行政書士・ファイナンシャルプランナーをしながら男女問題研究家としてトラブル相談を受けている露木幸彦さん。今回はコロナ禍で夫からのDV被害に遭った妻の事例を紹介します。(後編)
■外出自粛でDV夫の暴力がエスカレート、耐え続ける妻が見た地獄──香苗の場合《前編》のあらすじ
相談者の主婦・森香苗(仮名)さんは会社員の夫と中学生の息子の3人暮らし。香苗さんは精神障害者保健福祉手帳を持っており、障害等級3級と認定されている。現在は自宅近所のスーパーでパートタイマーとして勤務して2年目を迎えていた。夫とは結婚13年だが、日々、悪態をつかれたり罵詈雑言を吐かれるなどの精神的な暴力を受けており、最近ではその矛先が息子にも向かっていた。
4月の緊急事態宣言の発令で夫の会社は「飲み会禁止令」が出され、夫の行動も外飲みから家飲みに変化。ある日、酒に酔った夫が「勉強しろ」と因縁をつけて息子に手を挙げ、止めに入った香苗さんに馬乗りになって殴りつける事態が発生。命の危険を感じた息子は隣人に助けを求め、夫は正気に戻った様子で事なきをえた。
相談を受けた筆者は、なぜ香苗さんがその場で警察や親族に連絡して助けを求めなかったのか、疑問に思ったのだが──。
森和泉(40歳)会社員(年収600万円)
森香苗(36歳)パートタイマー ☆相談者
森武蔵(14歳)中学生
家の外では常識的で情に厚い夫
「誰も信じてくれないと思います」
香苗さんは吐露しますが、夫はいわゆる「外面」がいいタイプで、家庭から一歩、外に出ると「いい人」ぶっているようです。家族に対する内の世界では非常識で非情、そして卑劣極まりないモンスターです。一方、職場や親戚、友人に対する外の世界ではモンスターの一面を見せません。常識的に行動し、情に厚く、礼儀をわきまえているのでしょう。手当たり次第、喧嘩を売り、暴言を浴びせ、暴力を振るうような真似はしません。だから、周囲から「まともな人間」だと思われており、信頼される存在なのです。
「旦那の上司に相談したことがありますが、“嘘でしょ?”と馬鹿にされて……」
香苗さんは過去のトラブルを振り返りますが、これは夫の友人も同じでした。友人に訴えても「夢を見ているんじゃないの?」と一笑に付されたようです。
「旦那は二重人格なんです!」
香苗さんによると、夫は家の内外だけでなくアルコールの有無によっても人格が変化。手を上げるのは酔ったときだけ。素面(しらふ)のときは嫌がらせ、脅し、いじめなど精神的な虐待にとどまり、身体的な虐待を行わなかったようです。だから香苗さんは酒を飲んでいる夫と遭遇しなければ大丈夫だと思っていたのですが、コロナ発生により想定外の展開になったのです。
「旦那さんがシラを切るかもしれません。念のため、お医者さんに診断書を発行してもらったほうがいいでしょう」
筆者はそう助言しました。夫の個人的な意見と医師の専門的な見解と、どちらが優先するのかは言うまでもありません。夫が「大したことはない」と軽口を叩いても、医師が「首の捻挫」という診断を下してくれれば、夫はそれに従うしかないでしょう。もちろん、医師が直接、夫に説明する場を作るのは難しいので、証拠に残る診断書という形で香苗さんが夫に提示できるよう、準備したいところです。
しかし、香苗さんは「この前、病院に行ったときもコロナで大変そうでした。私なんかのことで(病院の)先生の手を煩わせたくないんです」と言い、診断書の発行を躊躇(ちゅうちょ)したのです。
障害者としての劣等感で強く出れない
次に、裁判所が夫に対して妻子に接触するのを最長6か月間、禁止する命令(=接近禁止命令。DV防止法10条)を出すことができます。裁判所へ接近禁止命令の申立てをするには、前もって警察に相談する必要があります。理想をいえば現行犯がいいのですが、事件から2週間も経過していないので、事後報告でも警察が対応してくれる可能性があります。しかし、DVの被害を受けたばかりでトラウマを残す香苗さんが警察へ出向き、事情を説明し、被害届を提出するのは難易度が高いです。
香苗さんは「どうせ警官も夫の手玉に取られるに違いない」と言い、警察署へ足が遠のくばかり。そんな矢先に起こったのが7月上旬の九州地方の豪雨被害でした。
「こっちの警察の人も向こう(被災地)へ応援に行くのだと思います。私の個人的な事情に付き合ってもらうのは気が引けるんです。もともと私は昔から役所にお世話になりっぱなしのに……」
こうして香苗さんは警察へ相談しに行くことを断念したのです。障害者として支援を受けてきた劣等感が邪魔をして、香苗さんは強く出ることができませんでした。
家族が住んでいるのは夫が契約者の賃貸住宅ですが、それでも接近禁止命令を出してもらえば、夫を追い出すことができる可能性がありました。加害者は夫、被害者は妻なのだから当然といえば当然です。被害者である香苗さんが家を追われるのは筋違いですし、二次被害だといえるでしょう。
家を出たことで「見違えるように元気に」
結局のところ、夫を残したまま、香苗さんが家を出ることになったのです。紆余曲折はあったにせよ、香苗さんはせっかく2年間、勤めたスーパーを辞めざるをえなかったのですが、心配したのは自分より息子さんへの影響です。香苗さんの実家は同じ都道府県内だけれど別の市町村。そのため、香苗さんが息子さんを連れて実家に戻った場合、息子さんは中学校を転校しなければなりません。今まで住み慣れた家だけでなく、仲良くなった先生や友達、地域住民と別れなければなりません。
「俺のことはいいから」
息子さんが健気にそう言ってくれたので、香苗さんは決心がついたようです。夫のLINEに「今までありがとうございました。別々の人生を歩みましょう」とメッセージを残すと、夫が会社で働いている平日の昼間に荷物を運び出し、実家へ引っ越し、転校の手続を行ったのは7月中旬。
引越が完了すると香苗さんから近況報告のLINEがありました。「見違えるように元気になりました」とのことで、息子さんの脱毛斑は500円から100円硬貨大へと小さくなり、心身の回復を実感したそうです。そして近況報告のLINEは2通のみ。かつて1日40~50通もメッセージが届いたころと違い、香苗さん自身も回復しているのだと筆者は感じました。
夫から身を守るためのアドバイス
ところで大多数の公立中学校は、学区内の住民が通います。香苗さんは息子さんを実家近くの中学校へ通わせるため、住民票を自宅から実家へ移さざるを得ませんでした。夫は息子さんにとって戸籍上の父親なので夫が息子さんの住民票を申請すれば、役所は発行します。そのため、香苗さんと息子さんが実家に住んでいることを夫に知られるのは時間の問題です。プライドが高い夫は妻子に捨てられたという現実を受け入れるのは無理でしょう。妻子を連れ戻すため、突然、訪ねてくるかもしれません。夫が人当たりのよさを発揮し、両親を懐柔されると困ります。
そこで筆者は「ご両親に“何をするか分からない人だから、話を聞かずに追い返してほしい”と頼んでおいたほうがいいでしょう」とアドバイスしたのです。
さらに子の父親という立場を使い、息子さんの中学校を探し当てることが予想されます。下校中の息子さんに「お前は洗脳されているんだ」と妄言を吹き込んだり、校長や担任の教諭に「妻が勝手にやったことで私は承知していないんです」と悲劇のヒーローを演じたりされても困ります。そこで筆者は「警察と連携しながら夫に対処してください。担任の先生には前もって“夫は暴力を振るう人間です。同級生に危害を加えるかもしれないので”と話しておいたほうがいいでしょう」と伝えました。
もちろん、今回の別居は冷却期間ではありません。夫が口先だけで謝り、「俺は生まれ変わった」と言い、「二度と同じことをしないよ」と誓ったところで今さら謝罪、改心、誓約を信じるのは無理です。香苗さんは何があろうと自宅に戻ることはなく、今後は粛々と離婚の手続を進めるつもりですが、息子さんが実家での生活に慣れるまでは離婚を待ちたいそうです。
そして香苗さんが家庭裁判所へ離婚調停を申立てた場合、管轄の裁判所は元の自宅の最寄りです。香苗さんにとってその周辺は夫との悪しき思い出が詰まった場所。
「あっちに行くのは、まだ精神的に厳しいです」
香苗さんはそう言いますが、かなりの覚悟が必要でしょう。香苗さん自身ももう少し、気持ちを整理するのに時間が必要です。そのため、離婚の手続に踏み切るのは十分な準備を整えてからになりそうです。
このように香苗さんは夫に見切りをつけ、息子さんと一緒に新天地で再出発をしたのですが、もしコロナ騒動がなければ、夫のモラハラ──嫌がらせやいじめ、脅しは続いていたでしょうが、完全な別居には至らなかったかもしれません。家飲みによるDV被害は発生せず、家庭内別居……ひとつ屋根の下で顔を合わせないものの、金銭的に養ってもらうことは可能だったでしょう。
そう考えると香苗さんはコロナウイルスに感染したわけではありませんが、コロナによって人生が狂わされた1人なのです。
露木幸彦(つゆき・ゆきひこ)
1980年12月24日生まれ。國學院大學法学部卒。行政書士、ファイナンシャルプランナー。金融機関の融資担当時代は住宅ローンのトップセールス。男の離婚に特化して、行政書士事務所を開業。開業から6年間で有料相談件数7000件、公式サイト「離婚サポートnet」の会員数は6300人を突破し、業界で最大規模に成長させる。新聞やウェブメディアで執筆多数。著書に『男の離婚ケイカク クソ嫁からは逃げたもん勝ち なる早で! ! ! ! ! 慰謝料・親権・養育費・財産分与・不倫・調停』(主婦と生活社)など。
公式サイト http://www.tuyuki-office.jp/