元AKB48で、卒業後、女優として活躍していた“まゆゆ”こと渡辺麻友(26歳)があまりにもあまりにも突然、芸能界を引退することを発表した。引退の理由は、所属事務所・プロダクション尾木によると「健康上の理由で芸能活動を続けていくことが難しい」ということである。健康上の理由とはなんだか心配になるが、渡辺麻友の健康とご多幸を祈りたい。
それにしても惜しい。渡辺麻友は昨今、稀な逸材だった。昭和のアイドルや映画女優などに近いといえるだろうか。昨今のアイドルや俳優はSNSの発展に伴って、「本人の素かな?」と思わせる部分も含めて人気を獲得していることが多いが、渡辺麻友にはいっさい素の部分が見えてこなかった。
スキャンダルはなく清純キャラを貫く
2006年、12歳(中1)で芸能界に入り、AKB48の3期生として活動を開始、栄えあるセンターを6回つとめ、2014年の選抜総選挙では1位に輝いた。その功績によって、前田敦子、大島優子、篠田麻里子、板野友美、渡辺麻友、高橋みなみ、小嶋陽菜と並ぶ「神7(かみせぶん)」の1人として歴史に刻まれている。人気アイドルながらスキャンダルはいっさいなし。清純キャラを貫いた。
AKB48はクラスにいそうで、手が届きそうな雰囲気をもった女の子たちの集団で、ただただかわいいだけでなく、やんちゃな部分を見せる者やファンに塩対応する者も含め、普通っぽさ、素の感じが魅力でもあったのだが、まゆゆだけは昔のアイドルのような違う世界にいる人のように、つねに整っていた。さらさらの黒髪、透明な白い肌、濁りのない瞳、小鳥のさえずりのような声、一挙手一投足にいっさい緩みがない。本質的にまじめで清い人だったのだろうと想像するが、芸能界でそれを徹底することはどれだけ大変だったろうか。
それをやりきった渡辺麻友は逸材であり、極めて優秀な俳優であったと思う。それを象徴する作品は、2012年に放送された「さばドル」(テレビ東京系)。ほんとうは30代の女性が10代のきらっきらのアイドルとしての二重生活を送っているという奇想天外なコメディだ。
ぴっかぴかのアイドル・渡辺麻友が、どんよりしたキャラを演じたときの意外なハマり具合。頬から口元の筋肉を弛緩させると、こうも顔が違って見えるのかという驚きと、そのギャップをさらしてしまう度胸、と同時に、つまり渡辺麻友はつねに顔の筋肉を徹底的にコントロールして完璧なアイドル顔を作っているのだと改めて感心するドラマであった。
写真集『まゆゆ』の表紙に体現した理想の偶像
渡辺麻友が理想の偶像を探求していたことは、2011年に上梓された初めての写真集『まゆゆ』の表紙にも表れていたと感じる。正面を向いて座り、交差した両足で体を隠し、まるで全裸のように見えるあれである。アイドルを表現する芸術作品を完成させたまゆゆの精神性と身体のコントロール術は、俳優として重要な部分である。
2017年、惜しまれつつAKB48を卒業した後は、俳優として活躍の場を広げていくかと思って見ていた。その年放送された「サヨナラ、えなりくん」(テレビ朝日、2017年)では、黒まゆゆ面を発揮。多くの恋愛遍歴を経て婚活に勤しむ、いささかやさぐれた女性を、ときおり顔を意地悪く歪めながら演じていた(それもまた可愛いのだが)。その後「いつかこの雨がやむ日まで」(東海テレビ、2018年)では、家族の罪のせいで日陰の人生を歩まざるをえなくなる役に挑み、キャバクラでバイトするエピソードが、これまでの渡辺麻友の演じてきた役とは違うと注目された。
2018年は、大ヒットした映画をミュージカル化した「アメリ」に堂々、主演。歌って踊って、キスシーンがあるのかないのかも話題になった。清純派から徐々に大人の役へと移行していく意気込みを感じたのと、映像で生々しい演技を披露して俳優として脱皮みたいなことを目指すよりも、舞台、とりわけミュージカルのような夢のある世界でこそ彼女の演技力は生かされるのではないかと私は余計なお世話だが思ったりもした。
2019年になると、“朝ドラ”ことNHK連続テレビ小説100作目の記念作「なつぞら」に出演。ヒロインなつ(広瀬すず)のアニメ制作会社での同僚・茜を演じた。メガネをかけてまじめにアニメに取り組む彼女はちょっと地味に見えるが、隠しきれないポテンシャルがあるという渡辺麻友の真骨頂といえる役である。ある回ではダンスの途中にメガネを外され、美しい素顔をさらすというサービスカットがファンを喜ばせた。
茜はやがて同じ会社のアニメーターと結婚、子育てしながら仕事をする大変さを、なつと分かち合う。なつは仕事と育児を両立するが、茜は仕事を辞め家庭に入る。そのうち、仕事が忙しいなつの子供まで預かることになり、子育てに苦労している女性視者 に応援された。
最後まで「渡辺麻友」というイメージを守り抜いた
このドラマが渡辺麻友の最後のドラマ出演作となったとはなんとも感慨深い。渡辺麻友も芸能人という仕事をきっぱりやめて新たな人生を送っていくのだろうか。「なつぞら」以降、活動をセーブしていたとはいえ、さほどの予兆もなく、風のような引退宣言。まるで、ファンタジーの世界で、魔法使いやウルトラマンやかぐや姫のような異世界の人物がある日突然、自分の正体を隣人に明かし、この世界にずっととどまることはできないのだと、別れを告げて去ってしまう最終回のような幕切れによって、渡辺麻友は最後まで渡辺麻友という偶像のイメージを守り抜いたように思う。
日本の芸能界でこういう偉業が徹底できたのは原節子くらいではないだろうか。清純派俳優としていっさいイメージがブレることなく生き抜いているのは吉永小百合だが、小津安二郎の映画に多く主演した原節子は小津の死後、公的な場にいっさい姿を現さなくなり、出演作のイメージを生涯守り抜いた。山口百恵も歌手を引退した後、家庭に入って芸能活動に戻ることはなかった。こういうレジェンド級の偉人たちのように渡辺麻友がなるか、静かに見守りたい。(文中敬称略)
木俣 冬(きまた ふゆ)コラムニスト 東京都生まれ。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。