17歳の少年が祖父母を殺害した−−。

 埼玉県・川口市で実際に起きた事件から着想を得て作られた長澤まさみ主演の映画『MOTHERマザー』(公開中)。身内からも絶縁され孤立し、男たちと行きずりの関係を繰り返してその場しのぎの生活をするシングルマザーの秋子(長澤まさみ)と、息子の周平(奥平大兼)。母と息子の間に生まれた歪んだ愛による“絆”と親子の“闇”が描かれている。この事件を捜査段階から担当していた元刑事・佐々木成三さんは、公開後すぐに映画を鑑賞し、胸を打たれたという。実際の事件の元少年と母親の素顔、またこのような事件を未然に防ぐためには何ができるのか、話を聞いた。

佐々木成三さん 撮影/山田智絵

私は母親の取調官をしていました。逮捕から起訴されて拘置所に送られるまで、毎日のように会っていたんです。元少年にも数回会っていて、映画で奥平さんが演じていた周平の表情のひとつひとつが、元少年を彷彿とさせるので、驚きました。周平がスクリーンに出てきてから涙が止まらなかったです」 

 埼玉警察本部刑事部捜査第一課に10年間勤務し、この映画のテーマとなった事件の捜査に深く関わっていた佐々木成三さん。当時の少年と母親の様子を知る元刑事だ。

壮絶で劣悪な
少年の家庭環境

 17歳の少年が祖父母を殺害するまでの親子関係の過程が描かれた今作を見て、「この事件は本当に“タラレバ”が多い事件でした」「私たち大人がどこかで気づき、どのように手を差し伸べてあげればよかったのか、改めて強く考えさせられました」と話す。

 少年には住所がなく、学校にも通っていない。まだ幼かった少年を1人アパートに残し、男のもとへ遊びに出かけた母親が数週間、家に帰ってこないこともあった。そこに住めなくなると夜逃げ同然でアパートを飛び出し、ラブホテルを転々とする日々。せっかく手に入った金も、母親のパチンコ代やその日の宿泊費に消えていくという繰り返しだ。

 捜査する中で見えてきた母親と少年の生活、その家庭環境は劣悪だった。

「早い段階から母親と少年が、犯罪に関与している重要参考人として浮上していました。私は現場の状況から少年を凶悪犯と感じていましたが、少年の育った環境を知ると、そうではないことがわかってきました。しかも少年には幼い妹もいて、彼が親のように妹の面倒を見ていたこともわかったんです

“すべて息子がやった”
と話す母親に思わず……

 母親は生活費が足りなくなるたび少年を身内のもとへ行かせ金を無心させていたが、そのうち身内からは絶縁され、野宿を強いられるように。生活保護を受給し少年がフリースクールに通う時期もあったが、長くは続かず、少年が働きに出るようになっても、その給料はまたしても母親の遊び金として使われ生活は追い詰められていく。

少年はSOSを出す手段を知らなかった。逃げること、言い返すこと、助けを求めること……それらをすべて知らなかったんです

 逮捕直後の2人の印象については、こう振り返る。

「もう2人とも口から出る言葉が嘘ばっかり。逮捕する時点である程度、証拠や事件の経緯を掴んでいたんですが、当初、2人とも祖父母が死んでいることすら知らないふりをしていて。滑稽なくらい、嘘で塗り固められていましたね。これまで人に嘘が暴かれたことがない、そんな印象を受けました」

 結果、少年は強盗殺人容疑で懲役15年の実刑が確定。一方で、母親は息子に犯行を指示したことを否定、強盗と窃盗罪で懲役4年6月が言い渡された。

「通常、取り調べでは、刑事が怒ったり感情的になることはしません。だけどこのときばかりは、“すべて息子がやった”と話す母親に対して、“俺が母親だったら嘘でもかばうぞ”と怒ってしまいました。僕個人の気持ちとしては、この犯罪については母親の指示がなかったらこんなことになってなかったと思うばかりで、少年と同じ罪で起訴できなかったことを今でも本当に悔しく思います

公開中の映画『MOTHERマザー』(C)2020『MOTHER』製作委員会

 だが佐々木さんは、自分は悪くないと主張を続ける母親の姿を目の当たりにしながらも、「少年への愛情はあったと思う」と言葉を続ける。

そもそも、自分の育児を間違いだと思っていないんです。先日、3歳の女の子を都内の自宅に1人残し、鹿児島に行っている間に衰弱死させたとして母親が逮捕された事件がありましたが、そういう“育児リテラシー”の低い母親は必ずといっていいほど“死ぬとは思わなかった”と言う。普通の人から見たら、保護責任者遺棄だと思われるようなことでも、彼女らにとってはまったく悪いこととは思っていない。むしろ自分はきちんと育児していると思い込んでいる人さえいる。

 一方で、少年は母親以外の大人と関わることがなかったため、ほかの母親というものがどういうものなのか対比できなかった。事件を起こす前に僕たち大人が気づいてあげて、なんとしてでも母親と離すべきだった。そういった“気づき”があれば、必ず防げた事件だと思います」

 佐々木さんは今でも少年を気にかけている。

「少年の取り調べは、僕も尊敬する取調官が担当して、そこでうまく信頼関係が構築できたようです。これまで少年には、出会った大人の中に味方がいなかった。そんな中で、共依存となっていた母親と初めて離れて、信頼できる大人と出会えたことは、彼に大きな変化をもたらしたと思います」

 社会にも大きな衝撃を与えたこの事件。“所在不明児”がピックアップされるようになり、社会問題にもなった。そして、この事件は佐々木さんが刑事をやめるきっかけのひとつになったという。

 埼玉県警を退職してから、その知識や経験を活かしてメディアでコメンテーターを務めたり、セミナーを開催するなどの活動をスタート。犯罪を取り締まることではなく、犯罪を防ぐことを世の中へ伝えている。

子どもには
「多くの判断力や想像力を」

「見えているものだけで判断してしまう人が多いですが、真実には奥行きがあって、気づくか気づかないかでは大きな差がある。それを子どもだけじゃなく、大人にも伝えていきたいと思っています。教育とはなんだろうと考えたとき、親の領域の中で育てるのがいいことなのでしょうか?

 僕も長男が中学生くらいのときに、手を出してしまったことがあります。そのとき“いつも児童虐待反対とか言ってるくせに、やってることが違うじゃないかよ!”と言い返され、あっという間に論破されてしまいました。

 でも、そういう自分の意思を伝えられたことは褒めてあげたいなと思ったんです。大人から何を言われてもそのとおりにするのではなく、子どもがちゃんと意思を伝えられるという環境も必要。今回の事件でも、もし少年が母親に自分の意思を伝えられる関係性が築けていれば、ここまで最悪な事態にはならなかったかもしれません」

佐々木成三さん 撮影/山田智絵

 また、佐々木さんは講演活動をする中で、子どもたちにいつも投げかける質問があるという。

「近くにコンビニがあります。あなたはとてもお腹が減っていますが、お金はありません。何をやっても構いません、さてどうやって解決しますか?」

 今あなたの中には、どんな答えが浮かんだだろうか。

「いろいろな答えはありますが、ここでは食べないという答えも正解だと教えています。空腹を我慢することです。残念ながら、今この質問を子どもにすると返ってくる答えでいちばん多いのは“万引きする”なんですよ。それじゃ逮捕だよと言ったら、何をやっても構わないと言ったのに逮捕はずるい! という子どもがいますが(笑)。

 何をやっても構わないと言われたとしても万引きは犯罪。犯罪を犯していいはずがありませんよね。その問題の先を想像する力があれば、万引きなんて答えは見つからないはず。子どもたちはもっと選択肢を持つべき、そして大人たちは、多くの判断力や想像力を教えてあげるべきだと思いました。

 例えば赤点をとったとしても、“そこからどうするか”というその先のことを考える想像力が重要。失敗は絶対に大事だから、そのときにどう立ち上がるのか、どんどんチャレンジして失敗させて、大人はそれを手助けするのではなく、立ち上がり方を見守ることが大切だと思っています

 “親の先入観や決めつけで抑え込まないで”と佐々木さん。

親の先入観って、結構ブレてることも多いので(笑)。いい大学に行って、いいところに就職する、それが正解ではありません。いつか子どもは親元から離れる。むしろ離れてからのほうが長いですから。

 子どもは親の背中を見て育ちます。僕は、自分の環境にあった子育てを親が悩みながら見つけることが大事だと思いますね」

<埼玉県・川口市 祖父母殺害事件とは>
2014年、埼玉県川口市で当時17歳だった少年が、母方の祖父母を殺害。少年は殺してでもお金を借りてこい」と母親から示唆され、ひとり現場に向かい犯行に及んだとされているが、裁判で母親側は「殺害を指示していない」と主張。少年は強盗殺人容疑で懲役15年の実刑、母親には強盗と窃盗罪で懲役4年6月が言い渡された。今回の映画はこの事件に着想を得て描かれ、反響を呼んでいる。

佐々木成三(ささき・なるみ)
1976年11月13日生まれ。一般社団法人スクールポリス理事。基埼玉県警察本部刑事部捜査第一課の警部補。巡査部長5年、警部補5年の計10年間を勤務。著書に『「刑事力」コミュニケーション 優位に立てる20の術』(小学館)、『あなたとあなたの大切な人を守る捜査一課式防犯BOOK』(アスコム)。

<作品紹介>
映画『MOTHER マザー』(全国公開中)
出演/長澤まさみ、阿部サダヲ、奥平大兼ほか
(C)2020『MOTHER』製作委員会

<取材・文/高橋もも子>