三浦春馬さん(2019年3月)

「ここ2~3年、世田谷区内のバーでお酒を飲んでいる春馬クンをよく見かけていました。時間帯も遅くて、朝方まで飲んでいることも多かった。いま思えば、そのくらいの時期から、お酒に頼らなければならないほど、思い悩んでいたのかもしれません……」(三浦さんの知人)

 三浦春馬さんは、7月18日に行われる予定だったTBS系ドラマの撮影に姿を現さなかったことから、マネージャーが港区内にある自宅を訪れると、変わり果てた姿で発見された。

「午後1時ごろに自宅で首をつった状態で発見され、病院に搬送されましたが、午後2時10分に死亡が確認されました。自宅からは、日ごろの心情や死生観をつづった手帳が見つかったそう。一部では“死にたい”といった主旨の記述も見つかったと報じられ、警察も自殺と判断しているようです。ただ、思いたった動機がわからないんですよね……」(全国紙社会部記者)

 亡くなった2日後に親族と所属事務所の関係者だけで密葬が行われ、後日、仕事関係者やファンに向けてのお別れ会も催される見通し。

「命を題材にしたドラマをやりたい」

 7歳で芸能界デビューを果たしてから、持ち前の爽やかなルックスとしっかりとした演技力で、数々のドラマや映画、舞台に出演する人気俳優で前途洋々のはずだった三浦さん。そんな彼が、なぜ自ら命を絶ってしまったのか──。

「彼は、本当に仕事に真面目すぎるし、とても繊細な人だったんです。というのも、与えられた役柄を完全に理解するため、役の職業に就く人々に話を熱心に聞きにいったりしますし、いったんドラマや撮影が始まると、その役に入り込んでしまう“憑依型”の俳優でした」(ドラマ制作会社関係者)

 真面目で繊細だったからこそ、見る者の心を揺さぶる演技を見せてくれていたとも言えるが、その反動も当然あったようで……。

「印象的だったのは‘14年に放送されたフジテレビ系ドラマ『僕といた時間』で、難病である『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』を患う若者を演じていたとき。そもそもは、三浦さん本人が“命を題材にしたドラマをやりたい”と、スタッフに掛けあって採用された作品でした。

 だんだんと全身の筋力が低下し、やがては人工呼吸器をつけなければ呼吸すらできなくなるという難しい役どころ。“命の葛藤”を鬼気迫る演技で表現してくれたのは素晴らしかったのですが、ドラマ終了後は役柄に引っ張られて精神的に落ちてしまい、役を抜けきるために長めの休養をとったそうです」(同・ドラマ制作会社関係者)

 このころからすでに“命について”考え始めていたのだろうか……。

お酒を飲んでハシャぎ過ぎることもあった

 仕事で内面をすり減らした三浦さんを癒していたのは“旅行”と“お酒”だった。

春馬クンは一定期間の休みがあると、ニュージーランドやヨーロッパに旅行に出かけていたイメージです。“もっと英語を勉強したい”と、よく熱弁していましたよ。日本に在住する外国人の友人ともよく遊んでいて、海外志向が強かったのかも。

 あとはやっぱり、お酒でストレスを発散していたと思います。世田谷区内にある芸能人が集まる会員制のバーはもちろん、その近辺にある一般人でも気軽に入れるバーでもよく飲んでいました。たまたま来ていた一般のお客さんとも、その場で意気投合して一緒に飲んだり、あるときには深夜に外国人女性と仲よさそうに飲んで酔っぱらっている姿を見ることもありました。

 人生の悩みなどを話しているのは聞いたことはありませんでしたが、お酒を飲んでハシャぎ過ぎることもあったので、そうとうストレスが溜まっていたんだと思います」(前出・三浦さんの知人)

 彼が死に至った本当の理由は誰にもわからないが、ただ1つ言えるのは、愛された俳優が亡くなった悲しみが、しばらく続くということ──。