6月に入り、新型コロナウイルスの感染拡大に落ち着きが見えてきた日本。しかし、まだまだ世の中には注意すべき感染症があふれている。『人食いバクテリア』『破傷風』『梅毒』……。あなたは細菌やウイルスの怖さを、まだ知らない──。
『人食いバクテリア』最悪の場合、四肢の切断も
「しばらくは大丈夫でしょ」
そんな声が聞こえてくる6月。“新型コロナウイルスは日光や高温多湿に弱い”と言われているだけに、気が緩む人がいるのではないか。
たしかに、コロナの危機はひとまず去ったかもしれない。しかし、まだまだ知っておくべき注意が必要な感染症は数多く存在する。
例えば「人食いバクテリア(細菌)」と呼ばれる劇症型溶血性レンサ球菌感染症。2010年ごろまでは、国内で年間10~20例程度の報告数だったが、年々増加し、'15年には400例を突破。感染後、約3割の患者が死に至る、きわめて致死率の高い恐ろしい病だ。
「人から人にうつることはないが、感染経路は不明で、レンサ球菌が身体の中で増えていきショックを起こし、敗血症や多臓器不全を引き起こすメカニズムは解明されていない」
と語るのは大妻女子大名誉教授で『感染症──広がり方と防ぎ方』の著者であり、国立感染症研究所・感染症情報センター初代センター長を務めた井上栄先生。
広範囲の年齢層で発症するが、特に30歳以上の大人が罹患(りかん)するのがひとつの特徴だ。初期症状こそ風邪に似ているが、その後、低血圧、呼吸不全などをきたし、多臓器不全に陥る。驚くことに、短時間(24時間以内とも)で、健全な状態から多臓器不全に至る──。“人食いバクテリア”と恐れられるゆえんだ。
バクテリアの侵攻を止めるためには、「適切な抗生物質の投与や、早急な壊死(えし)組織の除去、切断などが必要」で、最悪の場合、四肢の切断も考慮しなければいけない。
高齢者、糖尿病や慢性の肝障害がある人、ステロイドや免疫抑制剤を服用している人などは罹患リスクが高くなるという。また、過労やストレス、大量の飲酒もリスクとして挙げられているので、思い当たる人は生活改善を視野に入れたほうが賢明だろう。
音や光で肉けいれんを起こす『破傷風』
『破傷風』にも注意が必要だ。近年は30歳以上の成人を中心に発症し、年間120名ほどの患者数が確認されている。
「傷から破傷風菌が入ってきて発症します。土の中にいる破傷風菌は、芽胞を作り、いわば土の中で仮死状態で存在している。傷口から栄養豊富な人間の体内に入ることで、眠りから覚めるように活性化してしまう」(井上先生、以下同)
大きな音や光などの刺激により、激烈な肉けいれんを起こす『破傷風』。致死率は約30%といわれているが、ジフテリア・百日せき・破傷風混合ワクチン(3種混合ワクチン)の誕生以降、ワクチン接種で作られた抗体がこれら細菌の毒素を無毒化するので、患者は減った。
しかし、その効果は10年とされていて、実際、発症者の多くはワクチンの効果が切れてしまった中高年世代。予防効果を維持するためには、追加接種を行う必要があるのだ。そして、「台風や自然災害が増えるこれからの時期は要注意」だとし、
「災害が起こったときなどは、破傷風菌に汚染されているかもしれない土に触れる可能性が高くなる。ケガを防ぐためにも手袋をするように。万が一、ケガをした場合は、消毒を心がけてください。有事の際は、通常の衛生環境ではなくなるので注意が必要」
かつて、新生児破傷風は強直性けいれんなどが起こる悲惨な病気だった。十分に消毒されていないはさみでへその緒を切ることから起こっていたのだ。
井上先生が、「現在の日本は世界で最も衛生面が優れている国のひとつ」と説明するように、衛生環境の改善と感染症の関係性は深く、状況が変わった場合には、きちんと意識を改める必要があるというわけだ。
清潔な国の人が途上国へ行くと感染症のリスクは上がる。衛生環境が十分ではない外国を訪問する場合には、“国外だからこそ罹患するかもしれない感染症”の知識が必要となる。
致死率はほぼ100%の『狂犬病』
先月、国内14年ぶりとなる狂犬病の発症者が、愛知県豊橋市で確認されたことは記憶に新しいだろう。発症者はフィリピンから来日し、渡航前に同国で犬に噛まれて感染したとみられている。
「狂犬病の症状が出たら治療薬はなく、致死率はほぼ100%」
全身の脱力感や頭痛などに始まり、その後、麻痺(まひ)、精神錯乱などの症状に至る。致死率がほぼ100%と聞くと暗たんとした気持ちになるが、狂犬病流行国に渡航する前に、ワクチン接種をしておけば最大の予防となる。しかし、打ったから大丈夫というわけではなく、
「噛まれた後もワクチンを打つ必要がある。打ち続けることで効果があります」というように、放置は厳禁なのだ。
「狂犬に足を噛まれるとウイルスは神経を伝わって脳へ行きますが、ウイルスの増殖は遅く、脳への到達期間は1~3か月とされており、脳へ行くまでの間に身体の免疫を強化するために、噛まれたら早急に追加のワクチンを打つことが肝要。
とはいえ、普通の観光客が狂犬のたむろしている場所へ行くことはないでしょう。現地に長期間滞在し、かつ感染を受けるリスクのある人は予防ワクチンを接種しておく必要があります」
また、狂犬病になった人がほかの人を噛むわけではないため、人から人への感染はないとも。
「狂犬病以外で、動物から人間が感染する場合には、一般的に動物のウイルスが糞尿(ふんにょう)に出て、それが乾燥してほこりが舞い上がり、そのほこりを人が吸って発症するわけです。感染した人の糞尿にウイルスは出るのですが、トイレが整備されている衛生環境の国では人から人への感染は起こらないのです」
蚊を媒介して感染するデング熱やジカ熱に関しては、日本の家では夏、網戸がありクーラーを使うため蚊に刺されにくいので、熱帯でデング熱に感染した人が帰国しても、その人を蚊が刺して、さらに多数の人にウイルスを広げることはない。
2014年の東京・代々木公園でデング熱が広がったのは、そこで蚊帳をつらないで野宿した人がいたためと考えられている。
「清潔な衛生環境でも人から人にうつる感染症は、性感染症のエイズや飛沫伝播(ひまつでんぱ)のインフルエンザなど。ただし、これらはコンドームやマスクで遮断することができます」
コロナで得た理解や知見を活かしていくことが、ほかの感染症対策においても役に立つのだ。
「“こういったことが役に立っていたんだな”ということを頭の片隅に入れておけば、慌てないですむと思います」
どんな感染症に対しても過度に恐れないため、正しい理解が必要というわけ。“相手”をよく知ることこそ備えとなり、余計な憂いを減少させるのだ。
知らず知らずのうちに他者にうつる『梅毒』
2014年から急激な増加傾向にある梅毒。2017年には、年間報告数が44年ぶりに5000例を超え、東京、大阪、愛知という都市部での報告例が目立っている。梅毒の感染経路は、口腔性交、肛門性交などを含む性行為。
感染すると1~3か月ほどで、感染部位(主に局部)にしこりを感じるようになる。この症状の段階であればペニシリンを打つだけで寛解する。しかし、初期症状に気づきづらく、知らず知らずのうちに他者にうつしてしまうので厄介。
また、コロナ禍に中国・雲南省で男性が、ネズミを媒介とする『ハンタウイルス』に感染し、「また中国から新たなウイルス流行が!?」と話題になったが、人から人へは簡単に感染しない。
「感染するとウイルスは尿に出てきます。トイレで用を足す限り、他者が排泄物が混ざった塵やほこりを吸い込むことはないですから、日本で流行することはないでしょう」(井上先生)
罹患すると重い肺炎から呼吸困難に陥り、致死率は40~50%。ワクチンはないという。そして途上国へ行く人はA型肝炎に注意、と井上先生。
「日本では衛生状態の悪かった1960年以前に生まれた人は免疫を持っています。当時、水道水や川、海水にもこのウイルスが存在していたので生まれてすぐに感染しても症状は出ず、強い免疫が作られました。しかし水道水の塩素消毒が普及し、日本からA型肝炎ウイルスは消滅。なので、60歳以下の人たちは免疫を持っていません」
予防法としては現地で絶対に生水を飲まないこと。長期滞在の場合は、出発前にワクチンを受けることだ。
(取材・文/我妻アヅ子)