「あれは不倫ではない」
あれが不倫であれば、かつてタレントの石田純一(66)が、文学や芸術が不倫から生まれることもあり、不倫は文化の土壌になり得るという見解を示した、いわゆる「不倫は文化」発言で周囲が理解した不倫とは、明らかに異質のものである。
お笑いコンビ、アンジャッシュの渡部建(47)がやらかした“多目的トイレセックス”。これはもう不倫でもなく、醜悪な人間性の露見でしかない。
裏を返せば、とんでもないことに
少し前、ラジオの生放送でナインティナインの岡村隆史(49)が、「コロナが明けたらかわいい子がお嬢(=風俗嬢)をやります」と言い放った。その本質と渡部の行為は通底している。両者ともとがめられなければ、発言を続け、行為を続けていた。
渡部のやらかしについて、ワイドショーはこれでもかと伝え、元東京地検の公安部長までもコメントしていた。平和で何よりだ。いろんな人が好き勝手なことを言えることを、当たり前と思ってはいけない。それが不倫であっても、何か言えることはそれだけで素晴らしいことなのである。
ただ、一点だけ。
「あんな美人の佐々木希が奥さんなのに、ほかの女とやるなんて許せない」という論調だけは、どうしても解せない。裏を返せば、「あまりきれいとはいえない人が奥さんであれば、不倫も仕方ない」ということになるからだ。
タレントの山瀬まみ(50)も、同様の発言に「腹が立った」とラジオ番組でかみ付いていた。
「あんな美人の~」という発言スタンスには、見かけに引きずられる時代錯誤な日本人的感覚が潜んでいると感じる。「奥さんが美人であれば、浮気をするはずはない」という勝手な思い込み、もしくは刷り込み。
勝手な思い込みや刷り込みはとても危険で、時代の価値観が目まぐるしく変わる現代において、あっという間に取り残されてしまう。セクハラという概念がこれだけ浸透しているというのに、女性に対してきわどい発言をいまだにする男性がいるのと同じだ。しかもそれが、見かけに関することになると、危険度は増す。
もはや時代とズレている
つい先日も、NHKが国際情報番組『これでわかった!世界のいま』が米国の黒人の置かれた状況を描いたが、黒人を危険分子扱いしたステレオタイプの描き方に批判が噴出。NHKは「配慮が欠け、深いな思いをされた方におわびいたします」と謝罪に追い込まれた。
テレビ朝日の感性にも、首を傾げるものがある。これまたつい先日のこと、俳優の内藤剛志(65)が、共演した女優の菜々緒(31)と俳優の間宮祥太朗(27)を前に「同じ人間とは思えない」と感嘆し、その場面が番組宣伝の映像として同局の情報番組で普通に流されていたのだ。
内藤が、相手をほめるつもりで言っているのであろうということがわかるが、「同じ人間とは思えない」という表現は明らかに行き過ぎで、それを言われた菜々緒も困惑気味だった。
しかも内藤は、菜々緒に「いったい何を食べたら、そんなに足が長くなるんですか?」と、答えようがないことまで聞いている。職場で言ったら、セクハラで一発アウトである。
ほめるからいい、というわけではない。ほめようがけなそうが、見かけで人と人の違いを計るその物差しを持っているということが、もはや時代とズレているのである。
アメリカで同様のことを言ったら、それだけで大問題になる。現地では見かけのことは何も指摘しない、年齢を聞いたりしない、性別も尋ねない、「せいぜい話題にできるのは、きれいな歯ですね、と言ったことぐらいですよ」とアメリカ滞在から一時帰国した人に以前、聞いたことがある。
佐々木希の見た目を夫の不倫に絡めるコメンテーターも、NHKの黒人に対する誤った理解も、内藤の発言に共通して感じることは、時代認識に対する修正力の足らなさだ。
〈取材・文/薮入うらら〉