かねてから進退が注目されていたTOKIOがついに結論を下した。長瀬は来年3月でジャニーズ事務所を辞め、残った3人も新しい会社を立ち上げた。メンバーたちは、週刊女性の取材に、今回の決断に至るまでの思いを静かに語って―。
TOKIO再結成の可能性とこれから
「来年の3月末まで4人で現状のTOKIOは続くので、これまで以上に突っ走っていこうと思っています」
7月22日、TOKIOのリーダー・城島茂が今後のグループ活動への思いを語った。
この日は世間を騒がせる重大発表があった。
「長瀬智也さんが来年3月末で、ジャニーズ事務所を退所することになったんです。一部のメディアでは、映像制作など、裏方を中心とした仕事をすると報じられています。残った城島さん、国分太一さん、松岡昌宏さんの3人は事務所内で分社化した『株式会社TOKIO』を設立しました」(スポーツ紙記者)
'94年にデビューしたTOKIOは、ジャニーズにはめずらしいバンド形式のグループで人気を博した。しかし、'18年に彼らの勢いをストップさせる“事件”が。
「山口達也さんが不祥事によって、グループを脱退し、事務所との契約を解除されました。バンドの要であるベースが抜けたことで、TOKIOは音楽活動ができなくなってしまいます。メインボーカルで、作詞や作曲も手がける長瀬さんはそうした状況にストレスをためるようになったんです」(同・スポーツ紙記者)
一部のメディアでは、解散の危機にあると報じられたが、今後もグループを残すことを選んだ。この決断に至るまで、何度も話し合いを重ねたという。
城島「なかなか全員で集まれませんでしたが、集まったときは何かしらの話はしていました」
国分「楽屋などで話したときも含めると、そうとうな回数話したと思います。これまでも、節目になれば話し合い、その問題に全速力でエネルギーを注ぎ、それが終わったら別の節目があって……というのを繰り返してきた。長瀬が選んだ新しい道に関しては、僕らも送り出したい気持ちが強いです。別に、ケンカして別れたわけではありません。残り半年間走って、長瀬と一緒にゴールテープを切りたいと思っています」
ジャニーズから分社化して新しい会社をつくるというのは、これまでの事務所になかった新しい試みだ。何かきっかけがあったのだろうか。
松岡「山口のことはありましたが、彼が原因ではありません。いろいろなことがあり、以前から長瀬が思っていた気持ちが強くなった。今年の初めに、彼から“新しいことにチャレンジしたい”と言われました。
でも、われわれはそれを止めるよりも、彼の次のチャレンジを見たかったし、どういうことをするのか楽しみだったので、“じゃあ、やってみたら”ということになったんです。グループは3人になりますが、俺たちは俺たちで楽しもうとなりました」
変わらない5人の絆
昨年、TOKIOはデビュー25周年を迎えたが、コンサートは行わなかった。今でもそのことは悔やんでいた。
松岡「山口のこともありましたし、メンバーたちが25周年ライブをやるメンタルじゃなかったのは事実です。気持ちが追いついていなかったんです」
国分「本当にファンのみなさんには申し訳ない気持ちですが、どんな形でもやればいいんじゃないかという思いと、やるなら最高のパフォーマンスをしたいという思いがありました。でも、気持ちがついてこなかったんです」
城島「タイミング的にも、そのときではなかったと思います」
彼らの口から、何度も山口の名前が出てきた。いまでも、彼とは連絡をとっているという。
松岡「今回の発表をする前日も、30分ほど話しました。すごく応援したいと言ってくれましたし、彼もこれから一生懸命がんばっていくと話していました」
国分「5人で始まっているので、僕らの心の中で、5人の絆は変わっていません。今までは、改めて山口とつながっていることを話す場がなかったんです」
強い絆で結ばれているメンバーたちには、“ある期待”が。
「山口さんが、3人の会社に合流する可能性があるというんです。ただ、所属するのではなく、グループのアニバーサリーイヤーや日テレ系のレギュラー番組『ザ! 鉄腕! DASH!!』に特別出演することを視野に入れているそうです。今すぐ合流することはありませんが、近い将来、彼が戻ってくることは十分考えられますよ」(芸能プロ関係者)
3人に山口の合流について聞くと「今のところその考えはない」と否定したものの、少々含みを持たせる言い方だった。もし、山口が一時的にでも復帰すれば、ファンにとって夢への可能性は広がる。
「長瀬さんは、5人がそろった状態での音楽活動を望んでいました。何より、メンバー全員が'14年の20周年ライブ以来、ファンの前に立てなかったことを悔やんでいた。今回、グループの名前とファンクラブを残したのは、いずれ“再結成”することを考えているからではないでしょうか」(同・芸能プロ関係者)
いつまでもTOKIOは5人
最後に、最も印象に残っている思い出を聞いた。
城島「全国ツアーの最後に、ファンの方たちの前で手をあげて、一本締めしたとき。いつも気持ちよくて、ファンのみなさんとメンバーが一体化したような感覚でした」
国分「僕は、グループがデビュー10周年を迎えたときに、番組の企画で5人だけで京都に旅行したことですね。新幹線のチケットも自分たちで買いました。グリーン車に乗りたかったのですが、僕らは何も知らなかったので、グリーン車だからと緑の窓口に行ってしまいました(笑)。寝るときは枕投げもして、部活の延長のような感じでしたね」
松岡「僕は、5人でデビューするときに、事務所に呼ばれてハンコを押したときです。デビューできるのがうれしかったんです。ジャニーズに入れたことが自分にとっていちばんのターニングポイントだとしたら、その次は5人でデビューしたことですね」
退所、独立、引退と別々の船に乗ったTOKIO。でも、船を漕いでいくうちに一緒になるときが来るはず!