黒人への暴力に抗議するデモ「ブラック・ライブズ・マター」が世界中に拡大し話題を呼んでいる昨今、日本在住の黒人の方々はどんな思いで暮らしているのか。その胸中を、ミュージシャンの矢野デイビットさんに語ってもらった。
ひとりだけ警察に引き止められて
ミュージシャン・講演家として活躍する矢野デイビットさん(39)は、父が日本人で母がガーナ人。仕事の傍ら一般社団法人『Enije』を設立、ガーナに学校を建て子どもたちの教育活動も行う。
矢野さんは6歳で来日。家庭の事情で、2人のきょうだいと児童養護施設で育った。
「子どもは価値のある・なしを生活の中で自然に学びます。差別や偏見を周囲が見過ごすことは“こいつには何を言ってもいい。社会にとって大事な存在ではない”というメッセージになる。あのころの僕は、生きていくためには僕自身が我慢しなくてはならない、と思っていました」
肌の色が違うだけで犯罪者扱いされてしまう現実が日本にもある。それを最初に経験したのは、矢野さんが小学4年生のときだ。友達数人と自転車で走っていたら、矢野さんだけ警察に引き止められた。お店に入れば、「万引きするんじゃないか」と店員に監視された。
また、肌の色という見た目の違いから、小学校ではいじめにあった。隠れて泣いていると、担任の先生が「どうしたの?」と尋ねた。「何でもない」と答えると「あなたは闘う練習をしなくちゃいけない。何か問題が起きたら全力で守るから」と言われた。嫌なことを嫌と言っていいのだと初めて思えたという。
とりわけ小学5年生の出来事は忘れられない。その日はクラスのガキ大将が1日中、矢野さんをからかい続けた。我慢しきれず飛びかかると、偶然、矢野さんが馬乗り状態に。そこへ先生がやってきて「また悪いことしたね」。矢野さんは施設で叱られた。
無言で弁解をあきらめていると、ガキ大将がお母さんと一緒に施設へやってきた。
「デイビット、ごめんね」
自分の行為が、矢野さんを傷つけていたことがわかったというのだ。初めて「誰かを信じられるかもしれない」と思えた出来事だった。
しかし、その後の人生でも差別的な扱いは何度も続く。
高校で打ち込んだサッカーの国体試合では、対戦チームの選手が試合中、耳元で「黒人。国に帰れ」とささやいた。
大人になってからも、賃貸契約をするとき、不動産屋が家主に「黒人の方です」と伝えると「貸さない」と言われる。「日本国籍で誠実な方です。会えばわかります」とかけあってくれたが、家主は聞く耳を持たなかった。
「ひとつひとつ受け止めていたら心がもたないんです。職務質問を受けることもしょっちゅうある。200メートルの間に4回されたのが最高記録です(苦笑)」
人に寄り添う心のあり方が問われている
約20年前、母がガーナへ帰国した。矢野さんが会いに行くと、6時間かけて、かつて奴隷貿易が行われていた要塞へ矢野さんを連れて行くことがある。そのたびに奴隷制、黒人差別について話し合う。
ガーナでも矢野さんは「外国人」扱いをされる。心に浮かぶのは「自分は一体、何人なのだろう」という思い。
「ブラック・ライブズ・マターの運動が起きて、意見を求められることも多い。正直、簡単ではない。僕の経験では国や人種ではなく、ひとりひとりの選択が差別を生んできたのだと思っています。見た目にとらわれず人として向き合える社会こそが僕の理想です。誰かが理不尽に悲しんでいるなら、シンプルに僕はその人のそばにいたい」
人種や国籍と関係なく、すべての人が人間として認められる──。それが大前提であるべきと矢野さんは言う。
26歳のとき、ストリートチルドレンに出会ったことがきっかけで、ガーナで学校を造る活動を開始。大人たちに見捨てられた存在を「他人事(ひとごと)」「しかたない」で終わらせることができなかった。大人になった今は自分が子どもに問われる側だ。
「世界を前向きにして世の中をもっと生きやすくしたい。生きにくさは、僕らがつくっているんですよね。差別だけじゃなく、さまざまな問題に苦しんでいる人が身近にたくさんいる。ブラック・ライブズ・マターも、1人の命が奪われることをどう思うか? という話。自分の家族が意図的に殺されたらどうか? 人に寄り添う心のあり方が問われているんです」
(取材・文/吉田千亜)