『しげログ』は商品プロデューサーとして活躍し、海外のファッション・流行などをナビゲートしているしげるちゃんが毎回「会いたい人」と「好きなお店」で対談! ゲストの“素”を引き出しちゃいます。第10回目のゲストは俳優の斉藤祥太・慶太さん。初となる三者対談でも大盛り上がりは確定です!(※対談は3月25日に行われたものです)
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しげるちゃん(以下/しげる)「はじめまして〜本日はよろしくお願いします! しげるがふたりを知ったきっかけは当然のように『キッズ・ウォー2〜ざけんなよ〜』(TBS系)だった。まあ何度も言われてると思うんだけど(笑)。でもデビューはそれよりもっと前でしょ?」
斉藤慶太(以下/慶太)「この業界に入ったのはもっと前ですね」
斉藤祥太(以下/祥太)「あれが初めてだと思っている人は多いと思います」
しげる「だよね、すごく人気のドラマだったし、印象的だったもの」
慶太「その前は教育テレビの『ティーンズTV』(NHK)の『インターネット情報局』で、パソコンやホームページの作り方について学ぶ生徒役だったりですね。あとは双子だったので、『おかあさんといっしょ』(NHK)や、双子の特番みたいなものに声をかけてもらったりしていました。中学生のころですね」
祥太「あとは雑誌のカタログとか」
慶太「『イトーヨーカドー』のCMの車に乗っている家族の子ども役とか、エキストラのような仕事をさせていただいていました。そんな僕が最初に出演したドラマが、光石研さん主演のオムニバス形式のドラマ『ココだけの話』(テレビ朝日系)のなかの『コンドーム』という作品。“中学生はセックスしちゃいけないんですか?”ってセリフがあって、あれはちょっと恥ずかしかったな(笑)」
しげる「最初『キッズ・ウォー2』に出ていたのは祥太くんだったんだよね」
慶太「そうです。なのに僕が街を歩いていると役名で『あ、翼(祥太)くんだ!』とか声をかけられたり(笑)。『いや、違います』って言うんですけど、その当時は双子だって知られてませんでしたから(笑)」
しげる「その後、次のシーズンから慶太くんも出演するようになったのよね。全国区のドラマだから、それは話題になるよね」
祥太「僕が双子だということをプロデューサーの方が知って、“じゃあ双子をどこかで再会させよう”という話に(笑)。そこから『3年B組金八先生』(TBS系)に出演したり、『WATER BOYS2』(フジテレビ系)に出ていました。当時は電車移動していたんですけど、隣に座っている人が『キッズ・ウォー2』の話題をしていたりするんですよ。子ども心になんだかすごく恥ずかしかった(笑)」
慶太「反町隆史さんの『ホットマン』(TBS系)とかね。懐かしいな」
しげる「それに、映画『タッチ』もだよね~、しげるは、いつもカラオケで主題歌歌ってるよ(笑)」
祥太「ありがとうございます(笑)。そういう双子役のお仕事が来るときは、“双子で良かったな”って思いますね」
しげる「あとは、『王様のブランチ』(TBS系)に2人で出演していたのも印象に残ってる、どっちが祥太くんで、どっちが慶太くんかよくわかってなかったんだけど(笑)可愛いなって思ってた」
慶太「そのころですかね……。僕ら『キッズ・ウォー2』でバーンと出てきたんですけど、20歳前ぐらいになって、なんだかお休みが多くなってきたなと」
しげる「それはお仕事が少なくなってきたなと思ったってこと?」
慶太「そうですね。それで僕たち、地元の友達と副業を始めているんです。で、せっかく時間があるんだったら好きなことを追求したいなと思ってスポーツに没頭してみたり、動物好きなので動物について勉強してみたり。意外とネガティブな気持ちでは過ごしていませんでしたね」
祥太「最初に露出が増えすぎてたってこともあって、仕事がなくなっても“まあそんなもんだろうな”ぐらいの気持ちで」
慶太「ストレッチ系のインストラクターの資格を取得して、ジムで働いたり、ほか内装の職人を始めたりしましたね」
祥太「僕は解体業やガスの配管工事といったガテン系の仕事を。中野や新宿、目黒の道路に埋まっているガス管は僕が変えたんですよ(笑)。最近は電器系。防犯カメラの取り付けなどですね」
慶太「結構2人ともガテン系なんですよ(笑)。あと昼夜逆転の生活を送りたくなかったってのもある」
しげる「それは知らなかったなぁ。芸能界とは全く違う生活を送ってみて、なにか気付きはあった?」
慶太「ガテン系の仕事をしているうち、芸能人もそうじゃない人も、何も変わらないんだという当たり前のことを改めて思えました。当時から、芸能の世界がそんなに偉いのかという疑問を一部の方々に対して思っていたんですよ。例えば、大御所のタレントさんが煙草に火をつけたら、周囲の人がすぐに火をつけなくちゃいけないとか。それってどうなんだろうって。僕たちは平等に人間なんじゃないかなって」
祥太「あと、手に職で家族を養っている人が世の中のほとんどじゃないですか。芸能界にいるとそれが見えにくくなる瞬間がある。普通にお金を稼ぎ、家庭を守っている人を見るうちに、芸能界での成功だけが成功ではないという当たり前のことに気づけたってことはあったかもしれないですね」
慶太「あと、ひとつの仕事に向き合えるようになったぶん、お芝居のやり方は変わってきたようにも思う」
祥太「“自分が、自分が”って、前に出ようとする気持ちもなくなっていったよね。ガツガツしなくなってきたっていうか。そういうゆとりが僕たちの仕事のあり方を変えたのかもしれないです」
しげる「お2人は、今年! なんと芸能生活20周年を迎えましたよね、その記念で『サイト―』にちなんで、3,110円で映画・ドラマ・バラエティにイベント、ネット動画やサプライズ訪問とか記念写真まで、全国どこにでも行って、どんなお仕事も受けるってキャンペーンしていたけど、あれはもう締め切ったんだっけ?」
慶太「“サイトー”にちなんだ3月1日10時に締め切りました」
しげる「すごく面白い企画だと思って。どうだった?」
祥太「すごくあたたかい気持ちになりました。本当に3,110円もいらないやってぐらいの気持ちになるんですよ。僕らが中学生のころの雑誌や新聞の切り抜きを集めてキレイに保存してくれいてる方や、娘さんを抱っこして写真を撮るだけですごく喜んでいただける方……。
来ていただくのではなく、こちらから出向くっていうことに意味があったのかなって。テレビ画面の向こうやSNSで応援してくれる方はいるんだろうとおぼろげには感じていたのですが、それをリアルに肌身で感じて。ファンの方々と触れ合う機会の大切さを知りました」
しげる「ねえねえ、それは交通費は出るの?
祥太「出ません。宿泊費も。だから赤字なんです(笑)」
慶太「『Live News it!』(フジテレビ系)が密着してくれたりもしました。奄美大島在住の僕たちのファンが転勤するということで、その友達がキャンペーンに応募してくれたんです。サプライズで送別会に訪れたんですが、ただ僕と祥太が訪れるだけなのにリアクションがすごくあって。単純にすごくうれしかったんです。今まで頑張ってきて良かったなって」
しげる「しげるだったら、うれしくって泣いちゃう。あと聞きたいことがあったの、2人とも横浜出身だと思っていたんだけど山形の観光大使をしてるのは、どんなキッカケ?」
祥太「テレビ朝日の番組で『イチから住(いちからじゅう)〜前略、移住しました〜』というのがあったんですよ。芸能人とかタレントが田舎町に3か月間住むっていう、移住生活の企画で。僕たちも住む家さえ決まってないところから企画が始まって、山形の金山町っていう秋田に近い、人口5,000人くらいの町に行ったんです。冬の終わりくらいに行って、雪深いところで家探して、“じゃあこの家で3カ月住みます”って契約をしました」
しげる「仕事や生活を山形でしていたの?」
祥太「そうです。あとはバイトしたり、お米を作ったりとか」
慶太「テレビ的にもそういうの追っかけたいということで。二人でご飯作るところを寝る前まで。朝起きて仕事行って、一応田んぼ仕事や畑仕事がメインなんで、まあそういう仕事してる風景を撮ったりとか。で、やっぱりガチなんで、朝8時から夕方17時までちゃんと働くんですよ。途中カメラ止まったりとか。そうしてるうちに向こうの人も受け入れてくれて。すごい仲良くなって、3カ月でわいわいと過ごしました。そして一応、この町をテレビに紹介してくれたということで“観光大使に”というお話が来たという経緯ですね」
しげる「そうだったんだ。しげる、すごく不思議だったからすごく腑に落ちた。じゃあ、次はお二人が双子だってことでお話を聞いてみようかな。後編のお話もよろしくね」