“行く予定だった旅先”“思い出のあの町”そして“帰れない故郷”。今は行けないけど、銘菓にまつわるエピソードを読めば行った気分を味わえる! お取り寄せできるから、食べて銘菓をサポートしよう。
北海道音更町/柳月の『三方六』
故・森繁久彌さんのお気に入りで、毎日ブランチに欠かさず食していたという柳月(りゅうげつ)の『三方六(さんぽうろく)』。2色のチョコで白樺模様が描かれた、しっとりした口当たりのバウムクーヘンは、世代を超えて人々に“口福”を与え続け、今年で発売55年を迎える。
柳月の創業は、戦後間もない1947年。現在も本店がある北海道帯広市で、アイスキャンディーを作って売り歩くことからスタートしたという。
帯広といえば、畑作と酪農が盛んで“北海道のスイーツ王国”といわれる十勝地方の中心地。戦前から高品質の小豆やビートがとれ、多くの菓子店がしのぎを削っていた中、柳月は『アイスまんじゅう』と『ピンクのかき氷』という、当時としてはとてもユニークだった商品で人気を集めた。
そうした“ほかにはない魅力の菓子を作る”という思いは、後の三方六誕生にもつながっている。1960年代初め、時代とともに変化する味の好みに合わせ、当時流行していたバウムクーヘンの職人をドイツから招き、新商品の開発をスタート。本場ならではのずっしり粗めの生地ではなく、日本人の好みに合わせて、ご飯のようにしっとりした口当たりを目指した。5年あまりも試行錯誤を重ね、完成したのだ。
その口当たりの秘訣の一つは、バターをたっぷり使うこと。そのぶん生地が重くなって、当初バウムクーヘン用のオーブンでクルクル回して焼いていると、芯棒から落ちてしまうこともあったとか。バウムクーヘンといえば輪切りが当たり前だが、先代の社長がその失敗を目撃し、縦割りで売ることを思いつく。かつて北海道の暖房に欠かせなかった薪(まき)そっくりの形に!
「三方六」という変わった名前は、三方を六寸(約18センチ)にする薪割りの呼び名に由来する。加えて、帯広市の木である白樺をイメージして模様を描き、唯一無二のバウムクーヘンが完成した。
時を経て'08年には初めて味のバリエーションが登場。現在は通年でメープル味が、季節によって抹茶味、しょこら味などが販売されている。また、ばらまき土産用に個包装の「小割(こわり)」タイプも販売をスタート。期間限定の味も出て、三方六ワールドがどんどん広がっている。
柳月の個性あふれる菓子作りと地元の素材にこだわる姿勢は健在。現在、圧倒的な人気を誇る『あんバタサン』は、餡とバターの禁断の組み合わせが絶妙だ。
NHKの朝ドラ『なつぞら』制作にあたっては地元の菓子をめぐる歴史について情報提供しており、登場した菓子のモデルではと噂されている。三方六も柳月も、まだまだ目が離せない。
長野県上田市/飯島商店の『みすゞ飴』
信州・上田を旅した人なら必ず立ち寄るであろう場所がここ、飯島商店だ。大正13年に建てられたクラシカルな洋館。石目造りの壁に鉄柵、ドアマン(ドアガールの場合も)に導かれて店内に足を踏み入れると、まず手渡されるウエルカムドリンク……。
有形文化財に指定された建物であり、上田市が誇る観光スポットでもある飯島商店は、あの『みすゞ飴』を作っている会社である。
みすゞ飴は、国産果物の果汁と寒天、水あめのみで作られた乾燥ゼリー菓子だ。保存料、着色料、香料は一切使わず、ほぼすべての工程が手作業だが、値段は手ごろ。良質安価をモットーとする同社のこだわりだ。ひと口食べれば、ギュッと濃縮された果物の味が広がる。商品名にある“みすゞ”は信濃の国にかかる枕詞。果物王国・信州の果物をふんだんに使った素朴な郷土菓子にふさわしい。
そもそも飯島商店の母体は江戸時代、穀物商を営んでいた「油屋」という商家。あめ屋へと業種転換したのは5代目当主・新三郎だった。明治33年、東京深川近郊で洪水が起き大量の冠水米が出た。農家を救うべく新三郎は米を水飴に加工。その売り先だったのが森永製菓だ。
新三郎は森永製菓の創業者、森永太一郎とともにリヤカーでキャラメルを売り歩き、ほどなくミルクキャラメルは大ヒット。屋号は油屋から飯島商店に、穀物商からあめ屋に生まれ変わり大いに栄えた。水飴の成功に満足していなかった新三郎は“信州ならでは”の製品を開発。信州特産の果実を使ったみすゞ飴は、美しい名と本格志向の味で、発売と同時に爆発的人気を博した。
大正時代から昭和初期にかけて羊羹やみそなどの新商品を出していた飯島商店だが、戦前に作り始めたジャムは今も大人気だ。みすゞ飴とともに、地元のみならず全国のファンを今日も虜にしている。
東京都中央区/銀座ウエストの『リーフパイ』
リーフパイといえば焼き菓子の定番だが、銀座ウエストの『リーフパイ』はとりわけファンが多い。サクッとしたパイの軽さとザラメの歯ごたえのあとに訪れる、豊かな風味。食べると決まって満ち足りた気分になる。
原材料はフレッシュバターに小麦粉、砂糖、卵だけ。あれだけ薄いのに、職人がバターと小麦粉生地を256層にも折りたたんでいて、成形まですべてが手作業だ。葉の形も1本1本の葉脈も、1枚ずつ微妙に異なる。
銀座ウエストは1947年、現在の本店がある銀座の地に高級レストランとしてオープン。コーヒー1杯10円の時代、ビーフステーキをメインとしたフルコースの洋食を1000円でふるまった。
ところが開店半年あまりで、終戦後の“ぜいたく”禁止令で1人前75円以上のメニューが禁止に。やむなく製菓部門のみを残して喫茶として店を続けた。翌年、クラシック音楽を流す名曲喫茶に変身しつつ、リーフパイも作り始める。定時にプログラムを組み解説つきで曲を流す『名曲の夕べ』を開き、その珍しい趣向に惹かれ文化人が集うように。
かつてプログラムを掲載していたリーフレットは『風の詩』と名前を変え、いまも喫茶や店舗で無料配布している。店に寄せられた詩やエッセイを毎週1編ずつ紹介し、すでに3700号を超えており、ファンも多い。
また、'62年には店の前の通りが2年にわたって工事中となり、来客が激減した。そこで土産用のドライケーキ(焼き菓子)の開発に力を注いだ。リーフパイも含め缶入りにし、料亭などに出向いて販売。製造業を拡大させた。
こうして大切な人に贈りたい銘菓となったリーフパイ。オーブンで40秒温めてから人肌になるまで冷まして食べると、焼きたてのような風味と食感が楽しめるとか。
昨年はラグビーボール型のリーフパイを作って初のコラボ商品を発売。遊び心を加えても、昔と変わらず1枚ずつていねいに作ってこその味わいと品格は揺るぎない。
大阪府箕面市/マダムシンコの『マダムブリュレ』
大阪人の大好きなヒョウ柄。そのヒョウ柄の威力を存分に発揮しつつ、圧倒的な存在感と人気を誇るスイーツが、マダムシンコの『マダムブリュレ』だ。メープルシロップをしみ込ませたバウムクーヘンの表面に、フランス産の赤砂糖をたっぷりまぶし、クリームブリュレのようにカラメリゼしたという、これまでなかった至極の味わい。また、“常温・加熱・冷凍状態”という、3種類の楽しみ方ができるというのも魅力のひとつだろう。
いまや大阪名物としてはもちろん、バウムクーヘンの代名詞にもなりつつあるこのマダムブリュレ。素材から食べ方、個性的なパッケージまで、「マダムシンコ」こと川村信子会長のこだわりが細部まで詰まったこの人気商品は、カラメルのようにほろ苦い人生の努力と涙の結晶でもある。
裕福でなかった幼少期、誕生日に母が焼いてくれた、ホットケーキが年に1度の贅沢だった──。
その後、家庭環境に反発して家を飛び出し、18歳から働きづめだった信子会長。銀座の高級クラブのオーナーママだったことも。バブル崩壊の兆しを見据えて帰阪、焼き肉店や和菓子店などを経営する。しかし狂牛病騒動や従業員の裏切りにあい、多額の借金を抱えることに。
そんな、お金もスタッフも足りない中、試行錯誤を重ねて考案したのが、マダムブリュレだった。誰もが懐かしむであろう「母の味」であるホットケーキ。それをベースにした味わいに、ひと工夫をしたら、新しいのに親しみやすい味に──。このコンセプトは大いに当たり、今に至るというわけだ。
華やかなパッケージの中にある、努力と涙の結晶。甘くてほろ苦いけれども、かけがえのない思い出もたくさんあるはず。マダムブリュレをともにしたコーヒーブレイクは、自分の人生を振り返る素敵な時間になることだろう。
福岡県福岡市/東雲堂の『にわかせんぺい』
初めて見たら、その愉快なビジュアルに笑ってしまう。八の字眉にタレ目などとぼけた表情を焼きつけた『にわかせんぺい』は、地元の郷土芸能“博多にわか”を演じるとき、顔につける半面をかたどった甘いせんべい。博多にわかとは最後に面白いオチがつく会話劇で、即興で繰り広げるものもあるそうだ。
“にわか面”が菓子となったのは、1906(明治39)年のこと。東雲堂の初代当主が、博多駅の駅長から「博多らしい土産物がない」と相談され、博多にわかが好きだったことから作り始めた。
正式な商品名は『二○加煎餅』で、発売当初から「せんぺい」と呼んでいたのは、「そのころの博多弁だったのでは。本当なら『しぇんぺい』だったと思われます」と、6代目当主を継いだ高木雄三さんは推測する。
ほぼ砂糖に小麦粉、鶏卵だけで作る素朴な味だが、その日の気温や湿度によって、職人が微妙に調整しながら焼き上げている。飽きのこない美味しさは、地元でいつの時代も年齢を問わず親しまれてきた。何も食べられなくなったおばあさんが、亡くなる前ににわかせんぺいを欲しがり、家族が小さく砕いて食べさせてあげたという話も。
また、ユーモラスな表情はもともと男面、女面、年寄り面、若者面の4種類だったが、'04年ごろにウインク面を追加。サイズは特大・中・小とあり、中サイズだけ丸みをつけた形状で、より香ばしい。
箱入り商品には、すべて紙製のにわか面のおまけつき。SNSには、にわかせんぺいを目のあたりにサッと掲げて撮影する画像が数多く並ぶ。遊び心を誘う銘菓なのだ。
最近はさまざまなコラボが実現して、ドラえもん、ワンピース、サンリオキャラクターに東方神起などのにわかせんぺいが、ファンを喜ばせた。買った人だけでなく作り手も楽しんでいて、ますます遊び心が満載なのだ。
1.柳月
電話:0120-25-5566 住所:北海道河東郡音更町下音更北9線西18-2スイートピア・ガーデン
●三方六プレーン680円。三方六メープルは720円。三方六の小割5本入り650円(すべて税込み)
2.飯島商店
電話:0120-511-346 住所:長野県上田市中央1-1-21
●みすゞ飴角袋入508円(税込み、以下同)、和紙包装40粒1156円、《2020新物》【四季のジャム】完熟いちご長野県産L(580g)972円ほか
3.銀座ウエスト
電話:0120-73-5622 住所:東京都中央区銀座7-3-6
●リーフパイ5枚袋入り648円、8枚箱入り1296円。リトルリーフパイ90g入り2808円【ひと口サイズのリーフパイ】(すべて税込み)
4.マダムシンコ
電話:06-6468-4538 住所:大阪府箕面市今宮4-10-44
●マダムブリュレ1600円、【春季限定】いちご棒ブリュレ1300円、ストロベリーバウム1700円(すべて税抜き)
5.東雲堂
電話:092-611-2750 住所:福岡県福岡市博多区吉塚6-10-16
●にわかせんぺい 小3枚入×4箱540円、特大3枚入648円、中3枚入×8袋1296円。にわかもなか6個入540円(すべて税込み)
日本全国あの銘菓!
エキソンパイ(福島県・郡山市)
1960年販売開始。くるみ入りの欧風あんをパイ生地でくるんで焼き上げたもの。「エキソン」はフランス語の盾を意味するという。四角い形が盾に見えなくもない。
金萬(秋田県・秋田市)
卵入りの白あんをカステラ状の生地で包んだ丸い小判型の菓子。金座街と呼ばれた秋田駅一帯。「金座街のまんじゅう」から「金万」となり、その後「金萬」となった。
グーテ・デ・ロワ(群馬県・高崎市)
フランスで“お茶会”の意味をもつ「王様のおやつ」(贅沢で楽しいこと)が品名の由来。元老舗製菓・製パンメーカーが、バゲットをラスクに開発し、爆発的ヒットに。
ありあけ横濱ハーバー(神奈川県・横浜市)
栗と栗餡を薄いソフトなカステラで包んだ船型の菓子。パッケージの船“クイーン・メリー2”のイラストは、船と港町・横浜を愛する柳原良平画伯が描いている。
じろあめ(石川県・金沢市)
米と大麦で作られた水あめ状のあめ。1830年、初代店主が母乳の出ない母たちのために作ったといわれる。ドラマ『半沢直樹』(TBS系)の主人公の好物として登場し話題に。
阿闍梨餅(京都府・京都市)
「比叡山で修行する僧侶」にちなんで大正期に作られた京都銘菓。とは高僧を意味する梵語。餅粉ベースのもちもちとした皮で粒あんをくるんだ半生菓子。
ミレービスケット(高知県・高知市)
豆類の加工販売店が昭和30年に作り始めたコイン型ビスケット。豆を揚げた油をブレンドした塩気が効いた味わい。漫画家やなせたかしのキャラ“ミレーちゃん”が目印。
チロリアン(福岡県・福岡市)
1962年発売の、クリームを入れたロールクッキー。博多の人々が屋号『千鳥屋』を“チロリ屋”と呼んでいたことが名前の由来だという。「チロ~リアン♪」のCMは有名。
タンナファクルー(沖縄県・那覇市)
黒糖、小麦粉、重曹で作った素朴な焼き菓子。考案者・島那覇次郎(島言葉でタンナファ・ジルー)が色黒(クルー)であったことから、この名がついたという。
(取材・文/宮下二葉)