天下の“キムタク”を「とと」と、なんとも軽く呼び捨ててしまう長女・Cocomiをして「偉大」と認める“ビッグ・ママ”──工藤静香と現在の夫である木村拓哉との熱愛が発覚したのは’99年末のこと。
光GENJI・諸星和己との“大胆”交際
「急接近したのは木村の趣味だったサーフィンを静香が始めたから。サーフィン以外にも、ブラックバス釣りにも一緒に何度も出かけていて。“『嵐の素顔』を歌ってた、あの静香が魚釣りをするなんて”と、記者仲間と驚いたのを覚えていますよ」(当時を知るスポーツ紙記者)
その交際発覚から、わずか1年で“できちゃった婚”して日本中が驚いたのは、今さら説明するまでもないだろう。
だが、木村と付き合うまでの静香は“恋多き女”としてマスコミをにぎわせ続けていた。自身に曲を提供していた作曲家・後藤次利との熱愛が報じられた後、乗り換えたのが、夫の“大先輩”光GENJI・諸星和己。当時の諸星は“かぁくん”と呼ばれグループきっての人気者だった。同い年の彼氏との出会いは、10代半ばに遡る。
「当時、諸星はまだジャニーズJr.だったんですが、そのころから静香にゾッコンで。わざわざ彼女が通っていた高校まで行って声をかけたほど。今ならストーカー扱いです」(同・スポーツ紙記者)
ふたりは、ほどなく付き合い始める。もちろん、秘密裡な交際だったのだが……。
「光GENJIファンの間では“静香とデキてる”と、すぐ噂になったんです。というのも、諸星がコンサート中に突然、静香の曲『MUGO・ん…色っぽい』を歌いだしたり、“工藤静香の『抱いてくれたらいいのに』は俺のための歌だ”なんて言い放ったから(苦笑)。何万人という自分のファンの前でですよ!?」(同・スポーツ紙記者)
静香のほうも、大胆な行動に出ていた。
「光GENJIのファーストコンサートをお忍びで鑑賞していたのが、発売されたコンサートビデオに映り込んでいたんです。クールビューティーで売っていた当時の静香がジャニーズアイドルのコンサートに行くなんてね。最近の“匂わせ”なんかとはレベルが違いますよ(苦笑)」(同・スポーツ紙記者)
諸星が後年出版した告白本の中で、“18歳のときに結婚をしようと言った彼女がいた”と匿名で綴っているのは、静香のことではないかと言われている。
そんな結婚寸前まで燃え上がっていたふたりだったが、
「自他ともに認めるほど、当時の諸星は遊び人でしたからね。諸星の女遊びのたびに離れたりくっついたりしていたけれど、結局、諸星が静香の友人でもあったアイドルに手を出しちゃって。それで愛想を尽かしたそうですよ」(同・スポーツ紙記者)
的場浩司との交際では先手を打って会見を開く
’92年、22歳になると元祖“ヤンキー”俳優、的場浩司との半同棲が始まった。写真誌から取材を受けた静香は、先手を打って自ら会見を開く。
「マスコミは“すわ、電撃結婚か!?”と色めきだって会見場に詰めかけた。ところが工藤さんは“とても信頼している大切な人”と、満面の笑みで的場さんとの交際宣言をしただけ、というね……。工藤さんは“交際宣言したほうがイメージいいんじゃない?”と考えたんでしょうねぇ」(ワイドショースタッフ)
“お似合いカップル”とも呼ばれたふたりの蜜月は、だがしかし、長くは続かない。この会見の3か月後、突然終わりを迎えることに。
当時を知る芸能プロ関係者が振り返る。
「原因は的場君の浮気。的場君はNHKの朝ドラ収録で、大阪でホテル暮らしをしていたんですが、ある共演者といい仲になってしまったようでね。それで静香が怒ってフッた。静香は恋愛に対して、いつも本気。惚れた男の趣味に自分も“合わせる”んですよ。見た目から持ち物から趣味、車までとにかく全部」
当時の的場の愛車は日産・シーマ。しかもガラスはフルスモークのヤンキー仕様。
「そしたら、静香も車を同じフルスモークにしちゃってね。少年隊の植草克秀君とも一時期仲がよかったんだけれど、そのときも“ポルシェ好き”の彼に合わせて自分もポルシェに乗っていたし。木村君と付き合っていたころだって、サーフィンと釣りやって“ガングロ”メイクにしてたでしょ? それまで太陽の下なんて絶対歩かない雰囲気だったのに(笑)。誰と付き合っても、男の好みに合う女性を演出……自分で自分をプロデュースする。そうやって気持ちを独占したいんだろうね」(同・芸能プロ関係者)
直筆FAXでYOSHIKIと「まだ別れてません」
静香がひとり占めした男たち──中でも別格の存在だったのがカリスマバンド・X JAPANのYOSHIKIだ。親密な関係が公になったのは、’94年3月に起きた、ある“事件”がきっかけだった。
「YOSHIKIはそのころからアメリカのロスで生活をしていたんですが、飲酒運転で現行犯逮捕されたんです。その助手席に乗り合わせていたのが、静香だった」(前出・スポーツ紙記者)
不運といえば不運な形でマスコミの知るところとなったのだが、公になるやロスで堂々と同棲生活を送るように。
「静香の誕生日にYOSHIKIが婚約指輪を贈るまでの仲になりました。静香の左手薬指にはいつも、そのリングが輝いていたんですが……」(同・スポーツ紙記者)
その年の夏過ぎには、不仲説、破局説が囁かれるようになってしまう。その噂を証明するかのように、10月には静香の左手から指輪も消えてしまった──ところが!
「静香がマスコミ各社に直筆の“反論FAX”を送りつけたんですよ(苦笑)。《色々な噂が流れていますが今までと変わりなくお付き合いをさせて頂いてます》って。“付き合っています”というFAXは何度か見たことがあるけれど“まだ別れてません”っていうのは、これが最初で最後(笑)。別の女の影に気づいた静香が、事務所の反対を押し切って勝手に送ったそうで。“私の男に手を出すなよ!”というメッセージだったんでしょうけどねぇ」(同・スポーツ紙記者)
だが1度ねじれた関係は元どおりには戻らない。1年後、静香は別れを受け入れた。
別れる直前まで、染め上げた金のロングヘアも細く整えた眉のラインもYOSHIKIのそれとまったく同じだったという。(次号に続く)