「死にたい」「消えたい」……。
 自傷行為を繰り返し、自殺サイトへ訪問。その心の闇の原因はなんなのか。若い女性が思い悩む「闇と病み」。自殺願望を抱きながら自らの命を絶とうとした彼女たちは、何を考え生きていたのだろうか。その根源にあるものと本音を聞いてみたーー。
自殺願望を語ってくれた、首都圏の大学生・美葉(仮名、20)さん

 

 5月末、首都圏の大学生・美葉(仮名、20)はツイッターで自殺予告をしていた。新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、政府は4月7日から5月6日まで非常事態宣言を発令。さらに、東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県は5月31日まで延長された、そんななかでの投稿だった。

「死ねたらいいな」という気持ち

「コロナ自粛はキツかったです。生活も乱れて、午前11時に起床することもありました。両親ともに仕事があり、“家を出るな”と明言はされず、どちらかというと自分はひきこもり傾向があるので、“公的ひきこもり”でした。ただ、家族もストレスがたまってきていて、自分も同じでした。通常であれば、家に自分以外、誰もいないことが多いけど、父親は緊急事態宣言で帰宅が早まり、弟や妹もいるので、誰かしら家にいる状況でした」

 そんな状況で、美葉は「自殺」を考えた。

積極的に死にたいというのではなく、死ねたらいいな、と思ったんです。そのためには過量服薬(OD)がいちばんやりやすいと思ったんです。今回は、市販薬でやってみようと思いました。過去にも市販薬を84錠飲んだことはありましたが、病院に運ばれるほどではなく、24時間後には普通に歩けました。だから、死ねないのでは? と思っていて、本気で死のうというよりは、家からちょっと離れたい気持ちのほうが大きく、精神科に入院できればいいな、と思ったんです。決行日を決めたのは、1週間前です

 過去のODについてはスマートフォンのメモ機能で一部、記録していた。2017年は何度も書いているが、'18年は記録してない。メモをする気力がなかったという。'19年は主治医が変わったこともあり、ODを含めて、診察日までに何があったのかをメモしていた。

「記録のない'18年のほうが病んでいました。メモをするようになったのは、診察のためです。でも、治りたいという気持ちがあるのか? と聞かれれば、まだないかな。病気であれば、助けてくれる人がいます。治ると、みんな、一気にいなくなってしまう不安があります。疾病利得を感じているんです」

 コロナ禍でのストレスだけが、「自殺」を考えた理由ではない。美葉は、コロナが蔓延する直前に、失恋を経験していた。

「告白の相手はキャス主(動画サービス「ツイキャス」の配信者)の男性。特に視聴者が多いわけではないのですが、気になって見ていたんです。一度も会ったことはないけど、ここ数か月はLINEでメッセージや通話もしていました。もし告白して、付き合うのがOKなら、今後も生きてみようと思ったんです。でも、相手の男性は20代後半で、結婚を考える年代です。そのため、『結婚するかどうか、そんな決断に巻き込むわけにはいかない』と言われたんです。納得するしかありませんでした

「死にたい」理由の発端は、兄からの性的虐待

 そもそも、美葉が明確に「死にたい」と考えたのは高校1年生のころだった。ただ、言葉として「死」が頭に浮かばなかったものの、中学のころからコンパスで手をえぐる自傷行為を繰り返すことも。社会科のプリントには「家に帰りたくない」と書いたこともあり、突然、兄に対して憎しみが湧き、「死ねよ」「殺したい」と思うこともあった。その理由を聞いてみると、美葉は兄からは性的虐待を受けていたことを告白。それは、小学校2年生から中学2年生までの6年間にも及んだ。

「最初に身体を触られたのはお風呂に入っていたときでした。小学校4年生のときに、兄とセックスしました。最初は何をしているのかわからなかったんですが、恥ずかしいとはわかっていました。いつも、性的虐待の最後に兄は『誰にも言うな』と言うので、従っていました」

 美葉は、兄に対してはアンビバレント(相反する寛容や考え方を同時に心に抱いていること)な気持ちがあったという。

痛いし、怖いんです。また痛い思いをしないといけないと思ったりしました。でも、刺激を待っていたときもあったんです。一方で、身構えていた面もありました。矛盾ですよね。しかも、兄は避妊はいつもしないんですよ。抵抗すると『うるさい』と言うので、諦めていました。はたからみると、普通のきょうだいでしたが……」

兄との関係を母親に知られて

 中学1年生のとき、兄との関係を母親に知られてしまう出来事があった。

「エアコンをつけながら、妹と並んで部屋で寝ていたら『涼しいじゃん』と言って、兄が間に入ってきました。兄は妹に『早く寝なさい』と言って、私も寝ようとしていたら、母親が洗濯物を置きに部屋に入ってきたんです。でも、そのとき私はすでに脱がされている状態だったので、母親は『何をしてるの!』と。あとで兄との関係を聞かれ、とっさに『小5から』とウソを言いました。あとで知ることになりますが、妹も触れられたことがあったようです」

 兄は反省したのか、しばらくは手を出してこない時期もあったが、2年生の夏から再発。そして翌年の2月、美葉が担任の先生に話したことで児童相談所に保護されることになった。

「親に言うのは嫌だったので、担任に相談したんです。最初は『家に帰りたくない』と話していました。ただ、児相に対しては、兄をかばう気持ちがありました。兄は、部活の顧問から理不尽な指導をされていて、相当ストレスが溜まっていたようです。『兄も大変なんだから仕方がない、私が我慢していればいい』と思いました」

 とはいえ、学校としては美葉の環境を改善するべく、すぐさま児相に通告。いざ、児相の一時保護所に行ってみると、美葉は居心地のよさを感じた。

「家族に縛られずに生活できるのがうれしかった。職員と一緒にいた子どもたちは、すごくいい人でした。家族より居心地がいい。保護所にいる子たちは、つらいことがあってここにいる。そう思うと私と同じ境遇なわけで、心で繋がっている気がしたんです」

 保護所での生活を経験し、美葉は将来、一時保護所の職員になることを夢見た。当時の職員とは今でも連絡を取りあい、ケアもしてくれ、精神面では親以上の存在となっている。

 それなのに美葉は5月末に自殺予告日をツイッターでつぶやいだのだ。予告をした日は、当時の担当職員が勤務している日でもあり、薬を飲んだあと意識のあるうちに「ありがとう」と言えるかもしれない、そういう目論見もあった。

 そして予告日。

 美葉は過剰服薬を実行するとツイッターでつぶやいたが、フォロワーに止められ、ためらった。そのことをさらにつぶやいて以降、ツイートが更新されないため、(筆者が)DMを送ってみると実行しなかったとの返事がきた。しかし1か月後、結局、彼女は過剰服薬をして入院していたことがわかったのだ。美葉に連絡をしてみると、

「OD後に、一時保護所の職員と連絡が取れて、入院できてよかったです」

 とは言うが、結果的に、周囲の大人たちは彼女を止めることはできなかった。

美葉さんのカバンに付けられたヘルプマーク

 ストレスがたまる家にずっといることに耐えられず、方法は危険を伴ったが、美葉は希望どおり家を離れることができたが、果たしてこれでいいのだろうか。

「いつか何かをやらかしそうで怖いんです。でも、死ぬのも怖い。座間市男女9人殺人事件が発覚したころも病んでいたので、犯人とつながっていたら、自分もついていったでしょうね。殺してもらえるならそれでいいと思っていたので、被害者の気持ちはわかる気がします」

 と言う美葉は、希望どおり入院できたとしても、常に心の中で「死」が同居しており、危険な心理状態は続いたまま。家族との関係が変わらない中、今後は福祉や医療がどう関わり、美葉のように「自殺願望」を抱く少女たちをいかに救うかが、今後の課題となるだろう。


渋井哲也(しぶい・てつや)◎ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。『ルポ 平成ネット犯罪』(筑摩書房)ほか著書多数。