「いろんなことにも触れたほうがいいのかな、ということもあるんですが、ただ…それをやるためには、私にとって思い出があるぶん、その思い出の倍の時間がかかります。今日やってしまうと、みなさんこのライブから、4~5年は抜け出せません」
歌手のJUJUが7月21日に『ブルーノート東京』で行った無観客有料配信ライブで、亡くなった俳優の三浦春馬さんへの思いを口にした。
JUJUはNHK『世界はほしいモノにあふれてる』、通称『せかほし』で三浦さんと共演していた。『せかほし』は、世界各地の食べ物や雑貨、服などを買いつけるプロのバイヤーに密着する紀行番組。だが、三浦さんが亡くなったことで、現場も混乱したよう。
「7月23日の放送は中止となりましたが、3回分の収録はすでに終わっていて、7月30日と8月20日、27日に三浦さんが出演している映像が放送されるようです」(スポーツ紙記者)
NHKが7月22日に行った会見では、番組を今後も継続していく方針を示した。ただ、JUJUを心配する声もあがっている。
「人気番組ではありましたが、視聴者もこれまでどおりに番組を楽しめるかどうか……。“春馬さんの代わりの人と心機一転やってくれ”と言われても、JUJUさんの気持ちが追いついていかないでしょう。収録のたびに思い出してしまうのはツラすぎますから……。出演者は刷新されるかもしれませんね」(テレビ局関係者)
冒頭の配信ライブでは、こんな一幕も。
「ライブでは『せかほし』のテーマソングである『Remember』も熱唱していました。歌っているJUJUさんの声が震えていて、一生懸命、涙をこらえていました。思い出したら歌えなくなってしまうと思ったのか『Remember』熱唱後には、“ちょっと待ってね”と言い、カメラに背を向けて“ワー!”と振り払うように叫ぶ場面もありました。
やっぱり春馬くんのことをずっと考えているんだなって……。それを見ていて、私も涙が止まらなくなってしまって……」(ライブを見ていた女性)
30歳で命を絶った若者の死から3日後のこと。どう受け止めていいのか、どう振舞えばいいのか、わからないのは当然かもしれない。ただ、こんなことも話していた。
「ライブ中のMCでは“シンドイときこそ、口角をちょっと上げると脳は錯覚するそうです”と、まるで自分に言い聞かせるかのように話していたのが印象的でした。私も笑わなきゃって、前向きな気持ちになれました」(前出・ライブを見た女性)
JUJUは、現実を受け止めようと、必死にもがいている。それはもちろん、JUJUだけではない。
「春馬くんはね、ウチの店に10年ぐらい通ってくれていました。それがここ1年ほど、まったく来なくなっていた。ちょっと心配になって、春馬くんのマネージャーさんにメールをしたばかりだったんです。
春馬くんが元気ないなら、ウチでパンづくりでもして気分転換をしたらどう? って……。ちょうど亡くなる2週間前のことです」
そう静かに語るのは、パン屋の男性店主。メールの返事もなく、心配していた矢先の訃報だった。
「春馬くんのマネージャーさんが7月22日に来てね。春馬くんが好きだったシナモンロールを10個、買って行かれました。春馬くんへのお供えと、事務所のみんなで食べて供養するためだそうです」
店内には三浦さんのサインや、夫婦と三浦さんの3人で撮影した写真が飾られている。いつも笑顔でパンを買いに来ていた三浦さんから“お父さん、お母さん”と呼ばれて親しい間柄だった。
「ウチにはたくさんのタレントさんに来ていただいていますが、その中でも、ウチの妻は春馬くんを特別にかわいがっていたんです。だから……」
そう話しながら店主が視線を向けた先に、先ほどまで立っていた“お母さん”の姿は、もうなかった。
「……メシでも、食いに行ったんじゃないかな……」
“お母さん”の胸中を察する“お父さん”の言葉が、悲しく響いた。
売れっ子にも関わらず、ひとりバイトをしていた三浦春馬さん
三浦さんはNHK朝ドラの『あぐり』で、7歳から子役としてデビュー。20年以上も芸能界に身を置いていた。すでに人気俳優として活躍していた時期には、こんな姿も。
「10年ぐらい前かな、春馬くんはすでに売れっ子で、役者だけで十分に稼げていたはずなのに、なぜか飲み屋さんでバイトをしていたんです」
以前から三浦さんと知り合いで役者仲間でもあったという男性は、記憶を手繰るように思い出を明かす。
「春馬くんがバイトしていたその飲み屋さんに行って、店のお客さんがいなくなった深夜に、春馬くんのほうから急に“腕相撲やりましょう”と言ってきたんです。私は身体が大きくて、腕の太さは彼の倍はあります。
腕相撲も今まで負け知らずでしたので、彼との勝負もナメてかかったら、コロッと負けてしまった。春馬くんって見た目は細くて気弱そうにも見えますが、実はそうとう鍛えていたようです。
その後、私は本気を出して勝ちましたが、すると“もう1回やらせてください!”と悔しそうに言うんです。そんな負けず嫌いな一面もありました。子役あがりの“役者エリート”でもあったから、普通の生活に憧れていたのかな。それとも、真面目な彼のことだから、常に一般の人の心も忘れたくなかったのかもしれませんね」
人懐っこく、明るかったという三浦さん。仕事に打ち込むために、自身の健康にも気をつけていた。三浦さんが亡くなったマンション近くの飲食店では、女性マネージャーと食事をする姿が目撃されていた。従業員の女性は、
「昨年は何度か来ていただいたのを覚えています。いつも無口だった印象ですが、そのマネージャーさんに“健康のために納豆を食べなきゃね”と言っていたのを覚えています。健康には気をつかっていたのに、どうして自分の命を絶っちゃったんだろう……」
と肩を落とした。
また、こんなエピソードも。三浦さんが住んでいたマンションの住人は、
「エレベーターで何度か見かけました。先月も夜中に見ましたよ。会えば挨拶もしてくれてね。ウチの息子が新橋で居酒屋さんをやっていると伝えたら、1度だけ実際に行ってくれたらしいんです。忙しいでしょうに、律義だなって印象に残っています。せめて安らかに眠ってほしいです」
多くの人から愛されていた三浦さん。訃報から数日が経過した今も、三浦さんの死を悲しむ声は絶えない――。