新型コロナウイルスの感染が拡大し、世界中の人々が未曾有(みぞう)の事態への対応を迫られている。コロナと共存して生きる「Withコロナ」時代に突入した今、世界各国で暮らす日本人はどんな日々を送り、どんな思いでいるのか? ノンフィクションライターの井上理津子さんが生の声を取材する。そこには私たち日本人が気づかないコロナへの向き合い方があるかもしれない。【第3回】
コロナ感染のピークは7〜9月と言われる南アフリカ
「ここ数日、ものすごく寒いです。最低気温が、マイナス1度から3度くらい」
こう話し始めてくれたのは、南アフリカ共和国(以下、南ア)・ヨハネスブルグに住む高達潔(こうだて・きよし)さん(60歳=旅行業)。今、南半球では、冬に向かう季節なのである。
気温が低いと、人の身体は鼻から喉までの上気道が狭まり、肺など下気道の内側を覆う水分が失われるため、多くの呼吸器ウイルスが体内に侵入しやすくなる。新型コロナウイルスも同様だとされる。在南ア日本国大使館によると、同国の 7月1日現在の感染者数は累計15万1209人、死者数は累計2657人。
「6月1日に警戒レベル3に引き下げられ、外出する人が増えています。政府は、元からピークは7〜9月だとアナウンスしていますし、感染者はどんどん増えるでしょうね」
高達さんは、達観するような口調だ。感染拡大防止と経済活動の両立は万国共通の課題だが、南アにはその根底に「貧困問題」があると高達さんは言い、「複雑ですからね、この国は」と。
人口約5800万人のうち、黒人が79%を占める。アパルトヘイト(人種隔離政策)が完全撤廃されたのは1994年だが、わずか9.6%の白人が全土の7割以上の土地を持ち、人種間の経済格差が依然大きい。去年の失業率は29%の国だ。そんな基礎知識をもらってからのインタビューとなった。
シングルマザーの「娘」と「娘2号」
高達さんは、2001年から南ア在住。勤務していたアフリカ専門の旅行社、株式会社道祖神(本社=東京都)の駐在員として南ア入りし、2011年に独立。フリーランスの旅行ガイドとなり、道祖神ほか日本の旅行会社各社からのお客を案内する仕事をしている。
南アに住みついたのは、「家族ができたから」。現地の黒人女性と結婚し(のちに離婚)、今はその元妻の連れ子で、シングルマザーとなった「娘(26歳)」と孫、そして高達さん曰く「娘2号(28歳)」とその子どもと一緒に暮らしている。4人とも黒人だ。
「娘2号」は、エイズ孤児。あるとき、高達さんは南アフリカ最大の旧黒人居住区・ソウェトで「おばあちゃんの年金で、赤ん坊を含め18人が暮らす家族」との出会いがあった。おばあちゃんには6人の子どもがいたうち、3人がエイズで亡くなり、遺(のこ)された孫たちをそのおばあちゃんが育てていた。高達さんは、そのうちのひとりを引き取ったのだ。彼女もシングルマザーになった。
「私? 変わり者なのかもしれませんが、普通に好きなことをやって生きているだけで、こうなっているのですわ」
ロックダウンで“来るな”と言っても働きに来る
南アの人気観光地は、テーブルマウンテンや喜望峰のあるケープタウン、四国と同じくらいの広さのクルーガー国立公園、旧黒人居住区のマンデラハウス。そして、10月ごろに7万本のジャカランダの花が町を紫色に染めるプレトリアだそうだ。高達さんはガイドとして各地を飛び回ってきたが、「1月の末から予約キャンセルが出始め、2月には続出した」。
「3月27日からロックダウンする」と、ラマポーザ大統領が発表するテレビを見たときの気持ちを、高達さんは「うわっと思った」と表現する。政府判断を信頼するが、旅行業は長期的にダメになるな。家にずっといなけりゃならなくなるのもつらいな。そんなニュアンスだ。
「でも、娘たちは“うわっ”ではなかったんです」
アフリカ人は、地元が大好きで、家で過ごすのも好き──という文化があるとのことで、彼女らもそう。さらに、「娘たちはインフォーマルセクターなのでね」と。
インフォーマルセクターとは、経済活動が行政の指導下で行われず、国家の統計など公式に記録されないものを意味する。その構成者の多くは、行政に届出をしないインフォーマルビジネスを生業にし、納税するレベルに達していない人たちだ。
「娘は、配送センター前の路上で、労働者にランチ弁当を売っていて、娘2号もそれを手伝っているんですね。簡単な椅子とテーブルを置き、その場でも食べられるようにして。家賃などがかからない、インフォーマルな弁当屋なんですね」
彼女たちの収入は少ない。しかし、南アでは、親と同居していても、21歳以上は独立生計を営む別世帯とし、貧困家庭とみなされると一定の社会保障等が支給されるシステムがとられているので、暮らしていける。
「自宅には、知り合いの黒人のおばさんにメイドに来てもらっていましたが、ロックダウンで外出禁止になって“来るな”と言っても、“生きていかなきゃならないから、来る”と譲らない。この人は、ニュースに興味なくて、事態がわかってなかったんですね。結局、給料を渡して、休んでもらうことで、折り合いをつけた」
「この国の複雑さ」につながる、高達さんの身近な例だ。
「ロックダウン中の禁止事項に、酒とたばこの販売と刑務所の面会が入っていて、この国らしいなと思いましたよ」
酒は、急性アルコール中毒になる、店で飲んで喧嘩する、飲酒運転で事故をするなどが多発し、「コロナ患者のために空けておかなければならない病院のベッドが埋まるから」。タバコは「呼吸器に支障をきたすから」。そして、刑務所の面会は「特筆しなければならないほど、身内が刑務所に入っている人が多く、みんな日常的に面会に行くから」と、高達さんは言う。
政府のコロナ政策を支持する向きが多い
4月30日に、NHK BS1で放送された番組『国際報道2020』のなかで、「南アフリカ・学校まで略奪〜新型コロナで社会崩壊寸前」とのタイトルのコーナーがあった。
「その内容がひどかったんです。スーパー併設の酒屋に、黒人の男たちが押し入り略奪した。さらに、居合わせた人たちも次々と酒を盗んだと伝え、それはロックダウンによって食べるものに困ったからだと印象づけた。インチキ報道だった」と高達さんは憤る。
ギャングが酒売り場に押し入ったのは、盗んで転売するのが目的。ロックダウン以前からそういった闇商売は横行している。居合わせた人たちは、鬱憤晴らしに便乗したという構図。「むしろ、ロックダウンしてからのほうが犯罪は減っているのに。ちょうど、日本で“ロックダウンしないのか”という声が上がっていたころでしょ? ロックダウンするとこうなると歪曲して伝えた。NHKの日本政府への忖度報道だったと思える」
実際には、南ア政府は、コロナ禍の時期から子どもや高齢者、障害者への社会手当を半年間増額。さらに、従来は社会手当の対象外だった18歳から59歳の人たちへの手当を導入するなど迅速に動いた。「もちろん他国同様、うまくいっていない点もありますが、政府のコロナ政策を支持する向きが多いと感じている」と、高達さんが言う。
さて、日々の暮らしは?
「仕事は、家でデスクワークのみ。電子書籍を読みまくっています。娘たちが弁当屋を再開したので、孫たちの面倒を見ながら、5人分の食事作りもしていますよ。あ、でも先日はママローズさんから“ヘルプ”が入ったので、80キロほど離れたオレンジファームという地区へ行ってきました」
ママローズさん?
「HIVに感染し、オレンジファームで自助グループを作って訪問看護やコミュニティ作りをしている旧知の女性です。彼女と一緒に買い出しに行って、40人分の食糧や日用品を求めて、あと現金も少しカンパしてきました。額? 合計で8万円くらいだったか」
こちらの人たちは、カンパの品を受け取ると、独り占めしないで仲間にすぐに分ける。そういう優しい気質があるんですよ、と、高達さんは目を細めた。
取材・文/井上理津子(いのうえ・りつこ)
1955年、奈良県生まれ。タウン誌記者を経てフリーに。著書に『葬送の仕事師たち』(新潮社)、『親を送る』(集英社)、『いまどきの納骨堂 変わりゆくお墓と供養のカタチ』(小学館)、『さいごの色街 飛田』(新潮社)、『遊廓の産院から』(河出書房新社)、『大阪 下町酒場列伝』(筑摩書房)、『すごい古書店 変な図書館』(祥伝社)、『夢の猫本屋ができるまで』(ホーム社)などがある。