昭和トップ男性アイドル“新御三家”と言われた西城秀樹さんが平成の終わりに他界して、今年は3年目を迎える。ただ、彼の魅力は今も多くの人の心に残ったまま、惹きつけてやまない根強さが──。
三回忌でも“情熱の嵐”
西城秀樹さん(享年63)が'18年に亡くなってから2年がたつ。
「命日の5月16日には三回忌のイベントが行われる予定でしたが、新型コロナの影響で中止。年配のファンが多いのでしかたないですね。再来年は西城さんのデビュー50周年にあたるので、改めてイベントを企画することになるはずです」(広告代理店関係者)
フィルムコンサートも開催中止に。献花台を設置することもかなわなかったが、西城さんを偲ぶ声はやまない。
「'18年11月に妻の美紀さんが出版した本は10万部を超えるベストセラーに。'19年の一周忌ではイベントや物販も大盛況でした。今年も三回忌記念として、西城さんの言葉をまとめた本が出版されます」(スポーツ紙記者)
亡くなってなお、人を惹きつける魅力を放ち続けているのはなぜだろうか。
「ヒデキさんは、汗が飛び散ってカッコいい男でしたね。まるでスポーツ選手のような、汗が似合う男性だったんです。今も西城秀樹の代わりになる人はいませんよ」
そう語るのは『昭和歌謡の謎』などの著書がある日本歌手協会筆頭理事で歌手の合田道人さん。青春時代に憧れたことから、今も根強いファンがいるのでは、という。
「ヒデキさんというと『YOUNG MAN』や『情熱の嵐』のイメージが強いと思いますが、『炎』『ブーツをぬいで朝食を』『ラスト・シーン』『白い教会』などもオリコンのベスト10に入りました。ヒデキさんは3~4か月ごとに曲を出してはヒットを連発。ファンそれぞれに思い入れの曲があるのが、ヒデキさんなんだと思います」
“野菜嫌い”だった西城さん
美紀さんの著書『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』には、実は計8回も脳梗塞を発症していたと記されている。野菜嫌いだったが、美紀さんは健康のために食べてもらおうと工夫していた。『趣味の園芸 やさいの時間』(NHK)で共演していた恵泉女学園大学の藤田智教授が語る。
「西城さんは奥さんが作ってくれたお弁当を持って来ていました。“そのトマトおいしそうですね”と言うと“これ食べなきゃいけないんだよ~”と言いながらも美味しそうに食べていましたよ。年子の3人のお子さんがいらっしゃいますから“俺はもっと頑張らないといけない”とよく話していました」
撮影現場には子どもたちもよく来ていたそうで。
「“土からにんじんを引き抜いていいよ~”と言うと、撮影に使う分も全部抜いてしまって、慌てて戻して撮影したこともありました(笑)」(藤田教授、以下同)
外では大スターでも、子どもといるときは、ひとりの父親の顔になっていた西城さん。
「教育テレビの番組はほとんど1%台なのですが『趣味の園芸』は3%台で、この数字は民放の20%に匹敵するそう。撮影現場には熱烈なファンの方もよく来ていましたね。西城さんはいたずら好きで、ピーマンだと言ってハバネロを渡したことも。食べたファンの方はヒーヒーいいながらもうれしそうでしたよ(笑)」
西城さんが脳梗塞の再発で降板し、後を継いで番組に出演したのはダイアモンド☆ユカイ。子どものころから西城さんのファンだったという。
「秀樹さんはほかのアイドルと違い、ワイルドで男っぽいキャラ。少年たちの憧れだったんです。オレは特に『薔薇の鎖』が好きで、学校でもほうきをマイクスタンドがわりにして歌っていましたね」
ユカイがデビューすると、'96年に西城さんのロック・ミュージカルに呼ばれて共演。別荘にも招待されるほど親しくなった。
「飲みながら朝まで話してくれて、学生時代の先輩のようでした。でも、いるだけでスターのオーラがあるんです。プールで泳ぐと、海パン姿でもカッコいい。人間性も素晴らしかった。ミュージカルに呼んでいただいたころのオレは、とがっている時期だったことや、配役が重要な役でなくフテくされていたため1度もリハに行かなかった(笑)。いま思えば迷惑をかけたと思います。でも西城さんは“オレも昔はそんな感じだったよ”とかばってくれたんです」
ユカイには西城さんから教えられたことがある。
「“憂うつなど吹き飛ばして、君も元気出せよ”ということ。天からのメッセージのように伝わってくると、“自分も頑張んなきゃな、こんな人間になりたいな、自分も歌やテレビでみんなを元気にさせなきゃな”と思っています」
法要もコロナの影響で…
西城さんのお墓がある寺の住職によると、
「昨年の3月に、お子さんも一緒になってデザインを決めて建てられました。ファンの方もよくいらっしゃって、“いつもヒデキをありがとうございます”と挨拶されることもあります。緊急事態で今はお参りに来ていただくことができないのですが、“自宅でお祈りしています”という電話もいただきました」
西城さんが姿を見せた最後の公の場は、'18年4月19日に行われた日本歌手協会主催『春の紅白歌合戦』だった。友人の日本人歌手・MARIEが出場しているのを知り、サプライズで応援に駆けつけたのだ。そのMARIEは、
「“気分がよかったら応援に行くよ”って言ってくれて、当日までわからなかったんですが、本当に来てくださって“え~っ!?”って驚きました」
司会を務めていた前出の合田さんは、西城さんとこんな会話をしたという。
「“ヒデキさんが見に来ていますよ”とスタッフが知らせてくれたんです。観客席を見ると、最後尾の席に奥さんと座っていらっしゃいました。そこで、“今年の『秋の歌謡祭』にはぜひ出場していただいて一緒に『YOUNG MAN』を歌いましょう”と言うと“ハイッ!”と答えてくださったんです。病状は回復に向かっていてお元気そうな様子だったので、まさか亡くなってしまうなんて……」
コロナの影響でイベントは中止や延期が相次ぐが、三回忌の法要は……?
「先週も奥さんの美紀さんが苺を届けに来てくださったんです。そのときには“内々で……”と話していました。本当は盛大にやりたかったと思いますが」(前出・MARIE)
現在、日本歌手協会は公式YouTubeチャンネルで過去の歌謡祭の映像を配信しており、16日の命日には若手歌手が西城さんの曲を歌った映像を流す。西城さんの“青春の汗”は、これからもずっと引き継がれていく。