コロナ禍で多くの人々が不安を抱えている昨今。全力俳優・原田龍二は、「自粛期間のおかげで、あらためて世の中や自分を見つめ直すことができた」と語る。
今回、そんな原田と言葉を交わすゲストは、大相撲元関脇の貴闘力だ。栄華と苦悩の道をひた走ってきた元力士の目に映る景色とは─。
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“ゴミ以下だ”と言われ、月の給料は1万円
原田 今日はよろしくお願いします。僕自身、相撲が大好きで、貴闘力さんの現役時代はもちろん、プロレスの試合も拝見していました。お会いできてうれしいです!
貴闘力 プロレスも見てくれたんだ(笑)。もちろん、原田さんのことは知ってるけど、若々しいから40代前半だと思ったら、俺と年が近いんですね。
原田 はい。貴闘力さんよりも少し年下の49歳です。この連載のテーマは“反省”ですが、今日はぜひ、厳しい世界で関脇に上りつめるまでのお話もお聞きしたいです。
貴闘力 俺の相撲人生は小学校6年のときに先代の貴ノ花親方のところに転がり込んだのが始まり。体験入門で少し部屋に置いてもらって、中学を卒業してすぐに、藤島部屋に入門したんですよ。現役引退後は大鵬部屋付きの親方になって部屋を継ぎました。力士としては、王道をずっと走らせてもらえたから、すごく勉強になりましたよ。
原田 親方が入門された当時の相撲部屋は、とても厳しいイメージがあるんですけど、どんな生活だったんですか?
貴闘力 今だったらパワハラで訴えられるけど、入門すると、まず親方に「ゴミ以下だ」と言われて、相応の扱いを受けるんですよ。30人の若い衆が、50畳くらいの部屋で布団を並べて共同生活。ひとりがインフルエンザにかかったら、同室の力士全員がインフルエンザになるような劣悪ぶりだったね。しかも、月の給料は1万円だけ。
原田 月1万円ですか!?
貴闘力 そう。食事と部屋だけは確保されてるけど、自分の給料は1万円だから、新品のパンツを買うのも躊躇する金額ですよね(笑)。
原田 それがイヤなら、強くなって大部屋を出るしかないってことですよね。生活の中でハングリー精神を育むんだ。
貴闘力 そうそう。金がないからギャンブルもできないし、練習をするしかない。当時は「腕が1センチ太くなった」とか「来週は焼き肉をおごってもらえる」とか、小さな幸せを拾いながら過ごしてました。
原田 とても前向きですね。
勝ちさえすれば嫌われてもいい
貴闘力 下っ端は大変だけど、関取になって勝てば給料が月100万円になるから、部屋を出てアパートを借りられる。生活を変えるには、強くなるしかないんです。
原田 逆に、負け続けると番付が落ちてしまう。本当に実力の世界ですよね。
貴闘力 本当にまれだけど、大関が序二段まで落ちることもあります。厳しい師匠だと序二段に落ちた瞬間に個室を追い出されて、大部屋の便所掃除からスタート。ただ、悔しさのぶんだけ、番付が上がったときは本当にうれしい。俺も親方をやらせてもらっていたときは「叱咤激励」という気持ちで、若い衆には厳しく接してましたよ。
原田 親方という立場も難儀ですよね。甘えさせるわけにもいかないし……。
貴闘力 まあ、本人に実力があるのはわかっているから、信じられました。そこで悔しがれるやつは、のし上がりますよ。
原田 親方時代のお話も出ましたが、現役を引退する際の“潔さ”も印象的でした。
貴闘力 横綱以外は、自分で引き際を決められるのが相撲のいいところだと思います。野球やサッカーのように、戦力外通告されることもないし、監督に嫌われてレギュラーをはずされることもない。相撲は土俵の上で勝ちさえすれば、嫌われようが好かれようが上に上がれる。俺はそういう戦いが好きだから“相撲は天職”だと思ってました。
原田 普通の人なら、プレッシャーに押しつぶされてしまいそう。力だけでなく精神的な強さもないと、生き残れないですよね。
貴闘力 でもやっぱり、人間だから、いろいろやらかすじゃないですか。食欲、睡眠欲、性欲とあるなかで、俺はギャンブル欲が強くて大変なことになったしね。
原田 たしかに、僕も欲に負けてしまいました……。貴闘力さんがギャンブルに入れ込んだ理由のひとつは、力士としてのストレスも関係していたんですかね?
貴闘力 原田さんも実感したと思うけど、“欲”って怖いよね。ストレスもあったかもしれないけど、ギャンブル依存症という病気になってしまったんですよ。病気でもなければ、5億や10億なんて金額にはならない。毎日のように高利貸しに追い込みをかけられていたころは必死に逃げ回って、ほかでお金を借りて返さなきゃならないような状況。地獄の苦しみでした。
原田 若い衆時代とはまったく違う苦しみですね……。僕はギャンブルはやらないんですけど、この仕事そのものがギャンブルだと思ってるんですよ。
貴闘力 そうだよね。ただでさえ俳優で食べていけるのはひと握りなのに、仕事がなくなったら、収入もなくなる。今の仕事は何歳からやってるんですか?
原田 22歳でデビューしたので、だいたい30年近く、この世界にいますね。今まで、仕事がまったくないという時期もなく過ごしているので、本当に感謝してます。
貴闘力 30年は長いね。俺は相撲から離れてしまったけどどんな仕事もコツコツ続けるのは大変ですよ。今は焼き肉店を経営してるんだけど、まじめに働いているからコロナ禍で営業時間が減ってもある程度は国も助成してくれるので、なんとか耐えられる。変わらずお金には困ってるけど、必死に逃げ回ってたころに比べたら幸せなもんだよ。
借金連続人生は“名字”が原因?
原田 壮絶な経験を乗り越えて、そう言えるのが本当にすごいですよ! 人によっては首を吊ってしまうこともあるじゃないですか。
貴闘力 いろんな人に迷惑をかけたから、胸を張って乗り越えたとは言えないなあ。でも、失敗だけは何度もしてるから、そのたびに学んで立ち上がるしかないです。
原田 たしかに失敗から学べないと、そのまま谷底に落ちてしまいますよね。
貴闘力 いま生業にしている焼き肉店も試行錯誤の連続。一時期は焼き肉店を17店舗経営してたんですよ。
原田 17店舗はすごいですね!
貴闘力 でも、ひとりではすべての店を管理できないと感じて店舗数を減らしました。チェーン店のようにマニュアル化できれば広げられるけど、それができなければ、ひとりでは無理ですね。それで今は、店を広げたときの借金に苦しんでます(笑)。
たぶん、俺の金借り人生は名字が原因だと思う。
原田 え? 名字ですか?
貴闘力 俺の名字は「鎌刈」と書くんだけど漢字を分解すると「金」へんを取っても、つくりの「兼」を取っても、訓読みをすると「カネカリ」になるんだよ。
原田 本当だ!
貴闘力 自己流の姓名判断だけど、なかなか信憑性があるでしょ。残念ながら、金を借りる天才なんですよ(笑)。
原田 いろんな意味で、お金との縁が深いんですね。
貴闘力 原田さんのお仕事も、コロナの影響がすごく出てますよね?
原田 仕事はだいぶキャンセルになりましたね。自宅で過ごす時間が増えたけど「自分は家族と家にいることができる」と、前向きに考えています。家賃が払えなくて追い出される人もいますからね……。今はネガティブな言葉を使わず、ポジティブに過ごすのがテーマになっています。
貴闘力 そうそう。マイナスなことばかり考えていてもおもしろくない。俺の若い衆時代じゃないけど、最悪な状況のなかから、小さな楽しみや幸せを見つけて生きていくしかないんだよな。
原田 過酷な経験をされてる貴闘力さんが言うと、言葉の重みが違いますね……!
【本日の、反省】貴闘力さんは厳しい世界を生き抜いてこられた人だから、自分のなかにゆるぎない“武器”があると感じました。聞いたかぎりでは相撲部屋の生活は相当な過酷さだったし、当時の経験が土台にあるからこそ、さまざまな失敗から学んで、苦境から立ち直ることができたのかもしれない。本当の強さを持っていて、なおかつ、その武器をひけらかさない不動の存在ですよね。僕も前向きに生きることを心がけているので、今日の対談はとても勉強になりました!
《取材・文/大貫未来(清談社)》
たかとうりき・ただしげ ◎1967年、兵庫県生まれ。元大相撲力士。2000年3月場所に史上初の幕尻優勝を達成し、2002年9月場所を最後に現役を引退。その後、年寄・16代大嶽を襲名し、大鵬部屋の親方となる。2010年に親方を退き、「焼肉本店ドラゴ」を開店。現在は、経営者として店を切り盛りしながら、引退した力士の再就職も支援するなど、幅広く活動している。ドラゴ横綱通り店/https://dorago-yakiniku.gorp.jp/
はらだ・りゅうじ ◎1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。現在、期間限定でYouTubeチャンネル「原田龍二の湯〜チューブ!」を配信中!