ベストマザー賞の授賞式に登場した蓮舫('16年5月6日)

 立憲民主党・蓮舫副代表の国会での発言が、炎上した。29日の参院予算委員会で新型コロナウイルス問題による貧困に触れ、中小事業者たち向けの持続化給付金の対象に大学生も入れるよう提言。その際、

「学校を辞めたら高卒になる! 就職はどうなる!」

 とまくしたてたのが「しれっと高卒を馬鹿にする蓮舫」として、ネット上で炎上することに。有名人からも「高卒でゴメンね」(ほんこん)「実質中卒の自分からしたら高卒もえぐいけどな」(ダルビッシュ有)という声が飛び出した。民主党政権時代の仕分け事業で自身が発した名言っぽくいえば「高卒じゃ駄目なんでしょうか」といったところだ。

 翌日には、自身のツイッターで、

高卒で頑張っておられる方々に心からお詫びします。(中略) 使う言葉が全く駄目です

 と、謝罪するハメとなった。

 ちなみに、そんな蓮舫本人は大卒。青学こと青山学院の幼稚園から小中高と進んで、大学の法学部を卒業した。が、そのまま政治家になったわけではない。忘れた人もいるだろうが、かつては芸能人でグラビアアイドルだった。

芸能人時代の蓮舫は

 世に出たきっかけは、大学在学中に選ばれたクラリオンガール。初代のアグネス・ラムを皮切りに烏丸せつこ宮崎ますみかとうれいこ大河内志保原千晶らを輩出したオーディションだ。なかでも、今となっては一番の出世頭が第14代・蓮舫(と書くと、相撲の横綱みたいだ)である。

 ただ、グラビアアイドルとしてはそのポジションは微妙だった。当時、ブームだった巨乳系ではなく、また、そのころから自己主張の激しいキャラだったため、男ウケは今ひとつ。アシスタントを務めた『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)では、司会のビートたけしにこういじられていたものだ。

クラリオンガール史上、最も写真集が売れなかったのはこの人です

 さらに、雑誌の「一度でいいからなぐりたい方々ベスト20」で1位になったり、替え歌芸人の金谷ヒデユキにCM(サッポロ黒ラベル)での高飛車ぶりを揶揄(やゆ)されたりもした。

強いメンタルの裏にある優しい素顔

 それでも、持ち前の強いメンタルは当時から健在。'92年には、

私がワイドショーを変えます

 と豪語して『3時にあいましょう』(TBS系)のキャスターに就任した。が、その実力には疑問符が。たとえば、前出の『スーパーJOCKEY』で彼女は「がきてき」という言葉を連発したことがある。何かと思えば「画期的(かっきてき)」をそう読むと勘違いしていたようだ。

 しかも、その数週間後にもまた「がきてき」を連発。こうした勘違いは誰にもあることだが、周囲から指摘されなかったのか、あるいは、あのキャラだから周囲も指摘しにくかったのだろうか。

 とはいえ、キャスターに転身した背景には、彼女なりの「本気」があった。台湾人の父を持つことから、'89年に中国で起きた天安門事件にはショックを受けたという。同世代の若者が自由のために権力と戦う光景をテレビで見て「涙が止まりませんでした」と語っているほどだ。

 そんなキャスター・蓮舫の姿で印象的だったのが、'92年4月に尾崎豊が26歳で急死したときのこと。彼女は嗚咽しながら、

日本の国民万人にね、知られている歌手ではなかったけど、若い子の認知度はすごいあった人で、私、個人的に知ってたんですけども、ごめんなさい、びっくりして……

 と、哀しみを吐露した。尾崎は青学の高等部を中退してデビュー。彼女はその2学年後輩にあたるから、何らかの接点があったのだろう。

 こうしたエピソードからもわかるように、彼女は人情家で、また、特に学歴差別者というわけでもなさそうだ。むしろ、彼女自身にも、グラドル出身という経歴がつきまとう。つまり、根っからのエリート政治家ではないわけで、もう少し温かい目で見るべきかもしれない。そう、芸能界・卒でも「頑張っておられる」のだから。

PROFILE
●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。