殺人事件被害者の遺族らでつくる『宙(そら)の会』は、3月都内で会見を開き、代執行制度の確立を求めた

「かけがえのない命を奪ったら、刑事の償いとともに、民事においても被害者遺族に対して、加害者が償うという制度の実現を希望します」

 3月上旬、東京都千代田区で殺人事件被害者遺族の会「宙(そら)の会」の総会が開かれ、遺族代表の小林賢二会長(73)が、今後の活動方針をそう力強く表明した。

 宙の会は現在、殺人事件の被害者遺族への賠償を国がいったん立て替えたうえで、加害者に請求する「代執行制度」の導入を求めている。

 具体的には、裁判所が出した賠償判決に対し、国が税金で立て替えて被害者側に支払い、後に加害者や親族に請求、あるいは加害者側の土地や財産を差し押さえるという手順だ。

 同会の特別参与で、世田谷一家殺人事件の捜査も担当した元警視庁成城署長の土田猛さん(72)が、その意義を説明する。

「加害者は賠償判決に対して支払う義務があり、被害者は請求する権利がある。そこに実効性が伴わないなら、国が介入し、被害者遺族の権利を守らなければならない。それが社会を維持するための正論です」

 賠償判決に実効性が伴わないとは一体、どういうことか。

「一矢報いたい」と提訴

 30年という年月が流れようとも、娘を奪われた遺族の心の傷が癒えることはない。あの日あのときに見た娘の後ろ姿は、まるで昨日のことのように脳裏に焼きついていた。

「遅刻する! と言いながら家を出て、コツコツと走る靴音が聞こえたんです。トイレの窓からのぞくと、コートの下からスカートをひらひらさせながら走っている娘が見えました。まさかあのままサヨナラするとは思ってもみませんでした。明るくていい子だったんですけど……」

 北海道札幌市の生井澄子さん(84)は、最後に見た娘の姿を思い出し、涙声を振り絞った。

 それは1990年12月半ばの、雪がちらちらと舞い落ちる朝だった。長女の宙恵(みちえ)さん(当時24歳)は、いつもどおり信用金庫へ出勤した。その晩、仕事を終えて帰る道すがら、自宅近くに住む長田良二(51)=当時22歳=に、わいせつ目的で襲われ、刃物で刺されて死亡した。長田は殺人容疑で全国に指名手配されたが、見つからないまま、2005年に公訴時効が成立した。生井さんは、そのときの思いをこう口にする。

「時効成立で国からは見放され、事件発生の翌年には夫が胃がんを発症し亡くなりました。犯人に敵討ちするのはもはや私しかいなかったんです」

 2年後の'07年、生井さんはせめて民事で罪を償わせたいと、長田を相手取って損害賠償請求訴訟を起こした。収入印紙代や弁護士への費用など提訴には100万円近くの費用がかかった。札幌地裁は翌年、7500万円の支払いを命じたが、犯人は所在不明のまま、さらに10年が経過しようとしていた。民法の規定では、判決確定から10年で損害賠償の債権が消滅する。生井さんは'17年、重い腰を上げ、再び提訴に踏み切った。

「決してお金が欲しいというわけではない。債権がなくなり、犯人をこのまま放っておいたら、一矢報いることができない。だから提訴しておいたほうがいいという気持ちになりました。でなければ、犯人に対して私は何の力もありません。もし今、犯人が現れ、警察の前を歩いても捕まらないんです。30年も逃げ続けているなんて、絶対に許せない」

 無念の思いが次から次へとあふれ出てくる生井さんは毎日、自宅で仏壇に向かってこんなふうに語りかけている。

「どうして娘を連れて行ったのですか?」

「何とかして犯人を引きずり出して!」

宙恵さんの遺影を手に母、澄子さんは無念の思いを……

犯人逮捕でも未回収

 では犯人が逮捕されれば、損害賠償の支払いは履行されるのか。

 広島県廿日市市で'04年10月、高校2年生の北口聡美さん(当時17歳)がナイフで刺殺された事件は、発生から14年ぶりに無職の鹿嶋学(37)が殺人容疑で逮捕、起訴された。広島地裁は今年3月半ば、鹿嶋被告に無期懲役の判決を言い渡し、翌月に確定した。

「極刑を望んでいたから、人の命を奪った人間の命が助かるという判決には情けない思いです。いずれ実社会に復帰できる可能性が少しの確率でもあると考えると、何とも言えない気持ちになります」

 そう語る聡美さんの父、忠さん(62)は、民事でも犯人に罪を償わせたいと、損害賠償命令制度を利用した。'08年に成立した同制度は、凶悪事件の被害者や遺族が民事訴訟を起こす負担を軽減させるために導入された。有罪判決を言い渡した刑事裁判の裁判官が、被告に対する損害賠償請求も審理する仕組みだ。申し立ての手数料は一律2000円で、弁護士費用を含めても民事裁判を起こすより低額ですむ。この制度を利用した忠さんは、広島地裁から賠償命令の判決を勝ち取った。

「ところが被告からは支払い能力がないと言われ、被告の父親からも『少しでも罪を軽くするために支払いたいが、年金生活で余裕がない』と伝えられました。被害者の遺族にとっては、判決は出たけど、ただの紙切れ同然なんです」

北口忠さんのブログ。聡美さんは17歳のときに身勝手な犯行理由で男に命を奪われた

 生井さんのように、犯人に損害賠償を請求しても、所在が不明であれば支払われない。犯人が逮捕されたとしても、裁判所は賠償判決を強制執行しないため、「支払い能力がない」と言われてしまえば、それで終わりである。結局、遺族には一銭も入らない。それでは一体、何のための賠償判決なのか。

 日本弁護士連合会が'15年に実施した「損害賠償請求に係る債務名義の実効性に関するアンケート」によると、殺人、殺人未遂などの凶悪重大事件38件のうち、6割の被害者・遺族は損害賠償金の支払いをまったく受けていなかった。全額支払いを受けたという回答は皆無で、損害賠償が実効性を伴っていない実態が浮かび上がった。

 犯罪被害者支援に詳しい元常磐大学学長の諸澤英道さん(77)は、損害賠償履行の実情をこう説明する。

「賠償の約束はほとんど守られていません。一部でも履行されればいいほうで、加害者との接触を嫌う被害者や遺族が履行を求めないことをいいことに、うやむやにして逃げてしまう加害者が多い」

 諸澤さんは、'90年代初頭から犯罪被害者の賠償問題に取り組んできた。しかし、四半世紀以上がたった今も、履行されない状況は変わっていないとして、加害者が賠償責任を放棄できないよう、法改正の必要性を訴えている。

「賠償について、日本政府は法制度を作っているだけで、その履行についての責任を負わない。それは賠償をしなくてもすむ社会を意味するだけでなく、法的安定性を欠くことになる」

 被害者の遺族には、経済的な打撃を緩和する「犯罪被害給付制度」がある。支給額は18万円から約4000万円と幅があり、警察庁によると、

 '18年度の同給付金の平均裁定額は614万円で、最高支給額は約3700万円だった。しかし、これは国が給付する制度で、加害者が支払うわけではない。ゆえに代執行制度で加害者に償わせるべきだとする宙の会の土田さんは、こう批判する。

「加害者から取り立てる思考がない以上、国は秩序を維持するという責任を薄めている」

「加害者には支払う義務がある」と、『宙の会』特別参与で、元警視庁成城署長の土田さん
'98年、群馬県で一家3人が殺害された事件は発生から22年を迎えるが、指名手配中の容疑者は姿を消したままだ

「無念な被害者が増えるだけ」

 代執行制度が導入されれば、たとえ加害者に支払い能力がなくとも、国は親族から取り立てることが可能になる。例えば、千葉県市川市で'07年、英国人女性のリンゼイ・ホーカーさん(当時22歳)が殺害された事件。犯人の市橋達也受刑者(41)の両親は、医師だった。土田さんが解説する。

「医師という職業からすれば、それなりの資産がある。土地や建物、経済的な蓄えもあるでしょう。あるいは刑務所における受刑者の労働作業費も取り立ての対象になる。それらを個人が差し押さえようと、弁護士に調査を依頼しても難しい。でも国ならば可能なんです」 

 これが実現すれば、犯人の所在不明や支払い能力がないといった理由は通用しなくなる。

「相続まで取り立てられ、国がどこまでも追いかければ、殺人事件が減るかもしれない。究極の狙いは犯罪の抑止力。そこに代執行制度導入の意義を見いだしているんです」(土田さん)

 スウェーデンやノルウェーでは同様の制度がすでに導入されている。宙の会としては今後、森まさこ法務大臣に陳情書を提出するなどで代執行制度の確立を目指す方針だ。

 1998年1月に群馬県旧群馬町(現・高崎市)で一家3人が殺害された事件では、殺人事件で指名手配された小暮洋史容疑者(50)が、行方をくらましたままだ。

 遺族の女性(43)は、発生から20年という民事訴訟の提訴期限直前に、小暮容疑者を相手取って約1億370万円の損害賠償訴訟を起こした。前橋地裁高崎支部は昨年1月、請求どおりの支払いを命じる判決を言い渡した。

 遺族の女性は取材に対し、メールでこう回答を寄せた。

「たとえ犯人が逮捕されても、支払える現実的な金額でないことはわかっている。とはいえ今のままでは被害者は報われず、泣き寝入りするだけ。大切な人の命を奪われ、生き返ることはできないのに対価も支払われない。ただただ無念な被害者が増えていくだけの現状は、何も生み出しません」

 被害者は社会にもさらされる。メディアに出れば、SNSであらぬ悪口を書かれ、傷口に塩を塗り込まれることもある。

「でも加害者は塀の中に入ってしまえば社会とは距離が保たれ、自分の身銭を使わずとも食事も提供され、清潔に過ごし、今で言えばコロナの給付金も支給されるとか……。しっかり人権が保たれているのはどっちか。言わずもがなですね」

 遺族にとっては「殺され損」、犯人にとっては「逃げ得」。いつまでこんな理不尽な仕打ちが続くのか。


【PROFILE】
水谷竹秀(みずたに・たけひで) ◎ノンフィクションライター。1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。