(左から)マット、ROLAND、ジェジュン

「ジェンダー」とは、社会や文化が作り上げた性役割であり、いわゆる男らしさや女らしさといった概念のこと。それに縛られない男子が最近、急増中。それって、男女平等も進んでいるということ? 実は、そう簡単なことでもないようで……。歴史や文化の背景を踏まえ、“限界突破”をした彼らの深層を読み解いてみた──。

ジェンダーレス男子とは

 2019年12月に発表された、男女平等の度合いを国別に比較した「ジェンダーギャップ指数」で、対象の153か国中121位だったのが、わが国日本。先進7か国中では最下位という、かなり恥ずべき結果となった。

 この数字が示すように、日本にはいまだに歴然とした男女差別があるのは事実。一方で「家族を養ってこそ一人前の男」「仕事第一」という、伝統的な男らしさに対し、拒絶反応を示す男性たちが増えてきているのも事実だ。

 終身雇用制度が崩壊し年金はあてにならず、経済状況も一変した現在では、これまでの性別役割分業から生まれた“男らしさ”という価値観は現在の若者には合わないのかもしれない。

 それを象徴するかのように、最近注目を集めているのが、いわゆる“ジェンダーレス男子”たち。女性ものの服を身にまとい、お肌のお手入れやメイクもばっちり。でも彼らは“女性になりたい”というわけではなく、自分なりの美を追求しているだけなのだ。

 芸能界でも、MattりゅうちぇるジェジュンROLAND、整形マニアのアレン……といった、このジェンダーレスにカテゴライズされるタレントが増えてきている。

 男らしさよりも自分らしさを貫く彼らの生き方は、令和以降の新しい“らしさ”の基準となっていくのかもしれない。

 ただ、歴史作家であり、歴史の中の男女の権利に詳しい堀江宏樹さんはこう語る。

男らしさの規範の中で生きるのがつらい。男性としての自分に窮屈さ、可能性のなさや限界を感じている。だから現状打破の手段として新天地のジェンダーレスという異性装に走っている感じもあると思います。

 実は、セクシュアリティーを問わず男性にとって女装をするのも、ジムに通ってマッチョになるのも、見た目の方向性が違うだけで、自分ではない人間になり代わりたいという願望の表れであり、根っこは同じなんだと思います

 意外や意外、フェミニンになるのもマッチョになるのも、男性にとっては根本的には同質の変身願望だというのだ。

「NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』で唐沢寿明が演じた役のモデルとなった『暮しの手帖』の創刊者である花森安治。彼は、おかっぱにスカートという女性の姿で通していましたが、これは男女同権のためではなく、当時の軍国主義体制への抵抗の象徴でした。主義主張としてのジェンダーレスだったのです

 反対に、これまでの歴史の中で女性が異性装をする場合、男性のように限界を感じて自分を解放したい、ということよりも、基本的に仕事を得るため、生きていくため、社会的に活躍するため、という方向性が強かった。現代においても、SNS上であえて女性であることを出さずに発言する女性たちが増えています。社会に即座にコミットするには、女性であるという立場はまだハードルが高い……ということなのでしょう

 70年前、フランスの女性哲学者ボーヴォワールは「男は人間として定義され、女は女性として定義される。女が人間として振る舞うと男のまねをしていると言われる」という言葉を残したが、まさにそれが現在も続いているということだろう。

「ジェンダーレス男子たちが女性的な格好をしたからといって、そんな彼らが女性の気持ちに寄り添えるようになった……、というと、それはどうでしょうか。

 称賛を浴びたいから、女性にモテたいから“ジェンダーレス男子”になった人も少なからずいるでしょう。また、りゅうちぇるは“家族を守ることを心に刻むためにタトゥーを入れた”などと言ってしまうような旧体制の“男らしさ”に近い思想を持っている。女性に近い見た目だからといって、長い間役割を固定され、権利も制限されてきた女性の気持ちがわかる、というわけではないのです」

 一方、こんな意見も。

旧体制の男らしさが信じられなくなった今、現代の男性は余計に自分探しをしなくてはならなくて、つらそうだなあと思います

 こう語るのは日本大学芸術学部文芸学科教授・ソコロワ山下聖美さんだ。

“自分探し”という概念

日本人は、明治になって英語の“I=自分”という概念が入るまで、“自分とは何か”という考えはなかったんです。そこから現在に至るまでの“自分探し”が始まったといえます。

 それに加えて、立場があいまいではいけないから“男性はこうあるもの”“女性はこうあるもの”という思想の概念も広まるようになりました。特に社会的な役割を一身に担わされた男性は、余計に社会における自分とは何かを探さなくてはならなくなったのです。そして、その見つけた“自分”を、男として何かしらの形にしなくてはならなかった。事実、近代文学は“自分”を追求し続けた小説が多いです」

 明治以前は年齢や性差で役割が決まっていた。

近代が生んだ“男らしさ”が現代には即さないものになっても、“自分探し”という概念は植えつけられたまま残っている。それの一端が現代の男性たちの“ジェンダーレス”なんだと思います。

 とはいえ、よく考えると、そんなに無理して“自分だけの自分”なんて見つけなくてもいいと思いますけどね(苦笑)。古い定義に縛られた自分探しの結果なら、かわいそうだなと思います」(ソコロワさん)

 ジェンダーレス男子たちのスタイルは、彼らなりの自分探しの表現ということだろう。

「“ジェンダーレス○○”という言葉が、ちょっと変わった服装、メイク、外見の好みを持つ人に市民権を与える言葉なのは私も感じます。

 生まれた性別にとらわれず、好きに生きてもいいじゃん! という風潮に勢いを得ている感じもしますね。それこそがこれからの時代では大事だと思います。でもSNSでとにかく注目を集めたいとか、過激に限界を突破するための“ジェンダーレス”だったら、無理しないでね、と言いたいです」(堀江さん)

 ジェンダーレス男子たちには、自分らしさの追求だけでなく、世の中の人たちの生きづらさを楽にする役割も担ってもらえるとありがたいもの!

●堀江宏樹さん 早稲田大学第一文学部フランス文学科卒。近著は『愛と欲望の世界史 その情熱が、歴史を動かした』(三笠書房)。
●ソコロワ山下聖美さん 専門は日本近現代文学。宮沢賢治や林芙美子など。東京とサンクトペテルブルクを両拠点とする。