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 新型コロナウイルスの影響は、子どもたちにも及んでいる。3月2日以降、全国の9割以上の小・中学校及び高等学校などで休校が続き、教育格差が広がっているのだ。裕福な家庭は、大学生の家庭教師を雇ってオンラインで指導を受ける、家庭学習用にタブレットを購入する、自宅にWi-Fiが完備されているなど、環境が整っている。

 しかし、貧しい家庭ではそもそもタブレットを持っていなかったり、Wi-Fiがないためコンビニの無料Wi-Fiに頼ったりする児童・学生も多いという。

 そんななか、平等かつ快適な学習環境を取り戻すために大阪在住の高校生が署名活動を始め、話題になっているのが「9月入学」。活動が始まったのは4月19日で、署名者は5月1日時点で2万人を超えている。9月入学の内容として政府などでも議論されているのは「学びの遅れを解決するために現行の学年を5か月延長し、来年から9月入学・始業制を始動させる」という案だ。

 これに対し「それよりもまず、教育格差をなくすため全学生にタブレットを配布するなど、具体的な支援をすべきだ」「この際、思いきって舵を切り、国際化すべきだ」等々、さまざまな声があがっている。スケジュール的に現実味がないのかと思いきや、急速に検討が進んでいるようで、各報道によると「政府は6月上旬を目処に論点や課題を整理する方針である」という。また、自民党が設置した『秋季入学制度検討ワーキングチーム』は、5月末から6月初旬に政府への提言をまとめるそうだ。

 着々と準備がなされている9月入学。その論点とは、我々が考えるべきこととは、いったい何なのか。科学的根拠に基づいて検証するため、教育経済学の第一人者である慶應義塾大学総合政策学部・中室牧子教授に話を伺った。

休校後は「マイナスからスタートする」

 現在、休校を余儀なくされている学校が多く存在することを踏まえ、まずは長期にわたる臨時休校がもたらす影響について考えたい。中室教授は「アルゼンチンで発生した88日間のストライキによる臨時休校を経験した小学生は、高校卒業率が約5%低下し、大学卒業率は約13%低下、将来の賃金も約2%低下した事例があります」と指摘する。また、アメリカで降雪等によって臨時休校になった際には、低学年のほうが高学年に比べ、悪影響が大きかったという。

「特に小学1年生は“赤ちゃん返り”をしてしまうなどの可能性も高く、休校が終わったあとは、0からというより“マイナスからスタートする”という考えを持つべきだと思います。しかも、9月入学を実施することで就学開始の絶対年齢が変わるのであれば、幼稚園や保育所から小学校に入学する子どもたちの年齢に応じた教育内容というものを、イチから考え直す必要があります。就学前後の子どもたちの教育はとても重要ですから、十分な研究の蓄積もないままに見切り発車することは危険です」(中室教授・以下同)

 日本には科学的なデータが少ないため、教育について「雰囲気」で語られることが多い点も問題だという。

「欧米諸国では『エビデンス・ベースド・ポリシー・メーキング(証拠に基づく政策立案)』が広く受け入れられています。政策の成否は、期待された成果をあげたかどうかで決まる、という考え方です。政策にいくら支出したかではなく、効果をどのくらいあげられたのかで評価することが、納税者である国民の利益にかなうということでしょう。

 期待されたような成果が出せなかったものに対しては、それ以降予算がおりない。いくらお金をかけたのかではなく、例えば“かけたお金1円あたりでどれだけの効果があったのか”を重点的に考えなければいけないのです。ですから今回の案件も、9月入学という“手段”にこだわるのではなく、その結果や効果を考えることが不可欠なのです」

 確かに、9月入学になんとなくの希望や不安を抱くだけではなく、導入した先にどんなことが見込めるのか、そして、実施したとしたら、その効果がどれくらいあったのかをきちんと検証することが大切なのではないか。そのことを念頭に置きながら、引き続き9月入学の必要性について考えていく。

オンライン教育で格差はさらに開く

 臨時休校が続くことへの対策として、学校現場では「オンライン教育を行うことで学力の低下を防ごう」という動きがある。しかし、「臨時休校する」と答えた1213の自治体を対象に文部科学省が行った調査では「教員と児童・生徒が双方向でコミュニケーションをする遠隔指導を実施している」と回答した自治体は、4月16日時点でわずか5%だった

 このように、画期的なオンライン教育は実現までほど遠いのが現状だ。だが今後、オンライン教育の普及が進んだ場合、学校に行かなくてもいい効果が期待できるのだろうか。

「遠隔教育に関する過去10年の研究をざっくりまとめると、対面での教育と比較して(1)非常に限定的で、(2)もともと成績の低い生徒は負の影響がより大きいため、こうした層への特別の配慮・サポートが必要であり、(3)『規模の経済』(スケール・メリット)が働くため、教育のコスト削減の効果は期待できる、と言えます

 スイスの総合大学の学生を対象にした研究では「もともと成績のよかった生徒は成績が上昇し、悪かった生徒は低下した」という研究結果もあるそう。このことからも、オンライン教育は、格差がさらに広がる可能性があると思われる。

 このような事態を懸念し「オンライン教育はうまくいかないのでは?」という声が、学校現場や家庭からもあがっている。また、「ならば9月入学にしたほうが、取り残された児童の遅れを回復し、入試までの時間も稼げるだろう」などという理由から、9月入学に魅力を感じる人もいるのではないだろうか。

 そもそも、今回の数か月にわたる臨時休校で生じたと考えられる問題としては「平均的な学力の低下と、学力格差が拡大したこと」と、中室教授は指摘する。これらへの対策として「9月入学」は妥当なのか。繰り返すが、現在、世の中で主に議論されているのは「子どもたちを5歳の秋に入学させ、入学を半年早める」というパターンではなく、「6歳の秋に入学させ、入学を半年遅らせる」というものだ。

 中室教授によると、授業日数や時間を確保することが大切だということは、過去の研究からも明らかであるという。

「ドイツで行われた研究では、学習内容を変更せず、37週から24週へと授業時間を短縮させた場合、学生の留年率を高め、高校進学率を低下させることがわかっています。また、アメリカの州ごとの授業日数や時間数の差に着目した研究では、学校での授業日数や時間数の増加が学力にプラスの影響を与えることが示されています。学習内容を変更しないのであれば、従前と同じ授業日数や時間数の確保が必要だと考えられます

 ならば、このままカリュキュラムを変更しないとなると、やはり授業時間を確保するために9月入学が望ましいのか? それとも、土曜授業や夏休みの短縮などの対策をとるほうがよいのだろうか。

 暑い時期に授業を行うには課題もあるという。アメリカで行われた研究によれば「学期中の気温が(華氏)1度上昇すると、1年間の学習量を1%失う」というデータがあるため、夏休みを短縮する場合は、エアコンの設置を急ぐ必要がありそうだ。

 では、入学を半年遅らせることで生じる障害はあるのか。この点を考えるにあたっては、ノルウェーで行われた研究が参考になるという。

「研究結果では、就学開始年齢が高くなると、IQや学歴には影響はないものの、30歳ごろまでの賃金が低くなることが示されました。生涯の所得においては、およそ100万円を失います。そもそも9月入学は、臨時休校によって生じたさまざまな“損失”を取り戻す目的で行われるはずですから、生涯所得が低くなってしまっては、元も子もありません」

「9月入学」の論点を見失わないで

 ここで、そもそも逆に入学を前倒しにする9月入学にはどの程度メリットがあるのかを考えたい。最大の利益は「日本の教育の国際化」だろう。現在、高等教育機関に在籍している学生のうち、海外への留学者は0.8%、受け入れは3.5%にとどまっている。

「日本からの留学生が少ない理由について、過去の研究では、就職活動の早期化、言語力の低さ、教育機関同士での単位互換が行われないこと、などを指摘されています。入学時期が決定的な要因であるとの主張は多くありません。

 本当に国際化を実現したいのなら、実践的な英語教育、国際交流プログラムや単位互換の推進、留学のための奨学金の充実などにも同時に着手していくことが必要です。また、海外留学が将来の賃金を高めることを示す研究もありますが、海外で学位を取得した優れた人材が国外で就労し“頭脳流出”に繋がる、ということを明らかにした研究もあります

 そのうえ、オーストラリアやニュージーランドは9月ではなく2月入学であり、時期を9月のみに縛ると今度はオセアニア諸国への留学や、受け入れが難しくなってしまう。

海外からの留学生を増やしたければ、入学時期と卒業時期を柔軟に設定するのがいいと思います。私の所属する慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスでは、すでに9月入学や4学期制を実施しているので、現行の制度の下でも、大学の改革は十分に可能です」

 “前倒しパターン”の9月入学にもさまざまな課題があることがわかった。

「このように整理してみると、“新型コロナの被害を受けた世代への対策”と、以前から議論されている“教育の国際化”はまったく別の目的を持つ政策課題であり、同じ『9月入学』という手段で解決できないことは明らかです」

 誰のための9月入学なのか。今、早急に議論すべきなのは、きちんと裏付けられたデータをもとに、休校中に格差が広がった子どもたち、今もなお休校で思うように勉強ができない子どもたちをどのように支援するか、ということではないだろうか。

〈取材・文/お笑いジャーナリスト・たかまつなな〉
※この記事は、私たかまつなな個人の発信です。所属する組織・勤務先とは一切関係ありません。問い合わせは、下記アドレスまでお願いします(infotaka7@gmail.com)


【PROFILE】
中室牧子(なかむろ・まきこ)  ◎'75年奈良県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。'98年慶應義塾大学卒業。米ニューヨーク市のコロンビア大学で学ぶ(MPA, Ph.D.)。専門は、経済学の理論や手法を用いて教育を分析する「教育経済学」。著書「『学力』の経済学」(ディスカヴァー・トウェンティワン)は発行部数累計30万部のベストセラーに。

【INFORMATION】
 さらに踏み込んだ議論をするため、5月27日19時〜、YouTube『たかまつななチャンネル』で『生激論!9月入学の是非』を実施する。出演予定者は、慶應義塾大学総合政策学部の中室牧子教授、教育改革実践家の藤原和博さん。閉じられた議論ではなく、エビデンスに基づいてメリット、デメリットを考える開かれた場を作ることがねらい。参加費無料。詳しくは以下のリンクから→https://200527.peatix.com/view

 また、本件についてはYoutube『たかまつななチャンネル』内の動画「『9 月入学』子どもたちのためになるのか?」でも話しています。
リンクURL→https://youtu.be/Ns9RXUB44hU