※写真はイメージです

 緊急事態宣言の解除から1か月が過ぎた。出社再開の動きは加速し、通勤ラッシュが復活している。そこでの問題は“3密”だけに限らない。

《駅に着いてドアが開いた直後に胸を掴まれました》

《股間をお尻に擦り付けてくる。離れようとしても近づいてくる》

 痴漢を匿名で「通報」できるスマートフォン向けアプリ『Radar-z(旧・痴漢レーダー)』には、駅や電車内で発生した、さまざまな被害のレポートが寄せられている。

金曜日に向かって被害が増加

「1件1件、レポートの内容を日々確認していますが、ひと言で痴漢といっても多様な被害があるんです。髪を切る、なめる、においをかぐ。バッグに汚物を入れられる……。数字上のデータの裏には、こうしたひどい実態があります」

 そう話すのは、このアプリの開発元・レーダーラボのウェブプロデューサー、片山玲文さん。昨年8月、痴漢や目撃情報を記録して被害があった場所がわかるサービスをスタートさせた。たちまち話題になり、'20年6月までにアプリをダウンロードした利用者は累計7万人を超えている。

 利用方法は簡単。アプリをダウンロードのうえ、被害に遭ったり、被害に遭っている人を見かけたりしたら「遭った」「見た」のボタンをクリック。

 すると、取得した位置情報をもとに、最寄り駅の被害件数としてカウントされる仕組みだ。周囲で被害が発生したときには、アプリから通知も来る。

 警察庁の調査によれば、痴漢の検挙件数は年間でおよそ3000件。被害に遭っても1割しか被害届を出さず、相談もしていないのが現実だ。

「7万人のユーザーのうち、1か月のレポート数は800件ぐらい。そこから推計すると、あくまで参考値ですが、実際の被害は65万件程度あるのではないかとみています」(片山さん、以下同)

 レポートは痴漢が約6割を占め、次点が盗撮で3割。ぶつかり被害などがこれに続く。

 またレポートからは、痴漢をめぐる傾向も読み取れる。

「乗降客数の多いターミナル駅、なかでも池袋、新宿、渋谷の各駅は、被害報告でもトップ3を占めています。ただ、池袋は痴漢が多発する一方、新宿や渋谷はぶつかり被害が多い。駅の構造に問題があるのかもしれません」

 被害が増えやすいタイミングというのもある。

「月曜日がやや少なくて、金曜日に向かって被害が増えていく傾向にあります。これは週末になるにつれストレスが高じていき、その誤った対処法として、痴漢や盗撮行為を働いていると専門家が指摘しています。また、センター試験や入学式のような、絶対に遅刻できない日を狙って加害が行われることもあります」

 薄着の季節に痴漢が増える、男性は被害に遭わない──。こうした「噂」もまことしやかに言われてきたが、

「夏休みに入ると通勤・通学が減るので、夏は被害が少ないのです。私どものアプリは男性も利用されていますし、実際に男性から寄せられた被害レポートもあります」

「Radar-z(旧名称・痴漢レーダー)」は元ヤフーの社員だった片山さんらが開発
実際のアプリの画面。被害を「見た」、被害に「遭った」ボタンを押して報告

 こうしたアプリを使った痴漢防止対策が鉄道会社からも登場。JR東日本は、スマホの専用アプリを使って痴漢被害を車掌に通報するシステムを開発、今年2月から3月中旬にかけて埼京線沿線で実証実験も行っている。

「お客さまが列車内で痴漢行為を受けた際に、車内放送で注意喚起を図り、周囲のお客さまに気づいていただくことがひとつの対策になると考え、開発に着手しました」(JR東日本・広報部、以下同)

 その仕組みはこうだ。電車内で痴漢に遭ったとき、スマホの専用アプリから「通報」ボタンを押して車掌に報告すると、車内放送で痴漢発生のアナウンスが流れる。それにより周囲にいる乗客も被害を知ることができるという。

「最初の実証実験では、システムの機能やモニターの反応などの検証を進めてきました。今後、社会情勢がある程度、正常に戻った後、モニターが専用アプリを実際に使って、痴漢行為を受けたと認識したときに通報ボタンを押す実証実験を行う予定です」

痴漢防止の鍵は第三者にアリ

『Radar-z』もJR東日本の痴漢対策アプリも、加害者でも被害者でもない、第三者への働きかけを重視しているのが特徴的だ。

『男が痴漢になる理由』の著者で大森榎本クリニックの精神保健福祉部長・斉藤章佳さんは、こう指摘する。

「被害防止にあたっていちばん有効なのは“サイレントマジョリティー”と言われる第三者、被害者や加害者の周りにいる人たちへの働きかけです。彼らの多くは、痴漢は自分とは無関係だと思っています。第三者の問題意識を高めることで、痴漢を周囲から防いでいくことは重要です」

 斉藤さんの所属するクリニックでは、痴漢や盗撮をはじめとした性犯罪加害者の治療に先駆的に取り組んでいる。

 '05年5月に出所後の性犯罪防止プログラムを始めて以来、2000人以上が治療プログラムを受けてきた。

「そのうち99%が男性で、さらに6割が4大卒で、妻子もいるサラリーマン。この層が最も多いです」(斉藤さん)

 プログラムを受けた加害者の多くは自分の加害行為が性暴力であるという認識に乏しく、痴漢をしても「ちょっと触っただけ」と軽視しがちだ。

「痴漢行為には多くのバリエーションがあり、耳を触る、露出をする、精液をかけてくるなど20種類ぐらいのパターンがあります。ひどい場合は性器の中に指を入れることもある。こうした実態を第三者である男性たちはあまりに知らない。実態をよく知って痴漢問題への意識が高まれば、被害に遭っている人がいるんじゃないかと周りが気にするようになります。痴漢を防ごうという流れや空気が作れるはずです」

 前出・片山さんは、痴漢レーダーを始めて気づかされたことがあると話す。

「痴漢は加害者と被害者の間だけに留める問題ではないということです。“これまで被害を見かけても何もできなかった”“介入はできなかったけれど被害報告で貢献したい”と言ってRadar-zを使ってくださる第三者がいます。“#withyellow”というボタンで痴漢撲滅運動に協力していただくと、近くで被害が発生したとき、近距離通信技術で通知を受け取れます。

 勇気のある人は加害者を捕まえてもいいかもしれませんし、咳(せき)払いしたり声をかけたりして、その場の空気を変えることもできますよね。それぞれが自分にできる方法で被害者を助けることができればいいと思っています