藤井聡太棋聖が注目を浴びる以前。人気、実力はさることながら、さまざまな話題で注目を浴び続けた棋士がいた。彼女の言動の次の一手が読めず、人々はみな首を傾げた。そんな彼女は現在、何をし、何を思っているのか。“女”を描かせたら日本一の作家が、彼女の本質に挑む。世紀の対局の結果はいかに―。作家・岩井志麻子が彼女の本質に迫る!
「私は鳥になりたい」
初めて林葉直子さんと直接のコンタクトが取れたのは、担当の編集Yさんと東京は池袋のドン・キホーテ店内を回っているときだった。
Yさんと林葉さんが電話でやりとりし、ちょうど今ここに志麻子さんもいますよ、代わります、となってのことだった。
なんでドン・キホーテにいたかというと、よく知られていることのひとつとして林葉さんは、南国の鮮やかにして美声の鳥を飼っておられる。その名も、バッチャマン。
そして岩井志麻子といえば、ヒョウのオバサンだ。ヒョウの着ぐるみでよくテレビに出ているのを知った林葉さんが、明るく礼儀正しい口調で、
「じゃあ、お会いするとき私は鳥になりたい」
などといってきてくれたそうなのだ。ノリのよさに驚き感激しつつ、鳥の被り物や着ぐるみがないかと店内を探し回っていたのだ。
こちらもあらかじめ、テリー伊藤さんと出た番組などを見て、林葉さんがノリノリでふざけたまねもやってくださる方だとは把握していたが、本当なのだった。
やっぱりこの人は評判どおり、ひたすらサービス精神旺盛できまじめな人なんだと再確認できた。
その後しばらくして初めて対面したときも、変なところで遠慮や小心さを発揮する私は、林葉さんを一躍有名にしたかなり年上の既婚男性との不倫騒動について、聞いていいものかどうかかなり躊躇った。
それは話せないと拒絶されてもしかたないと覚悟しつつ恐る恐る切り出してみれば。
「彼はエッチのときいつも、ランニングシャツ着てたんですよ。もちろん下は脱いでるんだけど、頑なに上半身は裸にならない。だから彼と別れた後に違う男性といたしたとき、その人が全裸になっててびっくり。お乳が見えてる~、キャー恥ずかしい、となっちゃった。考えてみれば、そちらのほうが普通、お乳が見えてるほうが一般的なんですよねぇ」
などとやっぱりノリノリで笑い話にしてしまい、素直に大笑いさせられてしまった。
無敵の美少女棋士
いつから林葉直子さんは、波瀾万丈な生き方、ジェットコースター人生、そしてスキャンダラスなお騒がせの、といった前置きがつく存在になっていたのか。あるいは、そう決めつけられてしまったのだろうか。
もちろん林葉さんの存在や人となりは、あくまでもテレビや週刊誌といった媒体を通してではあるけれど、知っているつもりでいた。けれど彼女について書きませんかといわれたとき、私は彼女について本当は何も知らない、と感じた。
なんだろう、この赤裸々、ぶっちゃけ、あけっぴろげな印象もあるのに、謎めいた感じ。
林葉さんが将棋の世界だけにとどまらず、将棋を知らない私のような一般の人たちにも知られるようになったのは、颯爽と、彗星のごとく、鮮烈な、といった定型の形容を使うしかないマスコミへの登場だった。
学年でいえば、三つ下。希代の天才棋士。無敵の美少女棋士。そんな脚光を浴びている林葉さんを目にしたとき、ただの岡山県の田舎の高校生でしかなかった私は、こんな何もかも恵まれた人がおるんじゃなぁ、くらいの感想しか持ち得なかった。
むしろ、淡い好意や薄い応援の気持ちは持った。これまた、自分とは関係ない場所で美しくかっこいい女の子は、畏怖の対象ですらある。見知らぬ遠くの世界は、みな美しい。
そんな林葉さんが二十代になるころ、彼女は私の世界にやや近づいてきた。出版社とレーベルは違うが、林葉さんも私も少女小説家として文庫本を出すようになったのだ。
こんな才能もあったなんて。ますます恵まれたところを増やしていくというのか、まだまだある恵まれたところを取り出してみせるというのか、これはちょっと胸がざわついた。なんといっても圧倒的に、林葉さんのほうが本は売れたのだ。
そこからまた十年以上も、林葉さんは将棋界という私にとってはとことん無縁の世界のお姫様で女王様であり続けたから、自分と重ねたり、なり替わりたいとも願わず、マスコミに出ている、可愛らしいのに超然とした姿勢の彼女をチラ見するだけだった。
その間、私は岡山で最初の結婚をして二人の子を産み、小説は開店休業状態。このまま平穏に田舎町で主婦として母として生きていくのだと思っていた。だから、異界のお姫様のことなど忘れきっていた。
そうして唐突にまた、林葉さんはワイドショーや週刊誌などに露出するようになる。これは、優等生然とした人気棋士には意表を突く衝撃でありつつ、彼女のまとっていた雑ないい方ではあるが不思議ちゃん、天然、という雰囲気に妙に似合ってもいた。
きまじめなお嬢様のころから、すでにどこか危うい浮世離れした雰囲気も漂わせていた彼女の眼差しは、将棋盤を離れてもはるか何手先も読んで微笑んでいるようにも見えた。
だから、後出しじゃんけんみたいないい方になるが、きっと彼女は決定的な破滅には向かわず、天才美少女に戻ると私も先を読んだ気になった。
ともあれ突如、林葉さんは将棋連盟に休養願を提出した。あのスター棋士が。あのアイドル棋士が。いったい何があったんだ。将棋の申し子、棋界の女流の星がそんな追い詰められるなんて、よっぽどのことに違いない。
そして休養だけでも世間の人は大いに驚いたのに、彼女は「失踪」してしまうのだ。その直前に会った将棋界の人たちは、精神的に疲れているから休みたいとのことだった、といったふうに彼女をかばい、言葉を濁した。
この辺りのことも、なんとなくテレビや週刊誌で見た記憶がある。まぁ、いろいろあるでしょうよとしか部外者には思えなかったが、突如として彼女の師匠である米長邦雄氏が、
「インドのサイババに会いに行くといっていた」
などといい出した。世間も意表を突かれたが、もともとオカルト好き、神秘世界に興味津々の私も、これには食いついた。
インド失踪騒動の真相
いろいろな奇跡を起こせるというインドの聖者は、当時の日本でもかなり知られる存在となっていた。関連本なども売れ、さまざまな著名人もあれは本物と絶賛していた。
インドの聖者か。なんか林葉さんらしいなぁ、私は林葉さんについて表面的なことしか知らないのに妙な納得をし、初めて彼女になんだか強い共感を持ってしまった。
確かにそのときの彼女の行動は、将棋界や世間からは褒められたことではないにしても、自身がお姫様でいられる場所を放って、目的のために軽々といろんな境界線を越えていく。
やはり、この人は謎だ。
当時はインターネットなどなかったので、林葉さんの動向はテレビや週刊誌を見るしかない。実はサイババにも会う気はないしインドにも行ってないし、ちょっと噂された男性とも結婚はしないし、実はヨーロッパに渡っていた、等々。
だが、彼女に言わせれば真相はこうだ。
「師匠には、インドに行く、なんてひと言も言っていないのに。なんであんなこと言ったんでしょうね(笑)。あと、ぜんぜん知らない芸人さんに、『ドバイで見かけた』と言われてたし。
あの当時、私はきちんとタイトルを返上してから休養願を出して、ロンドンに行っていたんです。いきなりいなくなった、連絡がとれないとされていてびっくりでした。海外だから、当時連絡がとりづらかったのは当たり前だと思うんだけど(笑)。
帰国して、将棋連盟側に記者会見をセッティングされました。もう納得がいかなくてね。で、記者会見が始まる30分くらい前に連盟の職員から、師匠からの白い紙を渡されたんですけど。開いたら“立場をわきまえたら悪いようにはしない”とあって。だから会見のときは、怒りがピーク状態だったんです」
彼女はついに将棋連盟に退会届を出し、天才棋士は元棋士となる。しかし、これ以上のびっくり仰天な出来事が世間ををざわつかせる。いきなりの、ヘアヌード写真集。
豊胸手術をして挑んだ3冊目のヌード写真集
当時は、全然落ち目なんかじゃない人気女優も、水着姿すら見せそうになかった芸能人も、そんな写真集を盛んに出していた。が、勝手にわりと林葉直子という女性に共感もあるつもりでいた私も、ますます深まる謎に首を傾げた。
「次の一手、というのも考えてるし、打ってるんだろう、きっと」
金に困って、といった覚悟と悲壮さも伝わらず、強烈な自己愛や顕示欲といったものも漂っていなかった。とことんエロを追求したのか、何か別の意図があるのか、彼女は裸をさらしてもなお、謎ばかりを提示してくるのだった。
「写真集を撮りませんか、というお話があって、おもしろそうだな、と。ちょっと色っぽい写真があったほうが話題になるし売れるんじゃないの、という方向になって、結局脱ぐことになりました(笑)。
2冊目の写真集、野村誠一先生にとっても素敵に撮っていただいて。うれしかったな。でも、胸がないのが気になって。だから3冊目のオファーが来た際に、高須(克弥)先生にお願いしたんです」
そうして彼女は有名美容外科の高須クリニックで豊胸手術を受ける。写真集の発売後は、クリニックの広告にも登場し、谷間を強調するセクシーポーズを披露していた。
この人はどうしてあんな恵まれた境遇から、こんな暴走と迷走をしているんだろう。悪い人たちにそそのかされているのか。と謎を追いつつ、本人が自分の意志で好きなことをやっているだけのようにも見えてはいた。
林葉さんはいったいどんな先の先を見据えて駒を進めているのか、私だけでなく日本中がわからなくなっていた。
このころにはもう林葉直子といえば、相変わらず美人ではあったが二十代も後半となったので美少女ではなくなり、棋士でなくなったので天才や女王といった冠もなくなり、いろいろお騒がせなタレント、という括りに入れられていた。
そうして満を持して、なんていっていいのか。林葉さんといえばこれ、といわれるほどになった強烈な不倫スキャンダルが起きる。
林葉さんには恐怖でしかなかっただろうが、自身の師匠の親友であり偉大なる先輩でもあった既婚者のお相手が、若い恋人である林葉さんに未練たっぷりに「突入しま~す」と留守番電話に吹き込んだ脅し文句は、脅しでありながらどこか笑えるもので、連日ワイドショーで流され、流行語にすらなってしまった。
それらが落ち着いてからは、林葉さんは東京・六本木でインドカレー店を経営したり、タロット占い師になったりした。ちょくちょくマスコミにも取り上げられはするものの、スキャンダル全盛期のような連日ワイドショーで騒がれる、といったこともなくなった。
まだ迷走しているとも、なんだか落ち着くところに落ち着いた、とも見られていた。
激ヤセと余命宣告
しかし林葉さんはその後、父親の事業の失敗による多額の借金を負わされて御実家に戻り、自己破産をする。そして、長年の多量の飲酒によって肝硬変を患ってしまう。
一時期は腹水も溜まって「余命数か月」ともいわれていたほどで、ここらあたりは御本人がどれほど明るく気高く振る舞おうと、世間の人はみな「可哀想」「お気の毒」と見てしまうしかなかった。
それからしばらく消息を聞かなくなっていたら、かなり面変わりした様子で久しぶりにテレビに登場し、スキャンダルとは違う方向からみなさん久しぶりにざわついた。御病気のせいで、かなり痩せておられたのだ。
林葉さんは元がとても美人だったから、面やつれが目立ってしまうのだ。元が平凡な顔立ちなら、痩せましたね、普通の加齢ですね、ですむのに。
容姿に限らず、人生全般にわたってそのような際立つ落差と目立たない落差はある。世間はスターやエリート、金持ちの波瀾万丈ぶりと大きな落差を見せる物語は大好きだ。
私も正直、テレビで久しぶりに見て、ずいぶん苦労して荒んだ生活をして、こんなやつれてしまったんだな、お気の毒に、と同情する気持ちになってしまっていた。
とはいうものの、相変わらず私と林葉さんには共通の知り合いが何人かいるというくらいで、直接的なつながりはなかった。
なのに時折、ふっと、何かの拍子に林葉さんの話題にはなった。そこにあるのは必ずや、もったいない、惜しい、というため息だった。
その間、私は本来の作家業に加え、ひょんなことからヒョウの着ぐるみで下ネタばかりいう下品なオバサンとして世間に定着することになり、林葉さんとは違う迷走をしていた。
そして、こちらはかなり長い付き合いである『週刊女性』の編集者Yさんが、林葉直子さんについて書きませんかといってきたのだ。
意外な、意表を突く、といいたいが、ああ、ついに来た、長くかかったなぁと腕組みした。やっぱり私は、いつか会いたい、会えるかもしれない、ではなく、会えるものだとどこかで予定を組んでいたのだ。
私が先手を打った、私が何手も先を読めたのではない。それをしたのはやはり、向かいに座る林葉さんなのだった。私は誘導されただけだ。気持ちいい負けのほうに。
勝負にならん以前に、圧倒的な強敵にあしらわれ負かされるって、ただ気持ちいいことじゃないか。負けたことすら、あの人と対峙したという自慢や武勇伝になる。
そして、ついに林葉さんに直接お会いするために現在お住まいの福岡県に、編集Yさんとカメラマンさんと行くことになった。Yさんはばっちり、鳥の被り物も準備できている。
高須克弥院長と林葉直子
その前日、私の交友関係の中では最も林葉さんと親しい、高須院長にお電話した。
高須院長といえば、漫画家・西原理恵子の人生のパートナーとしても知られている。理恵子ちゃんと私は同じ年で長年の仲よしだ。
高須院長もがんを公表されて大変なご闘病中だが、私からは変わらずお元気そうに見える。
だが高須院長もまた、闘病だけでない数々の修羅場をくぐってきた御方。私の仲間意識とも違う、同志愛、戦友のような気持ちを林葉さんに抱いておられるのだ。
「僕はね、天真爛漫で純粋な女性が好きなの。でも、そこに才能がなきゃならない。どちらも備えた女性を見ると、好きになるし助けたくなる」
ああ、それはもう現在のパートナーを見ればわかります。
「ただの天真爛漫、純情、それは妖精のようなもんでしょ。僕が手助けや世話をする意味はない。その辺をひらひら舞ってりゃいいの」
林葉さんは、妖精っぽいところもありますけどね。理恵子ちゃんは……妖精というには、いろんな意味で重量感がありすぎる。
「林葉さんに、名古屋の僕の病院で治療をしたらと誘ったこともある。また仕事をしましょうと、申し出たこともある。だけど彼女は断るんだ」
普通は、大金持ちの有名な素晴らしいお医者様にそんな手を差しのべてもらえたら、飛びつきますよね。何を遠慮し、躊躇っておられるのでしょうか。
「まずは、先生にご迷惑をかけたくない、というんだよ」
それ、わかりますね。一見ぐいぐい前に向かう人に見えますが、ちゃんと横も後ろも先も見ているというか。あと、やっぱり純情で、強かに生きられないんですね。
「そう。夢見る少女なの。うちの熊(註・理恵子ちゃんのあだ名。由来は諸説あり)も純情でまじめなんだけど、林葉さんに比べればリアリストだからね。林葉さんみたいに、~だったらいいな、と世の中を見ない。~はダメでしょ、とばっさり切れる」
私も何度も、どっしりと足腰の強い熊によって現実に引き戻されました。
「そして林葉さんは、御心配いただくのはありがたいけれど、私は今のままで十分なんです、ちゃんとやっていけてますから、というんだ」
うーん、それはなんだろう、そこは私には、ちょっとわからないですね。自尊心の強さなのか。やっぱり、夢を見る少女だからなのか。
「彼女は嘘をつけない人だから、本当に思ったままをいってるんだよ」
高須院長のおっしゃることはいちいちすべて納得できたはずなのだが、さらに何かしらもやもやする謎、何かちょっと引っかかるものも持ち、飛行機で福岡に飛んだ。
胸に入れたシリコンは今
有名人とお会いするとき、いつもおちいる錯覚だが、すでにテレビや雑誌で見ているため、初めてお会いするという気がしない。
逆に私もたまに街なかで見知らぬ人に声をかけられるが、向こうが親しげに志麻子さん、なんて呼びかけてくるから、こっちも知り合いだと勘違いしてしまう。
さてついに対面できた林葉さんは、テレビや雑誌で記憶に刻まれた鮮やかな美少女棋士でもなく、艶めかしくも生々しいヌード写真のセクシー美女でもなく、今目の前にいる初めて現実に見る生きて動く可憐な林葉さん、だった。
林葉さんはまさに妖精のような笑顔とたたずまいで登場し、私の向かいに座った。ご本人によると、大腿骨を骨折して人工骨頭を入れている、尾てい骨ももろくなっているので長時間は同じ姿勢で座れない。何かかじるとすぐ歯茎から血が出るけど、歯医者にもなかなか行けないとか。
しかしちゃんと、ここまで生きてきた確かな体重と生身の呼吸は強く感じた。
辛子蓮根や名店のケーキなど手土産に持ってきてくれた彼女は、少量ながらおいしそうにYさんが用意してくれた惣菜も食べた。なんだかもう、それだけでうれしくなった。
「当然ながら、お酒はもう飲めないんですが。お酒以外にも、いろいろ制限ありますよ。塩分はきっちり計算して、一日に何グラム以下、と節制しなきゃならないし」
それでも嬉々として愛鳥の写真も見せてくれ、鳥のコスプレもノリノリでやってくれて、たくさんの写真に収まった。後から見れば、すべてが笑顔だった。
「胸のシリコンは入れたばかりのころはひんやりして、違和感あったけど。こんだけ長く入れてりゃ、もう本物の私のおっぱいですよ」
もちろん、その胸も触らせてくれた。さすが高須クリニック、とても自然。そんな楽しい話ばかりでなく、苦難の話もしてくれた。
でも林葉さんは将棋界のスターで、常にちやほやされて大事にされてきましたよね、といった何も知らない私がいえば、やんわりとただしてくれた。
「とにかく、男が偉い世界ですからね。今、藤井聡太くんが対局のときの昼食に何を食べた、休憩時間どんなおやつを食べた、みたいなことが報道されてますが。男性の棋士には、何を食べますかと会館職が注文を聞きに来ても、女流には聞いてくれないんですよ。自分で頼むしかないんです」
なんというか、そういうのもひっくるめて、将棋界とは私にはわからない遠すぎる別世界なのだった。あちらからすれば、女ということで、広告塔ということで、特別扱いして可愛がってきた、などと反論もしたくなるのかもしれないが。
将棋界に入った、あのころ
もちろん作家にも性別はあり、私も女流作家などと呼ばれるときもあるが、作家は作品がすべて。女の作家と本は格下、なんてことはない。
そういえば林葉さんは漫画の原作を手がけるときは、かとりまさる、という男の名前を使っておられた。いろいろな思いが、その男名前には込められていたのだろう。
それにしても、知れば知るほどますます異界ぶりを深めていく将棋界。
そんな世界に子どものころから入り、なんと小学6年生で内弟子として有名棋士のお家に住み込むのだ。いかに天才少女といえど、ランドセル背負った子どもだったのだ。
「博多弁しかしゃべったことなかったのに、東京の家に放り込まれて。師匠の奥さんを奥様と呼ばされました~。あの気を遣った日々を思えば、今とっても気楽といえます。
うちの師匠はね、いつもピリピリした人だったんです。なのに言うことが二転三転する。おまけに女遊びが激しくて、ほとんど家にいなかったから、ご自宅で何か教わるなんてことも実際はないに等しかったですね。うちの父と似たようなタイプだから、慣れていたので私はあんまり動じなかったんですけど。
でも一緒に住み込みの内弟子だった先崎学くんは、師匠のそんな性格についていくのが大変だったみたい。よく悩んでいましたよ」
それにしても、周りがみんなライバル、競争相手、つまり敵だらけというのはまったくもって想像もつかない世界だ。しかも、シビアに明確に勝ち負け、勝者と敗者が目に見える。何をいっても勝ちは勝ち、負けに言い訳はきかない。
林葉さんも私も作家でもあるが、こちらの世界は「あの本は売れてるけど、私のほうがおもしろい」「あの作家は売れてないが才能はすごい」といった負け惜しみや詭弁と取られるものだって、受け入れられる余地もある。
「女流同士はそれでも、仲よくしてましたよ。人数が少ない、てのもありますが。なんたって、男のほうが嫉妬深いですからねー」
冗談めかしていったけれど、今の天真爛漫さの向こうの過去の苦難と苦闘が見え、今はそれらがすべてなくなったために気楽でもあるんだろうな、と察した。
「藤井くんの師匠の杉本昌隆さんとは、年が近いこともあって、棋士当時よく顔を合わせていたんです。おとなしくて優しい人でね。当時は気が荒い人が多かったから、この人大丈夫かな、やっていけるのかな、という感じでしたね。
でも、早いうちに地元で指導者になって、藤井くんとか、強い子たちを育てているでしょう。うちの師匠たちとはまったく違って、将棋界とはどういうところなのかとかも教えてあげているみたいね。勝負師より、指導者のほうが合っていたんでしょうね。私は(指導者は)無理かなあ(笑)」
林葉直子という人は、とても幸せなのだ
しかしペットの話になると、互いにただもう親バカっぷりを披露できる。
私は鳥を飼ったことはないけれど、愛犬が二匹いる。とにかく私は可愛いおとなしい小型犬しか飼ったことがない。
林葉さんのお父様は警察官で、警察犬を飼育し訓練していたのはよく知られた話だ。つまり林葉さんの身近にいたのは、シェパードのような大型犬ばかりなのだった。
私は大型犬の扱いは無理、正直どう接していいかわからず怖い、といったら。
「私は逆に、小型犬ってどうしていいかわからないんですよ。接していたのはいつも立ち上がったら人間くらいある犬ばかりだったから、そんな小さな犬はどう抱けばいいのか、どんなふうにご飯あげればいいのかわからない」
にこやかに返され、あっ、と胸を突かれた。私の中には大型犬は怖い、大変、小型犬は可愛い、楽、という思い込みがあった。逆の立場から見れば、すべてが反転する。
世間一般から見れば、棋士やタレント、作家といった職業の方が大変そうで特殊なのだが、私たちからすれば会社員や主婦の方が困難な仕事やできないことなのだった。
不倫をしてきた人からは普通の結婚が難しそうに見え、ヌード写真集を出したり着ぐるみでテレビに出ている側からは、事務や販売や製造といった一般職が無理、そんなこと私にはできないわ、となる。
不実な既婚者に振り回されたり、かなりダメなヒモとくっついた私たちからすれば、まじめに勤めて浮気も浪費もしないよき父、よき夫のほうが扱いに困るのだった。
そしてもうひとつ。林葉さんはタロット占い師としても活躍されているが、これは将棋よりもっと読めない不確かな未来を読むものだ。
つい、占い師に必ず聞いてみたくなることを聞いてしまった。占い師は自分は占えないって、あれはやっぱり本当ですか、と。
「自分で自分を占ってみると、何度もやり直してしまいます。そうであってほしくない未来を示すカードが出たら、願いどおりのカードが出るまで繰り返す。そうなると、カードにもてあそばれてしまうんですよ」
痛いほどに、膝を打ってしまった。自分の中で悩みや希望がぐるぐる堂々巡りになって、はかない夢にすがると、確かに自分の人生なのに自分に惑わされてしまう。
このような職業、立場になれてよかったなと心から思うのは、すごい人から自分にだけ突き刺さる言葉を直接もらえることだ。
ともあれ林葉さんは今、実家で家族と仲よくし、愛鳥の世話もし、闘病しながらも穏やかに生きている。今はまだ難しい時期だけど、東京でも遊びましょうなんて約束もした。
そういえば林葉さんは、まさに前時代的なお父様にも抑圧されてきたとご自身の著書にもあるが。お母様は元々お嬢様で専業主婦しかしたことがなかったので別れなかった、というが。家を出ていろんな場所を飛び回った林葉さんも、お父様なき家に戻っている。
愛鳥バッチャマンもきっと、抜け出しても林葉さんの元に戻ってくるのだろう。
林葉さんが帰宅された後、私はなんだかすべての謎が解けた気がして興奮し、感動していた。それは、林葉直子という人は、とても幸せなのだ、という解答だった。
今も幸せだから、私たちに会ってくれた。今も幸せだから、ご迷惑をかけますのでと多大な援助を断り、今も幸せだから鳥のコスプレもして笑う。
さまざまなスキャンダルや困難を乗り越え、しかし栄光と栄誉は失うことなく、親身になってくれる人もファンもいる。愛鳥もいる。今は大変な闘病中なのであまり表には出てこられなくても、私みたいな新規のファンも現れる。
林葉直子さんが今幸せであることで、私も今幸せを感じている。
作家 岩井志麻子(いわい・しまこ) 1964年、岡山県生まれ。少女小説家としてデビュー後、『ぼっけえ、きょうてえ』で'99年に日本ホラー小説大賞、翌年には山本周五郎賞を受賞。2002年『チャイ・コイ』で婦人公論文芸賞、『自由戀愛』で島清恋愛文学賞を受賞。著書に『現代百物語』シリーズなど。最新刊に『業苦 忌まわ昔(弐)』(角川ホラー文庫)がある。