ビートルズという、今でも世界中で愛されるロックバンド。ファブ・フォー(素敵な4人組)と呼ばれていた彼らの楽曲を聞いたことがない人はいないだろう。しかし、1970年4月の解散から半世紀が過ぎ、その楽曲は知られていても、ビートルズが世界中で愛される理由、その偉大なる足跡を知らない世代も増えている。
「彼らがビートルズになるには、“神の手”としか説明がつかないような奇跡というほかない幸運に出会っている」と説くのは、『教養として学んでおきたいビートルズ』の著者、里中哲彦氏。「教養」としてビートルズについて解説した同書の中から、第1章の一部を抜粋して掲載する。
インスピレーションの源泉
ビートルズは、ロック・ミュージック史上、最大にして最高のグループである。
1960年代からこんにちに至るまで、性別も年齢も、人種も民族も、出自も職業も超えて、いまもなお多くの人びとに愛されている。もはや世界が共有する「教養」の一部である。
だから、ジョン・レノンやポール・マッカートニーがビートルズのメンバーだったことを知らない若者がいるという話をはじめて耳にしたときは、信じられない思いがした。4人のメンバーの名を知らないとか、ビートルズの音楽が世代を超えて受け継がれていないとか……そんなことは考えてもみなかった。ビートルズは「常識」であり、「教養」ではなかったか。
しかし、よくよく考えてみれば、当たり前のことである。ビートルズが解散してもう50年も経つのである。ビートルズを知らない若者がいても、なんの不思議もない。あるラジオのDJは「高校生にこれは誰の歌と聞かれたのが、ビートルズの〔ヘルプ!〕だった」と嘆いていたが、慨嘆(がいたん)するにはあたらない。そういう現実もまた、厳然たる事実として存在するのだ。
逆に、ビートルズを知らなくても、スティーヴ・ジョブズの名を知らぬ若者はいないようだ。いわずと知れた「アップル」の革命児であるが、ジョブズは「音楽の聴き方」に革命をもたらしたことでも知られている。
ジョブズは、ビートルズにインスピレーションを感じて、その生涯をまっとうしたひとりであった。彼は優秀な人材を集め、その融合から生まれるシナジー(相乗効果)を引き出すカタリスト(触媒)として優れていたが、そのインスピレーションの源泉はビートルズであったとCBSのインタヴューで語っている。
「ビジネスの手本はビートルズだ。彼ら4人はお互いに問題を抱えながらもバランスを取り合い、全員がひとつになることで、それぞれの活動を合わせた以上に素晴らしい力を発揮した。これが、私の理想とするビジネスのあり方だ。ビジネスにおける偉業はひとりでは成しえない。それはチームによってもたらされるものなのだ」
また、ジョブズが設立した会社は「アップル」(名づけ親はジョブズ)だが、その社名がビートルズがつくった会社「アップル・コア」に由来するのは間違いのないところだ。
私生活においてもビートルズの影響は大きかった。ビートルズの好んだインドを旅し、導師を訪ね、禅に興味を持ち、瞑想し、マリファナを吸った。
ビートルズの楽曲は愛用のiPod に入れていた。しかし、自宅ではレコードをかけることが多かった。過去のテクノロジーを否定するのではなく、現代のものと併用することで、ビートルズの音楽を享受したのだった。あたかも、それは、ビートルズはこう聴いてほしいという手本のようでもあった。
「クレイジーな人たちに祝杯をあげよう」
1997年、売り上げや企業イメージでマイクロソフト社に大きく水をあけられていたアップルは、創業者スティーヴ・ジョブズを復帰させると、建て直しの一環として「Think different キャンペーン」を行った。
アインシュタイン、ガンジー、ピカソ、ジョン・レノン、マイルス・デイヴィス、モハメド・アリなど、社会と意識に変革をもたらした天才たちが映しだされる白黒の画面に、「クレイジーな人たちに祝杯をあげよう」で始まるナレーションが流れた。
「クレイジーな人たちに祝杯をあげよう。はみだし者、反逆者、やっかい者、変わり者、ものごとが世間の人たちとは違って見える人。彼らはルールを好まない。現状も肯定しない。人は彼らを引き合いにだし、同意しなかったり、賞賛したり、けなしたりする。でも、彼らを無視することは誰にもできない。なぜなら、彼らはものごとを変えてしまうからだ。彼らは人類を前進させる。彼らをクレイジーと呼ぶ人がいるが、わたしたちはそこに天才の姿を見る。世界を変えられると信じるクレイジーな人たちこそが、じっさい世界を変えているのだから」
クレイジーな人(天才)たちが、ものごとを変え、人類全体を前に推し進めるのだと高らかに宣言したのだった。以後、ジョブズ率いるアップルが快進撃をつづけたのは周知の事実だ。
キーワードは、Think different.(発想を変えるんだ)である。本来ならば、“Think differently.”とすべきところを、発想を変えて“Think different.”としたのが功を奏した。固定観念にとらわれず、見方を変えてものごとを見つめようというわけだ。
ジョブズは、とりわけジョン・レノンが好きで(「ヒーロー」とまで崇めている)、ジョンが熱心だったプライマル療法(幼児体験に直面させ、自己鍛練によって殻を打ち破るという精神療法)にも通っている。ジョブズが禅や精神療法に心の平安を求めたのは、彼が養子で、本当の親を知らないという事情があったようだが、親と一緒に暮らせなかったジョンと自分自身を重ねていたのに違いなかろう。
ビル・ゲイツも大のビートルズ・ファンだった
マイクロソフトのビル・ゲイツも大のビートルズ・ファンだ。ゲイツはスティーヴ・ジョブズとの関係を〔トゥ・オヴ・アス〕(アルバム『レット・イット・ビー』収録)の歌詞にたとえて、ビートルズが「常識」であり「教養」であることを示したのだった。
わたしたち2人(トゥ・オヴ・アス)は、いいときもあったし、よくないときもあったといいたかったのであろう。実際ジョブズはビル・ゲイツを高く評価していたが、「ちょっと視野が狭いと思う」と批判するなど、気に障ることが双方にあったのである。
ビル・ゲイツのビートルズへの“入れ込みよう”もかなりのものである。2019年、Netflixは『天才の頭の中:ビル・ゲイツを解読する』を全世界に向けて配信したが、その音楽を担当したのは、ジョージ・ハリスンと妻オリヴィアの息子、ダーニ・ハリスンだった。これもビートルズへのオマージュであったに違いない。
アナログ時代のビートルズが、IT社会を創りだした天才たちのインスピレーションに関わっていたとは、なんとも不思議に思われるかもしれないが、これもまたビートルズ・マジックなのである。
ビートルズが自分の人生の中でどのような意味を持ったのか、語っている人は枚挙にいとまがなく、ビートルズは人生の指針であり、インスピレーションの源泉である。数多くの人たちがビートルズを契機、あるいは根拠地として、人生でやるべきこと、やってはいけないことを決めたのである。こうしたビートルズの存在を、偉大といわずになんと呼ぼう。
里中 哲彦(さとなか てつひこ)河合文化教育研究所研究員
早稲田大学エクステンションセンター講師。早稲田大学政治経済学部中退。評論活動は、ポピュラー音楽史、時代小説、ミステリー小説、英語学など多岐にわたる。著書に『ビートルズが伝えたかったこと』(秀和システム)、『ビートルズを聴こう 公式録音全213曲完全ガイド』(中公文庫 )、『ビートルズの真実』(中公文庫)、『はじめてのアメリカ音楽史』(ちくま新書)ほか多数。