7月22日、TOKIOが衝撃的なニュースを発表した。
長瀬智也は'21年3月31日をもって、TOKIOを脱退。ジャニーズ事務所も退社する。同時に'21年4月1日から、株式会社TOKIOが始動。残るTOKIO3人はジャニーズ事務所内に設立した“社内カンパニー”として、新たな道を歩むという。
この発表を受けて急きょ、『週刊女性』は株式会社TOKIOの3人に直接、話を聞いた。
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城島、国分、松岡にインタビュー
城島「ご報告は2つあります。
1つは、長瀬智也がTOKIOから離れて、ジャニーズ事務所を退所する運びとなりました。メンバーと話し合い、彼がこれから1人で新しくチャレンジしたいことがあるという意向をくんで、それを応援したいという思いで、見送ることにしました。
2つめは、TOKIOという“屋号”は、先代のジャニー社長からいただいた名前であり、守っていきたいという思いがありまして、これまでのタレント活動は3人でやりつつ、TOKIOとしての新たなチャレンジとして『株式会社TOKIO』という会社を作ることにしました。“TOKIO第2章”として、次のステップを踏んでいくための会社設立となりました。
今までやってきたタレント活動以上に、タレントの枠を超えた、ジャニーズ事務所ではできなかったような部分に深く突っ込んで、いろいろやっていけたらと思っています。
とはいっても、来年3月末までは、メンバー4人のTOKIOは続くので、それはこれまで以上に頑張っていこうと、長瀬とも言いながら、突っ走っていきます。
その先は、長瀬と3人のTOKIOの道は違いますが、それぞれ認め合いながら頑張ろうという思いに至りました。今後とも長瀬と新生TOKIOをよろしくお願いします」
新会社の設立は、7月22日付。国分と松岡が「リーダーが社長に」ということで、城島が選ばれた。従業員は国分と松岡の2人のみ。今後はマネージメントをする人間も入れていくというが、とりあえずは3人での船出となった。
解散しなかった理由
「いっそ解散」という選択肢はなかったという。
松岡「やはり“名前”ですね。先代の社長、ジャニーさんからもらった名前である『TOKIO』を、どうしてもなくすことができなかった。
もし先代社長が生きていたら、相談したでしょうけど。'19年7月9日に亡くなって、1年がたち、やはり先代社長からもらった名前の重さを感じまして。そこは3人の気持ちが一緒だった。そこで会社を作ろうと思いまして、株式会社TOKIOにしました。先代のお墓は、ちょっと遠いので、まだ行けていませんが、個々で報告はしています」
TOKIOはグループとして、'16年から『東京オリンピック・パラリンピック』の『フラッグツアー』スペシャルアンバサダーに就任している。
松岡「東京都からいただいているお仕事ですから、TOKIOは3人になりますが、それでもやらせていただけるとしたら、われわれはありがたく引き受けさせていただきます」
TOKIOが現在、抱えているレギュラー番組は2つ。日本テレビ系『鉄腕ダッシュ!!』とフジテレビ系『TOKIOカケル』がある。
城島「継続できるなら、お願いしたいという意向は伝えています」
松岡「先方様の意見があってなので、アンバサダーの件と同じで、2つのテレビ局さんが判断されて、われわれはやらせていただけるなら、やりたいと思っています」
TOKIO4人でのラストステージは?
TOKIOとして、最後に4人でステージに立つコンサートはないのか?
松岡「今のところ、やりません。TOKIOとしての音楽作品も出す予定はありません。ファンに残念な思いをさせて、自分たちの悲しさと苦しさもあるのですが、'21年3月31日までは4人で活動しますし、解散とも言わないし、解散するつもりもない。
4人でコンサートをやって、何か“お祭りの後”のような空気になるぐらいなら、これから発射台に立つところを見てほしい。そういったことを、これから時間をかけて、ファンには説明をしていかなければいけないと思っています」
『株式会社TOKIO』の3人としての音楽活動は?
松岡「チャンスをいただければやりたいですが、それもいろんな形のTOKIOを作っていこうと思っています。音楽をやめるというのは考えていません」
TOKIOの音楽プロデューサーは、これまで長瀬が努めてきた。今後の音楽プロデューサーは誰が担うのか?
松岡「個人になるんじゃないんですかね。僕も国分さんもリーダーも、自分で曲や歌詞も作る。3人でとなったら、3人で考える。今までは長瀬を中心にして、音楽のビジョンは彼が1番見えていたので、それに合わせて、われわれは納得してやっていた。
彼がいなくなったら誰かがプロデューサーになる、というわけではないんです。みなさんが思っているような音楽プロデューサーとはちょっと違う。もしくは音楽プロデューサーというか、一緒にやっている仲間はいますので」
新会社でのそれぞれの役割
国分は『株式会社TOKIO』について、自ら会社資料を作成中。完成前であるという資料をもとに、説明をする。
国分「これまで持っていた“楽器”を“金づち”に持ち替える、というイメージです。
バンドから会社へ。リーダーから社長へ。社長は城島茂。企画を考えるのは国分太一。広報は松岡昌宏です。
僕らって“手づくり”のイメージがすごく強いと思っています。これまで、いろんな“モノづくり”をしてきました。それはテレビ局が作ってくれたレールに、僕らは乗っかって、ここまで来ることができた。そのレールを自分たちで敷いていく。何でも作っちゃう。手始めに、まず会社を作りました。そういった“会社づくり”が、すでに僕たちなりの面白いエンタメになっていると思っています。
例えば、名刺を作る。僕らと縁が深い福島県で、切った木を紙にして、それを名刺にする。その過程を見せる動画も作る。今まで経験させてもらったことは、社会貢献にもつながっていくとも思っています。ファーム、食育、子どもが体験する場所、町おこし。日本のモノづくりの現場には、たくさんの職人さんがいます。僕らのテーマも“手づくり”です。そこで職人さんを応援する場所を、アンテナショップ的に『株式会社TOKIO』から配信していく。TOKIOから全国に。各企業ともタッグを組む。イベントにも参加する。それらを楽しみながら、かかわった人みんなのことを『TOKIO』と呼びたい。
それを夢物語ではなく現実にしていくのが、会社の進む道だと思っています」
脱退する長瀬への想いとこれから
そんな『株式会社TOKIO』について、別の道を歩むことになった長瀬の感想は?
松岡「喜んでくれました。彼自身が新しい道を歩むというときに、彼もわれわれを気になるようで。3人で話し合った結果、会社を設立するという話をしたら、すごい喜んでました。道こそ変わりますけども、アイツものびのびとスタートができると思うので。
グループに5人いたら、節目にいろんなことが起きます。長瀬も40歳を超えて、自分なりにやりたい道を突き詰めていきたいというのを、シッカリと聞いたのが、今年のアタマでした。そこでもう、彼を止めることもありません。30年ぐらい一緒なので、彼のことはわかっていますし。それはもう、頑張ってくれと。お互いポジティブにとらえて、われわれは会社を作るということを伝えました」
長瀬は具体的に何をするのか?
松岡「われわれの口からは何とも言えないのですが、本人いわく、コレをするということではなく、今までジャニーズ事務所にいて、いろんな番組で教わってきたこと、携わって勉強になってきたことを、彼なりの表現で伝えていきたい。それが何なのか、彼の中ではまだ決まっていないようです。
そして、それが発表なのか、動いているというのがわかったときに、“ああ、長瀬はこれがやりたかったんだ”というのが、わかるはずだ、と本人は言っています。演者になるのか? そうではない。ほかのプロダクションに行く? それもない。音楽やバンドは? それもない。ただ、今までやってきたことを、クリエイターとしてやっていきたい、と教えてくれました」
国分「言葉よりも先に、やっていることを見れば、やりたかったことは、こういうことなんだって、わかってもらいたいと言っていました」
今後 “クリエイター・長瀬”が、株式会社TOKIOと仕事をすることはあるのか?
松岡「どうなんでしょうね。バイトでボーカルしたいとは言っていましたが(笑)」
国分「今は、そういう発想はないですね。この先、お互いがよしとすれば可能性はあるかもしれませんが、今はまったく考えていないですね」
この日、3人のうち城島だけがスーツ姿にネクタイだった。
松岡「今後のマネージメントは、ジャニーズ事務所ではなく、株式会社TOKIOで行います。だから社長だけは、会社の売り上げも知ることになるでしょう。会社のハンコはちゃんとした経理担当に預かってもらうつもりですが」
城島「会社設立の会見は、改めてはしませんが、(城島がメインMCを務める)『週刊ニュースリーダー』で取り上げる題材にはなると思います」
山口達也も含めた「5人の絆」
現在のジャニーズ事務所ジュリー社長は何と?
松岡「国分さんが初めに相談をしたら“とても、いいんじゃない”って、ひと言でした」
国分「何回か話し合いを重ねるかと思ったんですが、すんなりで驚きました」
滝沢副社長は?
全員「あっ! まだ言っていない!」
城島「タッキーは副社長か!」
松岡「親会社の副社長だから、菓子折りとか持って行かないと! 滝沢には後で、ウチの社長から連絡させます(笑)」
'18年に脱退した山口達也にも報告を?
松岡「昨日も30分、話しました。すごく応援したいと言っています。彼も彼なりに一生懸命、これから頑張っていくと言っています。今、何を頑張ればいいのかというのは、具体的に彼自身が決めることだと思いますが、とにかく、とても元気にしています」
国分「僕らは5人で始まっているので、今は4人で活動していますけども、形が変わっても5人の絆というのは変わりません。改めて山口と連絡していると話す場所がなかっただけ。ずっと、随時、絆は変わらない。こういう大きな節目のことは報告します」
'19年はTOKIO結成25周年だった。
松岡「山口のこともありましたし、われわれが25周年ライブやるというメンタルじゃなかったのは事実です。気持ちが追いついていなかった」
国分「ファンの皆さんには申し訳ない気持ちではあるんですけど、どういう形であれ、やればいいじゃないかというのと、やるなら最高のパフォーマンスをしたいのもあって。でも、メンタルがついていってなかった」
城島「タイミング的にも、そのときじゃなかった感じだったと思います」
松岡「もし、やるのであれば、誰かが“やろう”って言ったはずなんです。でも誰も言わなかった。誰かがやろうって言ったら、やるか? という相談はあったかもしれない。でも、誰かひとりがやろうっていうのもなかった」
未来へと踏み出すTOKIO
これからの「TOKIO30周年」はどうなっていたいか?
国分「TOKIOの形が変わって、その5年後ってことですけど、今まで区切りをつけて、いろいろやってきたと思うので、例えば『会社資料』が、本当に5年でちゃんとできてるのかっていうのも、ちゃんと見ながら進んでいかないといけないとは思う。ジャニーさんからいただいた『TOKIO』の名前を恥かかせないためにも。今までより、もっと丁寧に3人で向き合いながら、1年ずつ進んでいった結果、僕ら30年になっていたねって素直に喜べれば」
松岡「これからは、今まで以上に3人で話す機会が多くなる。なんといっても、株主総会がありますからね」
城島「タレント活動は3年後、5年後どうしてるか、というのは想像しづらいですが、会社としては3か年計画、5か年計画があって、具体的に割と見えてくるとは思っています。実現可能だったり、誰かに協力を要請したり。5年後に太い幹になって、根を張り、花を咲かせて、実をつけてと想像すると楽しい。なるべく実現可能に向けて頑張っていけたらと思いますね」
後輩ジャニーズに伝えたいアドバイスは?
松岡「ないですね。よく言うのですが、彼らを後輩だと思ったことはないです。もともと個人事業主であって、グループに入ったのは先だから先輩にとらえられますけど。ステージに立ってお金をもらったらみんなプロなので。彼らには彼らのやり方があるし、道があるから」
国分「雑誌とかで“憧れの先輩は誰?”とか後輩たちは書くじゃないですか。いっさいないんですよ、TOKIOの名前は。そんな奴らは後輩じゃない!(笑)」
松岡「それは違う! 僕は一応、広報なんで、そこは止めときます(笑)」
国分「でも、リスペクトできるグループもあります。すごいと思いますよ。僕らの年齢での脱退と、彼らの年齢の脱退って、全然気持ちが違う。彼らのほうが本当に大変だと思うので、ちょっと比べられないところはあるし、頑張ってほしいなと思いますね」
松岡「ほかのグループの子が辞めるのを止めるぐらいあれば、TOKIOがこのようになっていないと思います。自分のグループのボーカルのやりたいことを尊重するわれわれは、ほかのグループの子が“やめたい”というのであれば、頑張りなさいって思います。その子にあったとこに行けばいい」
ところで、そんな松岡に結婚の予定は?
松岡「しないです。僕はいつも言いますけど、本当に結婚はしないです。というのも、僕は結婚というものに興味ないんです。テレビでもハッキリ言いましたけど、結婚していい人間としちゃいけない人間がいて、僕はしちゃいけない人間なんです。コレ、どんどん書いてください」
国分「こう言っちゃうのが、ウチの広報です(笑)」
どうやらTOKIOの5人には、それぞれのAMBITIOUSがあるようだ。