昨年9月、キャンプ中に小倉美咲ちゃんが行方不明になってから、もうすぐ10か月がたつ。母・とも子さんにはこれまでさまざまなうわさがつきまとった。被害者なのになぜこんなに批判されなければならないのか。子どもから一瞬、目を離したことはそんなに罪なことなのか。とも子さんがこれまでの思いを明かしてくれた。(前編)
娘が見つかって喜んでいる夢を見た
「ママ!」
と呼びかけられ、娘が帰ってくる場面が夢にまで出てくる。ハッと目覚めると、頭の中に記憶された映像を書き留めようと、慌ててメモを取る。
《娘が見つかって抱きしめ合い、喜んでいる夢を見た》
これが正夢になる日を今か今かと待ち望んでいるのは、千葉県成田市に住む小倉とも子さん(37)である。昨年9月21日、山梨県道志村のキャンプ場で突然、行方不明になった美咲ちゃん(8)の母親だ。
「あれ以来、長女の姉は不登校に、夫は口数が少なくなりました。日々の生活でそういう場面を見ると、あのとき自分がついて行けばよかったと。思い出すたび、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない気持ちになります」
あの日、とも子さんは正午過ぎに、美咲ちゃんと3歳上の長女の3人で「椿荘オートキャンプ場」に車で到着した。先着していたほかのキャンプ仲間に合流し、7家族27人が集まった。夫の雅さん(39)は、仕事の都合で翌日に来る予定だった。
一同は昼食に、天ぷら蕎麦を食べた。午後3時半ごろ、おやつのチョコバナナを食べ終えた子ども9人が、近くの沢まで遊びに出かけた。遅れて食べ終えた美咲ちゃんは1人、先に行った9人の後を追いかけた。その際、とも子さんは、
「ママ、行っていい?」
と声をかけられ、「いいよ」と答え、小走りする美咲ちゃんの後ろ姿を見届けている。
およそ10分後、大人たちが子どもを迎えに行ったが、そこに美咲ちゃんの姿はなかった。心配した大人たちは周辺を捜し始めたが、美咲ちゃんは一向に現れず、日没が近づく前に警察に連絡。夕方に警察が到着し、捜索が始まった。
以来、警察や自衛隊、消防隊はこれまで、延べ約1700人を投入した。とも子さんも、夫と一緒に現場に泊まり込み、白い運動靴がボロボロになるまで捜し続けた。
しかし、美咲ちゃんが姿を現すことはなかった。
教科書は新品のまま
《学習は興味をもって取り組み、力を付けました。国語科「すずめのくらし」では、説明文を正しく読み取り、丁寧にノートにまとめました。運動神経がよく、運動会ではリレーの選手に選ばれ、毎日の練習に張り切って参加していました》
これは美咲ちゃんが通っていた小学校の1年生の成績表に書かれた、担任教諭からの「総合所見」だ。行方不明になった当日は、学校で運動会が予定されていた。ところが天候の都合で延期され、とも子さんたちは、以前から計画されていた仲間のキャンプへ合流することに、予定を切り替えた。
「美咲はリレーの選手に選ばれ、走るのをすごい楽しみにしていました。家の周りを何周も走って自主トレまでしていました。何に対してもやる気があって、最後まで納得いくまでやり切ります。芯が強くて、1人で努力するタイプですね」
自宅でそう語るとも子さんの後ろには、「すき」と毛筆書きされた、美咲ちゃんの力強い字が飾られている。
ディズニーランドが大好きで、家族で行くのを楽しみにしていたという美咲ちゃん。クラスのみんなは、毎朝の出欠確認時、美咲ちゃんの名前が先生から呼ばれると「待ってるよ!」と挨拶してくれる。
そんな温かいクラスから昨年末、とも子さんはクリスマスリースをプレゼントされた。
「夏休みにみんなで朝顔を育てたんです。2学期に入って種を取ったのですが、美咲は参加できなくて……。そのときに枯れた朝顔のつるで作ってくれたリースでした。みんなで飾りつけもしたのでよかったらどうぞ、と言われて先生や子どもたちの思いに涙があふれ出てきました」
成績表に評価がつけられているのは2学期まで。3学期はすべて欠席したため、評価の欄には斜線が並んでいる。それを学年修了時に渡されたとも子さんは、またもや涙が止まらなかったという。
「美咲が描いた絵も渡され、もっと学校で描かせてあげたかった。毎日学校に行くのを本当に楽しみにしていて、勉強にも意欲的だったのに、それをさせてあげられないのがかわいそうでなりません」
2年生の教科書も支給されたが、新品のまま、今も部屋の学習机にしまわれている。
長女はしばらく不登校に
「わたしじゃなくなった」
美咲ちゃんの行方不明は、長女の心にも大きな異変をもたらした。
最初にそれがわかったのは、山梨県警を中心にした大規模捜索が10月半ばにいったん、打ち切られた直後のこと。台風19号が関東地方を襲来したためで、美咲ちゃんの行方不明以来、現場に泊まりっぱなしだったともこ子さんも、ひと区切りつけて自宅に帰ると、祖父母の家に預けられていた長女は寂しさのあまり、泣きじゃくった。
「祖父母の前では心配かけたくないから泣くのを我慢していて、押し入れで1人で泣いていたようです」
祖母が小学校へ連れて行くと、周りの生徒から「美咲ちゃんはどうしたの?」と聞かれ、そのたびに胸が痛んでいた。
「長女は、美咲の『み』と聞くだけで、わーっと泣き出すような状態でした。みんなから『美咲ちゃんのお姉ちゃん』と呼ばれるのが嫌だと。だから学校には行きたくなかったけど我慢したと言っていました」
そんな不安定な長女から耳にした中で、とも子さんが最もつらかったのは、「わたしがわたしじゃなくなっちゃった」という言葉だった。
「自尊心を傷つけられたというか、自分がなくなったみたいで。どんな思いで過ごしてきたかと思うと、かわいそうで……」
とも子さんは小学校へ行き、校長や担任教諭に事情を説明。長女に美咲ちゃんのことを聞かないよう、お願いした。すると、その日から改善されていったという。
以来、長女はしばらく不登校になった。ようやく学校へと足が向き始めたのは12月ごろ。だが、とも子さんが車で学校へ到着するも、長女はなかなか降りられない。
「一緒に授業に行こうか」
となだめすかし、長女のペースに合わせて付き添った。ところがすぐに「ママ……」とすがるような声をあげて早退。1日に5分だけでもと通い続けるうちに徐々に慣れ、2月半ばには丸1日、授業を受けられるほどに回復した。
一方、自宅では美咲ちゃんのいない3人の食卓に、重苦しい空気が流れていた。とも子さんがため息まじりに語る。
「美咲がいたときみたいに笑ってご飯を食べるとかは一切ありません。会話もほとんどなく、長女が1人で話し、それに私が相槌を打つだけです。美咲がいないこと自体がつらすぎて、夫も長女を思いやる余裕がなく笑ってあげることができないんです。家族がそれぞれ自分を保つので精いっぱいといいますか。美咲が戻って来ない限り、元どおりにはならないと思います」
家族でどこかへ遊びに出かけることもなくなった。長女から「あれ食べたい!」と言われても、「美咲が帰って来てからね」と、贅沢を自粛するほどだ。
「美咲がいないのに、美味しいものを食べるのも気が引けてしまうんです。心の底から何かを楽しむこともなくなりました」
なぜ批判されるのか……
発生当初から、とも子さんは、通常の被害者とは異なる扱いを受けてきた。
《畠山鈴香似》《疑惑の人物》
SNS上では、秋田県で娘を殺害した犯人と、とも子さんが同列視されたり、とも子さん自身が行方不明事件の犯人だと疑われる、とんでもない書き込みまでされていた。
とも子さんは今でも、インスタやツイッターに投稿すると、批判のコメントが一定数寄せられる。それでも投稿し続けるのは、美咲ちゃんのためだ。
「とにかく風化はさせたくない。どんな些細なことでもいいから情報が欲しい。その一心でSNSを続けています」
疑惑の発端は、行方不明直後のインスタの更新だった。
《ご存じの方もいるかもしれませんが、うちの次女が行方不明になっています。皆さん、無事を祈って頂けると有難いです。》
とも子さんが振り返る。
「美咲の実名が報道されるまで数日ありましたが、私が経営する店のお客様が、インスタの投稿を心配する気持ちから拡散してくれたんです。ところが、過去の写真の投稿も残ったままだったので、美咲の写真が公開前に広まってしまいました。店のお客様だから直接やめてほしいとも言えなくて……」
とも子さんは、拡散を止めたいという思いから再度、投稿した。そこには捜索ボランティアが連れて来た白馬の写真を掲載し、こんな文章を添えた。
《みなさんの気持ち、美咲にも私にも十分届いています。私のことは心配しないでください。─中略─。動物が大好きな美咲に見つかったら、たくさんの人と動物達も美咲の為に頑張ってくれたんだよと話してあげたいので、不謹慎かもしれませんが写真撮りました》(原文ママ)
しかし、とも子さんの意図が伝わらずにネットユーザーの誤解を招き、炎上した。
《よくこんな時にインスタに投稿できるな》
《親の自己責任だろうが!》
ハッシュタグに店の名前を入れていたことも批判につながった。
とも子さんが釈明する。
「こんなときに店の宣伝かよって言われましたが、そうではありません。店の名前で検索する知人やお客様に伝えたかっただけです」
拡散は止まることがなく、店の名前、住所、電話番号までもがネット上にさらされた。
「電話は携帯に転送されるので、捜している最初の数日間は深夜も電話が鳴りやまず、大変でした。無言電話もありますし、出たら『お前はネットなんかしやがって、ふざけんじゃねえよ!』といきなり怒鳴りつけられ、説教されたりもしました」
無言電話は今でもかかってくる。とも子さんは、娘を捜し続けている被害者だ。
はたして、ここまでの誹謗中傷を受けなければならないほど、過ちを犯してしまったのだろうか。
「元をたどれば、あのとき、私が美咲についていかなかったから、こんな事態に至り、世間からも批判を受けている。みなさんに迷惑をかけてしまった原因は私にあるので……」
とも子さんは自分を責め続けている──。実はSNSによる被害は、これだけにとどまらなかった。
(次号・後編に続く)
取材・文/水谷竹秀 ノンフィクションライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。:バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)。