「初めは大変で、そのうち慣れて、今ダレちゃったね。もうどうでもよくなっちゃった。下手すると、芸能界引退だなと思ってんだ。鬱をとおり越しちゃって、もうヤケになってきたね」(『新・情報7daysニュースキャスター』20年4月25日)
そうビートたけしが嘆くように、コロナ禍でこれまでの日常は奪われてしまった。そうした中で、どのように生きていけばいいのか。芸人やタレントの過去の言葉からそのヒントを探っていきたい。
こうした暮らしの中にだって、「楽しみ」を見つけなければ、しんどい。
所ジョージ
「面白がる人は、なんでも面白い。なんでも不満を持つ人は、どんなにお金があろうと不満だもんね」(『SWITCHインタビュー』'14年4月12日)
“遊びの達人”である所ジョージはそう語っている。
自らの遊び場「世田谷ベース」で日々、趣味のものづくりに勤しんでいる所。そんな暮らしを見た人たちからよく「お金に余裕があるからできるんじゃないか」と言われるというが、「そうではない」と所は語る。
たとえば、みんなに自慢したいから時計を買いたいという人は、お金がかかる。けれど、お金がなくても楽しみたい、面白がりたい人は、カタログを切り抜いてそれを腕に巻く。そうして周りに気づかれたいような、気づかれたくないような遊びをするだろうと。
それができる人というのは、“お金よりも自分の方が価値ある”人。お金の方が自分より価値があると思う人は、お金に頼ってしまうのだと。
所は「どのように死にたいか」と問われると「考えたことがない」と答え、こう続けた。「希望はないです。希望したって希望したとおりいかないじゃない」
もし、寝たきりになったとしても、「車いす改造しますよね。おもしろくしてあげますよね。届かないロケット砲つけたりとかしますよ、きっと」と笑う。
「せっかく朝起きて、目が覚めてんだから、楽しい1日っていうか、楽しく過ごそうかなと」(『サワコの朝』'14年11月1日)
髭男爵・山田ルイ53世
自粛期間にできるのは、目の前のことに何とか楽しみを見つけることだけではもちろんない。これまで時間がなくてできなかった勉強や自己研鑽の時間にすることもできるだろう。
けれど、髭男爵・山田ルイ53世は「あんまりこういうこと言うべきじゃないのかもしれないですけど」と前置きした上でこのように語っている。
「この自粛期間を有意義に過ごそうぜって言う人がちょっと多すぎるなって思う。無意味にボーッと過ごしてもいいんじゃないかって思ってます」
(『ボクらの時代』'20年5月3日)
6年間の
引きこもり生活を経て
山田といえば、中学のころから6年間、引きこもりの期間があったことは有名な話だ。引きこもりになる前の山田は「きちんと生活するんだ」と強く意識し過ぎて、潔癖症的な完璧主義のような生活をしていたという。それがひとつのちょっとしたきっかけで崩壊し引きこもりになってしまったのだ。
「あの6年間があったからこそ今の自分がある」などと美談にされてしまうことに、山田は強く反発する。事あるごとにあの期間は「無駄な時間」だったと振り返っている。
「ムダはムダ。負けは負け。それ以上でもそれ以下でもないし、それでいい。『人生に無駄なことなんてない!』という考え方は、裏を返せば無駄があってはいけないということ。そんな風潮自体がしんどいというか、人を追い詰めることもあると思う」(「OCEANS」'19年2月5日)
そんな経験をしてきたからこそ「無意味にボーッと過ごしてもいい」という言葉に説得力がある。
一方で、「俺ね、ゴロゴロしてるとイライラするんだよ。なんかやってないと。ゴロゴロできないのよ」(『ミュージックステーション』14年10月24日)というタモリのようなタイプの人もいるだろう。
時間があると人はネガティブなことを考えてイライラしてしまいがちだ。その矛先が他者へ向けられてしまうことも少なくない。
オードリー・若林正恭
「唯一ネガティブな時間から逃れられる人生の隠しコマンド、それが“没頭”である」
(『ナナメの夕暮れ』)
オードリー・若林正恭は自著でそのように書いている。生きていて楽しくないと感じる人は、他人を否定する方向に進みがちだ。他人や物事に対して冷笑し、その価値を下げ、相対的になんとか自分を肯定しようとする。
そして周りに、「生きていて楽しくない」という感情を感染させようとする。
そうすると、楽しく生きようとしている人たちは離れていき、同じような人たちだけが集まり、ますます生きていて楽しくない世界が強固になっていってしまう。
かつて若林もそうだったという。それに気づき、なんとかそこから脱しようとした若林がまず行ったのはペンとノートを買うことだったという。ノートに、自分がやっていて楽しいことを徹底的に書き込んでいったのだ。
なぜなら、自意識過剰のせいで、自分が本当に楽しいと思うことに気づいてないという予感がしたからだ。実際、改めて書いていくと自分でも意外なものを好きだったのだと気づいたという。そしてその好きなことをやることに没頭した。
「自分が好きなことがわかると、他人の好きなことも尊重できる」ようになったといい、このように綴っている。
「“好きなものがある”ということは、それだけで朝起きる理由になる。/“好き”という感情は“肯定”だ。/つまり、好きなことがあるということは、“世界を肯定している”ことになる。/そして、それは“世界が好き”ということにもなるという三段論法が成立する」(『ナナメの夕暮れ』)
逆に、なんでも否定ばかりしている人は、“世界を否定”していることになるから、生きているのがツラいのだ、と。
どう思い込むかが大事
「世界の見え方は、どんな偉人であれ、悪人であれ、思い込みにほかならない。/肝心なのは、“どう思い込むか”である」(同)
今は、将来のことが不安になってしまい、自分が不幸だとふさぎ込んでしまうこともあるだろう。
オードリー・春日俊彰は下積み時代、相方の若林に「28歳で風呂なしアパートで。同級生は、エスプレッソマシーンとかウォシュレットのトイレ買ってるのに、恥ずかしくねぇのか?」と言われ、「ごめんなさい……、どうしても今、幸せなんです」(『オードリーのオールナイトニッポン』'12年12月8日)と答えたという。
どんなに苦しい境遇にいようと、人は自分が「幸せ」と思えば、幸福感を抱いて生きることができるのだ。
メイプル超合金・カズレーザー
最後にメイプル超合金・カズレーザーの言葉を紹介しよう。「常に将来のことを思い悩む」「人生経験ないくせに悩んでしまい、自分の中でのギャップで苦しい」と自分が不幸になるんじゃないかと悩む学生にはこう答えたのだ。
「人間、どうせ幸せになるのよ。ハッピーエンドに決まってるのになんでそんなバッドエンドにしたがるの? 理由を見つけて自分が不幸だと思おうとしてるだけで、思わなきゃずっと幸せだからね。幸せの前提があるから不幸を見つけるのができるんであって、見つけなきゃいい。目をそらす努力!」
(『お願い!ランキング』「カズレーザークリニック」'16年8月16日)
新型コロナウイルスの影響で、心が不安定になる私たちの心に、これらの“言葉”はどう響くだろうーー。
〈文/てれびのスキマ〉