新型コロナウイルスの感染者が蔓延しているということで渦中の地となっている、東京・新宿の歌舞伎町。特にホストクラブなどの夜の街関係者に陽性者が目立ち、小池百合子都知事も「都民には夜の街、夜の繁華街への外出を控えてほしい」と呼びかけたほどだ。
そんな中、長年同地のランドマークであった老舗ホストクラブ『愛本店』が、6月末日で一時閉店した。
ただ、新型コロナウイルスの影響が直接の理由ではなく、入居するビルの老朽化による移転のためで、1年以上前から決まっていたことだという。8月中旬から新店舗に移転し、コロナの影響を考慮しながら、経営を再開する予定だ。
昭和の栄華があふれる外装と内観、ダンディーなホストたちが多数揃うことで知られた同店は、創業者の故・愛田武さん(最後の肩書は会長)が、1971年に『クラブ愛』として新宿二丁目にオープン。1977年には歌舞伎町に移転し、ダンスフロア生演奏のバンドが常勤する、日本最大の店舗面積を誇るホストクラブ『女性専用クラブ愛本店』として営業を開始した。なお、その歴史と店舗面積を超える店舗はいまだないといわれている。
マスコミに頻繁に登場することで
近年では、ホストクラブという枠を超え、その独特な煌びやかさで国内外からも注目を浴びてきた。アメリカのファッションブランド「マークジェイコブス」が貸し切りパーティを開催したり、映画やミュージシャンのPV撮影などの依頼が次々と舞い込んできていたという。
愛本店の歴史は、歌舞伎町のホスト文化の歴史といえる。そして愛本店の魅力は、愛田さん自身の魅力と切り離せないものだった。
そのゴージャスな空間は人々を魅了し、歌舞伎町の観光名所に。夜の蝶や有閑マダムだけでなく、勝新太郎さんやデヴィ夫人など、大物芸能人たちも多数訪れた。
歌舞伎町内で店舗を続々増やした「愛」グループは、2000年代に起こったホストブームの追い風もあり、全盛期の売上は年間約30億円、在籍したホストは約300名いたという。また、城咲仁というスターホストも輩出した。
愛田さん自身も、マスコミに頻繁に登場した。世間を騒がせた男性有名人に対し雑誌やスポーツ紙で「うちの店に来ればいい」とコメントするのがお約束状態で、これまで誌面で“スカウト”した人物は、羽賀研二、田代まさし、新庄剛志、押尾学、赤西仁などなど、枚挙にいとまがないほどだ。実際、元沢田亜矢子のマネージャーとして時の人となった松野行秀さんなど、実際に雇い入れていたのだからたいしたものだった。
だが、2011年に3度目の脳梗塞を起こし、認知症も発症。その後ほどなくして、家族経営のトラブルが原因で、2人の息子を自殺で亡くすという類を見ない不運に見舞われる。一時は経営難に陥ったものの、日本最大のホストクラブグループである「グループダンディ」の傘下に入ったことにより、『愛本店』という店舗名のまま、なんとか経営を立て直すことができたのだった。
城咲仁はインタビューで
愛田さんは、自身の城の復興を見届けたかのように、2018年に亡くなった。
とはいえ、波乱万丈の人生を歩んできた愛田さんにとっては、どんな人生の幕引きでも受け入れたのではないだろうか。
生前、愛田さんは週刊女性のインタビューにこう語っていた。
「もともと新宿2丁目にあった『愛』を、歌舞伎町の大きな店舗に移転した初日に、原因不明の火事で店内がまる焼けに。だけど落ち込んでいる暇なんてないから、業者に『一年後にお金を必ずお支払いしますから』と頼み込んで、もう一度、工事をやってもらった。客寄せのためバンバンマスコミに出ることにしたら、大繁盛。工事代は8か月で返すことができた」
「店の酒を盗まれたり、暴漢に襲われたこともしょっちゅうあったけど、歌舞伎町はいいところ。通報すれば5分しないで警察が来てくれる。でもお金の管理はしないとすぐに税務署がやってくる(笑)」
愛田さん亡き後も、愛田イズムは生き続けた。
愛本店を象徴する店舗内の独特の内装は、愛田さんが生前自身で手掛けたものだった。
「愛田社長(当時:以下同)自身が装飾品を買いつけててきて、自分で配置したり、開店前に接着剤で貼り付けたりしていたんです。だから、出勤してくるといつも店内が接着剤臭かったものでしたた。ただ、まったく統一性がないものばかりなのに、不思議にしっくりするんですよね。あと、うちの店は内装がキラキラしているぶん、ほかの店より明るい。それでも“愛本店に来ると落ち着く”というお客さんも多かったです。
実際、うちの店は落ち着くらしく、お客さんも長い人が多いですし、従業員も10年以上勤めている人間はザラです。社長の世界観と、人柄の魅力がまだ残っているんだと思います」(代表代行の慎さん)
愛田さんについて、ある元スタッフが以前、こんなエピソードを話してくれたことがある。
「社長は、心を鬼にしきれないところがあるんです。以前、持ち逃げしたスタッフが、なんとホームレス状態になって、店の前でたたずんでいたことがあった。社長は咎めるでもなく、黙ってその元スタッフに5000円を渡したんですよ」
2019年の年末に、期間限定で愛本店にホスト復帰をした城咲仁も、復帰の際のインタビューでこのように語っていた。
「社長はいつも、いい意味で僕を放っておいてくれたんですね。だから自分がやりたいようにやって、頑張れたんだと思います。
そんななか、芸能界へのお誘いがあって、ホストはきっぱり引退し、デビューすることにしたんですが、社長は『がんばれよ』と応援してくれたんです」
“歌舞伎町のアマビエ”として
愛本店の現代表であり、現役のホストでもある壱さんもこう語る。
「僕は上京してから17年、ここの店にしか勤めたことがないので、いわばここが第2の故郷であり、愛田社長は東京のお父さんなんです。一流のホストになるために、いろんなことを教わった気がしますが、それは手取り足取りではなく、社長を見続けて覚えたのだと思います。ホストの魅力は、社長がこの店を文字通り自分で作り上げたように、自分自身で作り上げなくてはならない、と。
だからというか、社長の言葉で最も忘れられないのは、アドバイスでも教訓でもないんですよ。経営がゴタゴタしていたころ、ふとしたときに『壱ちゃん、ありがとうね』と言われたことです。たいして力にもなれていない、こんな僕に感謝してくれてるんだ、って」
愛田イズムという精神は受け継ぐことができても、物理的な建物の寿命にはあがなえない。
新店舗での営業開始が目前となった今、壱さんに決意を聞いた。
「『愛田社長=愛本店』ではありましたが、社長が亡くなった後は、僕たちも努力をして、新しい試みをいろいろ取り入れてきたんですね。海外のお客さまを積極的に受け入れられるように従業員たちが外国語を学ぶようにしたり、昼間にダンスホールを開放したり、内装のゴージャスさを売りにした、通常営業以外の各種イベントを開催したりもしました。おおむね好評をいただいていて、新店舗でも何かしらの試みをしていきたいと思っています。
愛本店がいつまでも愛されることが、社長の一番の供養だと思いますので。店内のシャンデリアや飾り棚、置物などの装飾品は、できる限り新店舗に運んで配置する予定です。ただ、一抹の心配は、内装をどこまで再現できるか、なんですけど(笑)」
歌舞伎町に愛され、歌舞伎町を愛した愛田さん。今回のコロナ騒動には、草葉の陰で心配をしているに違いない。“歌舞伎町のアマビエ”として、ホストたちの力になってくれることを祈りたい――。
撮影/山田智絵