渡邉さんとAさんが暮らしていた河渡橋西詰のテント(筆者撮影)

 3月に岐阜市で起きた、ホームレスの渡邉哲哉さん(当時81歳)が襲撃され死亡した事件。加害者は当時、地元の朝日大学の学生2名を含む19歳の少年5人という、未成年の事件で殺人や傷害致死の容疑で逮捕された。

 前編である《岐阜・ホームレス殺害事件》少年らの犯行をつぶさに見てきた「生き証人」の告白》では、渡邉さんと生活をともにし、事件当時もずっと一緒にいた“生き証人”であるAさんに、生々しい話をうかがった。

 ふたりは3月だけでも少なくとも4度、少年らから投石を受け、その都度110番するために1キロほど離れたコンビニまで走っていた。そして3月25日未明、またも少年たちは石を投げつけ、執拗に2人を追いかけ渡邉さんを死に追いやった。

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事件後に警察から渡された便利な通報器

 Aさんの話を聞けば聞くほど、「渡邉さんは死なずにすんだ」と思えてくる。警察の対応についても、疑念が深まる。

 渡邉さんが命を落とす5日前、3度目の襲撃の夜も、二人は必死でコンビニまで走り110番通報していた。通報を受けて、パトカーでやって来た岐阜県警中署、北署の警官たちは、どやどやと近づくなり、護身用の鉄の棒を持っていた渡邉さんに向かって大声で「(棒を)おろせ!おろせ!」と、怒鳴るばかりで、「大丈夫ですか」と被害を案じる言葉もなかったという。

 それを見たAさんは「でも、私は女性だから、身を守るために何か持ってないと不安です。女性は、何か持ってないと自分を守れないんです」と、警官たちに訴えたという。Aさんは、話の中で「私は女性だから」という言葉を、何度も繰り返した。女性が路上で生きていくことはいかに大変か、常に性的な暴力の危険にさらされる恐怖があるのだと、叫んでいるように思えた。

 護身用の棒の件で、Aさんが悔しがるのには理由があった。事件後、渡邉さんが亡くなってから、Aさんには、女性刑事が「保護のため」と称して張りつくようになり、「護身のために」と、非常通報装置『ココセコム』を渡され、常に首にかけているようにと、言われた。

警察がAさんに渡した、ボタンひとつで通報できる、便利な『ココセコム』

 ボタンひとつで、セコムを通じて、警察に通報できるという「便利なもの」だった。でも、そんな「便利なもの」があったなら、なぜ、コンビニに走って通報していたとき、あるいは、護身用に「何か持っていないと不安なんだ」と訴えた自分に、「大丈夫です、これを持っていてください」と差し出してくれなかったのか。今になって、なぜ渡すのだろうか。あまりに口惜しくて、Aさんは女性刑事に、「あのとき、あなた方(警察)が、私にこれを渡してくれていたなら、渡邉さんは死なずにすんだのではないですか? 」と、問いつめたという。

 すると、「まあまあ、そんな責めんといてよ」と傍らにいた男性刑事が笑い、女性刑事は「あれこれ理屈をこねて言い訳するだけだった」と、Aさんは吐き捨てるように言った。

「今度のことで、警察でも検察でもいろんな人に会った。いい大学を出て勉強はしてきた人たちかもしれないけど……ほんまに“社会音痴“やと思った」という。さらに言うなら、「人として」の痛みへの感性、共感力が欠落した「人間音痴」かもしれない、と私は思った。

 長く、ホームレス支援に関わるなかで、私自身、野宿の人たちから学ばされたことは多い。路上で生きる人たちは、多くの場合、襲撃を受けても、自ら通報したり被害届を出さない。警察に訴えても「市民扱い」されず、「ここで野宿しているほうが悪い。出て行け」と、追い払われるのがわかっているからだ。

犯行を捉えていた監視カメラ (筆者撮影)

 かつてに比べて野宿者も襲撃の数も、激減しているが、私が取材を始めた1995年から現在までの25年間で、渡邉さんを入れると23人の野宿者が、少年や若者らによる襲撃で亡くなっている。そのなかでも、この岐阜の事件は異例中の異例だった。

 通り魔的な一過性の襲撃ではなく、同一犯とみられる加害者が、連日、計画的に、標的を定めて襲いに来ている。つまり予測できた事件であり、被害者自らが何度も通報し、警察に捜査を求めていた。それだけ強く、リアルに「命の危険」を感じていたからだ。

 そして多くの場合、野宿者は、ひとりで寝ているところを襲われ、孤独に亡くなり、「死人に口無し」となってしまう。一緒に生活し、被害に遭い、状況をここまで証言できる生存者がいるということは、本当に珍しい、というか初めてのことだった。

 逮捕の決め手になったのが防犯カメラ。でもそれも、渡邉さんが亡くなる以前、4度の襲撃の夜も作動していたはずだ。渡邉さんが死んでからではなく、少年たちが尊い命を奪ってしまう前に、通報を受けた時点ですぐに本気で防犯カメラを確認し、捜査していたら、エスカレートする暴行も食い止められたのではないか。なぜ死人が出てからでないと、真剣に動かないのか。遅すぎた警察の対応に、責任はないのだろうか。

 警察側は「対応は適切だった。落ち度はない」という。しかし、疑念はさらに深まる。

少年の家族に警察関係者がいる可能性

 実は、事件の日、襲ってきた少年の1人が、こんな不可解なことを渡邉さんに言ったのを、Aさんは聞いている。

「わたなべ~、アパート入るらしいなあ~? ここ出ていくらしいなあ~」

 と。Aさんは、いったい何を言っているのだろうと不思議でならなかったという。

 その謎が解けたのが、事件後、Aさんが生活保護の手続きのために、役所を訪ねたときだった。対応した生活福祉課の担当者が「実は、渡邉さんにもアパートをご用意していたんですよ。ですが、まさかこんなことになるとは、残念でした。もっと早く入っていただけたらよかったのに……」と言うのを聞いて、Aさんはそのとき初めて、合点がいった。

「(犯人と)いたちごっこになるから、ここを出て行け」と言っていた警察もしくは行政関係者が、渡邉さんをアパートへ入居させるための手筈を、本人も知らない間に水面下で進めていたのだと、と思い至った。

「でも、渡邉さん本人も私も知らないことを、なんであのとき、犯人たちが知っていたのか? いくら考えてもおかしい」と、Aさんは首をひねる。

 もしAさんが聞き間違えたのではなければ、逮捕された少年の誰かが、警察もしくは行政関係者の動きを事前に知っていたことになる。そしてその日は、特に「今日はババアに用事がある!」と執拗にAさんを追いかけ回したのも、2人がアパートへ入居すれば最後の襲撃になると思っていたからなのか? と疑念もわいてくる。

 また、別の日の襲撃の際には、こんな犯人の発言もAさんは聞いていたという。

「上から石を投げてきた男の1人が、“俺の父さん、県警本部におるでー(おるで=いるから)”と、威張るように言っていた。私と渡邉さんに言ったのか、仲間に言ったのかは、わからないけど、たしかに、そう言っていた」という。

 渡邉さんが亡くなる事件前の一連の襲撃には、男女10人ほどが関わっていたとされる。そのため、逮捕された5人以外の発言かもしれないが、もしそれが事実であれば、犯行グループの中に警察関係者の家族がいることになる。少年らが在籍していた朝日大学には、実際「警察OB」が少なくないことも気になる。

 事件後、取材に訪れるマスコミ、記者たちに、Aさんは同じことを伝えている。が、警察からは「記者にいろいろ話すな」と言われ、記者には「その件は裏が取れない、書けない」と言われたという。

 確かに私も「裏は取れない」。逮捕された時点で未成年であった少年たちは、20歳となって成人同様に起訴された被疑者も含め、氏名も明かされず、詳細は不明である。真偽はまだわからないし、審理を待つしかない。でも、だからといって被害者のAさんの「証言」がこのまま闇に消されてしまってはならないと思う。Aさん自身は、こう主張している、という事実を、せめて私は伝えたいと思う。

 そして、警察への疑念だけでなく、「教育」の面でも、この事件を未然に防ぐ重大な機会が、何度もあったことがわかってきた。

 まず、10年前に、渡邉さんは放火の被害に遭っていた。渡邉さんの写真はないかと、Aさんに尋ねたところ、「写真もあったけど、10年前、テントに放火され全部、燃えてしまった」というので驚いた。留守にしていたときに何者かが火をつけたらしく、後ほど「未成年が補導された」と行政関係者から聞いたそうだが、地元ニュースにもならなかったという。「一般市民」の家が放火で全焼したら、大問題にされたはずだ。このときもやはり「ホームレスのテント」だから軽視されてしまったのではないか。

 かつて姫路の橋の下で野宿していた人が、テントの中へ少年らに火炎瓶を投げられ、焼死した事件を取材したことがある。やはりそのときも、人が死ななければ報道もされなかった。

誰にでもホームレスになる可能性がある

 さらに、放火事件の数年後には、近くの市立小学校の児童が渡邉さんに石を投げる事件も起こっていた。児童の年齢も人数もわからなかったが、教師2名が謝罪に来て「二度とこのような事が起こらないように、しっかり指導します」と約束したという。 

 この時点で、地域の学校、岐阜市すべての小学校・中学校で、「ホームレス」問題の人権教育に取り組むことができていたらと、残念でならない。「ホームレス」襲撃は、弱い立場の者を攻撃する「いじめ」と同じ根を持つ、重要な人権課題であると位置づけ、教育委員会・学校が率先して、襲撃防止の教育実践を推進していたなら、岐阜県全体の教育にも影響を与えたことだろう。なぜなら、過去、そのようにして、取り組んだ地域では、実際に襲撃が激減、または止まっている、からだ。

 子どもの投石を軽んじてはならない。投石は、いわば蔑視と憎悪の塊だ。最初は小さな石が、次第に大きな礫となり、エスカレートし、暴走していく。さらに、相手が、身の安全を守れる家を持たない「ホームレス」の人となれば、いくら「殺すつもりはなかった」といっても、突然、あっけなく命までも奪いかねない。

 その危険性を、親も教師もリアルに理解していない。子どもを加害者にしたくなければ「近づかないようにしましょう」という差別を助長するような「指導」ではなく、本気で貧困の構造を教え、本気で子どもたちの抱えるストレスの解消に、向き合うべきなのだ。

 人は、なぜどのように「ホームレス」状態になるのか。本当に働くのが嫌で、好きこのんで野宿しているのか。ほとんどの人が廃品回収や日雇い労働などで働き、仕事を求めている。それぞれの人に、リストラ、失業、借金、事故、病気やケガ、天災、家族の死や離縁、家庭内暴力……など、野宿に至った背景があり、発達障害や知的障害など、見た目では理解されにくい障害を持っている人も少なくない。

 そしてまさに「コロナショック」の中で、今後さらに職や家をなくす人々が急増するだろう。誰にでも「ホームレス」になる可能性があり、たとえ職を失い、家をなくし、税金を払えなかろうが、人としての権利と尊厳が脅かされることがあってはならない。

 今回、逮捕された少年5人は、高校時代は甲子園を目指して汗を流した球児だったという。野球を続けるために入った大学、その先には実業団への就職など、を夢見ていたかもしれない。なのに、なぜ、こんな非道な「ゲーム」を繰り返すようになったのか。

 今この自分に価値があると思えない自尊感情の低い人間は、その不安と劣等感から、より弱い立場に誰かを置いて攻撃し、貶め、支配しようとすることで、優越感を保とうとする。学校や職場のいじめも、DVも、「ホームレス」襲撃も、すべての「弱者いじめ」の根底に、無意識にせよ、加害者の劣等感、自己否定感がある。

 彼らがどんな劣等感を抱えていたかはわからない。おそらくそれが自覚できていれば、こんな事件は起こさない。「勝てない自分には価値がない」という、自己否定が、「稼げない人間には価値がない」とみなす競争社会の中で「経済的敗者」に見える野宿者への憎悪と侮蔑を助長したかもしれない。

 加害者少年たちの背景については、今後の公判のなかで解明されてゆくことを期待したい。

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 5月下旬、『岐阜・野宿生活者支援の会』はじめ、私が関わる『ホームレス問題の授業づくり全国ネット』など4団体で、本事件にかかわった少年らが在籍していた朝日大学に、「ホームレス」問題の人権教育の実施などを求める要望書を、提出した。

朝日大学への要望書(次ページは写真ページで確認できます)

 そして、6月初旬、朝日大学において、要望書を提出した私たちとの話し合いの場が持たれることになった(私はリモート参加)。授業の時期はまだ確定できないが、岐阜の野宿支援者を中心に、教材DVD『「ホームレス」と出会う子どもたち』を使った授業の実施など、大学側もできることを前向きに検討したいといっている。

 渡邉さんに起こった悲劇が二度と繰り返されないよう、子どもたちがこれ以上もう加害者にならないよう、岐阜の教育にとって、小さくても重要な「はじめの一歩」となることを願っている。

 事件後、関係のない学生たちまでネットでの攻撃や誹謗中傷を受けるなど、多くの学生たちが傷ついてもいるだろう。「私刑」と称して、真偽が判らない「犯人の実名と顔写真」を晒すなど、おぞましい攻撃性も噴出している。それはたとえば「ホームレスは社会のゴミだから掃除しただけ」と、「ホームレス狩り」をある種の「正義」として正当化するような加害者の心理と地続きではないか。

 暴力を、暴力で裁くのは、もう止めたい。私たちの社会は、これからさらに、光も闇も濃くなる。コロナ禍で、分断・紛争が激化する一方で、世界が模索している「もうひとつのやり方」、非暴力の方法で、いのちへの襲撃を、弱者いじめの連鎖を止めたいと、私は願う。 

 誰が、何が、渡邉さんの命を奪ったのか。少年らの罪が正当に裁かれ厳しく罰されることは当然のこととして、少年らだけが裁かれて解決することではない。

 この社会を構成している私たちひとりひとりの意識、社会の共犯性を省みながら、少年らの審理を今後も追っていきたいと思う。そうして、過酷な被害を生き延びたサバイバーである女性Aさんが、今後、何を望むか、被害届を出して法に訴えたいか。彼女自身の意向に沿いながら、支援していきたいと思う。

 今後とも、ひとりでも多くの方の、ご支援ご関心を、よせていいただけたら幸いである。


北村年子(きたむら・としこ)◎ノンフィクションライター、ラジオパーソナリティー、ホームレス問題の授業づくり全国ネット代表理事、自己尊重ラボ主宰。 女性、子ども、教育、ジェンダー、ホームレス問題をおもなテーマに取材・執筆する一方、自己尊重トレーニングトレーナー、ラジオDJとしても、子どもたち親たちの悩みにむきあう。いじめや自死を防ぐため、自尊感情を育てる「自己尊重ラボ Be Myself」を主宰し、自己尊重ワークショップやマインドフルネス講座も、定期的におこなっている。2008年、「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」を発足。09年、教材用DVD映画『「ホームレス」と出会う子どもたち』を制作。全国の小中学・高校、大学、 専門学校、児童館などの教育現場で広く活用されている。著書に『「ホームレス」襲撃事件と子どもたち』『おかあさんがもっと自分を好きになる本』などがある。