ紙記者)
山前さんと倉木が疎遠になったのは、ある事件がきっかけ。
「倉木さんは‘99年に『Love, Day After Tomorrow』でデビューし、ヒット曲を連発。人気ミュージシャンになった後、 ‘01年に山前さんがプロデューサーとして名を連ねた、倉木さんにそっくりなセクシー女優が出演するアダルトビデオが発売されました。山前さんは“史上最低の父親”と大バッシングを受けることに」(音楽ライター)
娘と奇跡的な再会をしそうになるも……
しかし、実際の事情は少々違うという。
「山前さんは、知人の映像関係者に“ある女優を売り出したいから協力してほしい”と言われて打ち合わせに行っただけなんです。女優さんと一緒に写真を撮ると、翌日《倉木麻衣の父親、娘のそっくりさんでAV監督デビュー》と報道されました。制作陣は、父親が作ったとなれば話題になると考えたのでしょうね。本人は承諾しておらず、勝手に名前を使われてしまったのです。お金はいっさい受け取らなかったそうです」(映像制作関係者)
山前さんと倉木の母は離婚しており、父娘は中学生以来一度も顔を合わせていない。前述の悪評が広がったことで、決定的な溝が生まれた。
「山前さんはもともと俳優で、‘60年にフジテレビの時代劇『天馬天平』で主役としてデビュー。その後25歳で、CM制作会社を設立しています。このころ、後に娘の倉木さんが所属することになる芸能プロダクションの創業者と出会い、ともに仕事もしました。歌手の岸田智史や女優の浅野温子を売り出したこともありました」(映画ライター)
倉木が生まれたのは、山前さんが40歳のとき。3歳になった彼女を、自らが手がけたカツラのCMに起用したことも。
「映画監督としても、いくつかの作品を制作しました。しかし、‘17年に心臓弁膜症が発覚し、手術を受けています。厳しい闘病生活でしたが、その年の紅白歌合戦に倉木さんが出場すると聞いて、絶対に見るんだと頑張ったそうです」(前出・映画ライター)
山前さんの映画に出演した俳優の古藤聡は、娘への思いをよく聞かされていた。
「映画に対する情熱の強い方でした。亡くなる直前にも電話がきて、また映画を作るから出演してほしいと言われましたね。いつも、娘さんに会いたいと話していました。映画を撮り続けようとしていたのは、大好きな映画に対する情熱はもちろん、同じ芸能という世界を通じて、娘さんと繋がっていたかったという思いもあったのかな」
山前さんが亡くなる前には、“和解”の兆しも見えた。
「昨年『山前五十洋デビュー60周年イベント』が開かれました。チラシには倉木さんの顔写真もありました」(山前さんの友人)
娘と奇跡的な再会をしそうになったことも。
「‘17年に行われた倉木さんのライブに、山前さんが駆けつけました。歌が終わると抽選会が始まったんです。当選者は倉木さんと一緒に写真を撮れるというファンサービスでした。そこで、彼女が山前さんの持っていた抽選番号を引いたんです。数千人いる中で、数枚しかない当たりを倉木さんが引いた。でも、彼は同伴した女性に譲ってしまった。騒ぎになることを恐れたのでしょう」(山前さんと親交のあった映画関係者)
チャンスがあったのに、なぜ顔を合わせにいかなかったのか。
山前さんと1年半暮らしていたという映画監督の竹内英孝さんはこう語る。
「彼はファンクラブにも入っていたので、会うこともできたはず。でも、それをしなかった。娘が本当に会いたがっているかもわかりませんし、自分から行くのは父親としてプライドが許さなかったのだと思います」
山前さんは、娘への思いを歌った曲を作っていた。作詞は山前さん。作曲をした音楽家の太田勝一郎さんが明かす。
「山前さんから詞をいただき、私が曲を作りました。‘09年のことで、今でもユーチューブに残っています。娘に対する気持ちが伝わってきて、私も涙を流しながら作曲しましたね。いつも麻衣さんに聴かせたいと話していましたよ。対面が叶わず亡くなってしまった今、なんとか彼女にこの曲を聴いてほしいと思います」