終戦からちょうど75年が経過した8月15日。最高気温が37℃となる猛暑だった東京都千代田区にある『日本武道館』で、『全国戦没者追悼式』が開かれるのに伴い天皇・皇后両陛下が臨席された。
「昨年同様、正午に参列者全員で1分間の黙祷後、天皇陛下がおことばを述べられました。慰霊碑の前でおことばを読まれる隣に立った雅子さまは表情がこわばっていたものの、会場に入ってから約30分間、これまでにないほどの緊張感が漂う中でも、しっかりと式をこなされました。
今年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、青森や大阪、沖縄など約20府県の遺族代表が欠席しました。
各自治体が高齢化した遺族の健康を危惧した結果で、参列者は来賓を含めて約500人。昨年の1割弱の人数で、過去最少でした」(皇室担当記者)
毎年恒例の式典で、両陛下にとって“最重要公務”と位置づけられており、国会の開会式や国賓を接遇するときにだけ使う『センチュリーロイヤル』に乗車される。
そんな両陛下は、日本がコロナに脅かされ始めた今春から変わらず、週に1~2回のペースで、関係者から直接のご進講を受け続けている。
「8月7日には、先月豪雨で被災した熊本県の蒲島郁夫知事から状況説明を受け、8月11日には国連の中満泉事務次長から、原爆を投下された広島と長崎の被爆体験の継承方法や、核軍縮についての話を熱心にお聞きになっていました。戦没者追悼式に出席する前に、原爆関連のお話を改めてお聞きになりたかったのだと思います」(同前)
国民に平和の大切さを伝えていただきたい
そもそも戦没者追悼式が初めて行われたのは'52年で、日中戦争以降の戦没者を悼むための式典である。
昨年、追悼式に参加し兵庫県代表として献花した森本堅介さん(79)は、戦争の悲惨さを次世代に継承することが大事だと訴える。
「昨年は献花という重責を感じながら参加させていただきました。しかも、ちょうど両陛下の目の前の席となり、手足が震え、言葉に言い表せないほどありがたい体験で、献花した際には涙が出ましたね。
上皇ご夫妻は平成時代、世界各地の戦争地にまで足を運んで慰霊され、戦争体験を語り継がれました。われわれも同じように親から子、子から孫に、戦争の悲惨さを絶対に語り継がなければなりません。今後も両陛下には、追悼式へのご出席を通じて、平和の大切さを国民に伝えていただきたいと思います」
今年の式で献花した岩手県に住む浦川福一さん(75)も、上皇ご夫妻や現在の両陛下に感謝の意を表す。
「私の父親は'45年の2月に、フィリピンのルソン島で22歳の若さで亡くなりました。私はこの年の4月生まれなので、実際に父と会ったことはありません。父は家族に“今度会うときは『靖国神社』で。天皇陛下万歳”と伝えて逝ったと聞いています。
つまり、両陛下に式典に出席していただくこと自体が、遺族にとってはありがたいことなのです。コロナ禍で大変な時期にもかかわらず、参加していただきうれしい限りです。“もう2度と戦争はしないように”という、上皇ご夫妻や両陛下の決意が感じられます」
皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさんは、平和に対する上皇ご夫妻の並々ならぬ思いについて次のように解説する。
「コロナで大変な時期に、両陛下が追悼式に参加されるのは、上皇ご夫妻の思いをいちばん近くで感じていらっしゃることも大きな理由でしょう。
上皇さまは皇太子時代に“日本人が忘れてはいけない4つの日”について言及されました。これはお子さま方にもきちんとお伝えになっており、当日は毎年、天皇ご一家や秋篠宮ご一家も必ず黙祷されています。
上皇ご夫妻は平成時に国内だけではなく、世界の各戦地を慰霊されるほど、戦争に対して強い思いがあるのです」
3月末以来、1度も外出されていない
“4つの日”とは、沖縄戦終結の6月23日、広島と長崎が原爆を投下された8月6日と9日、そして終戦記念日である8月15日のことを指す。さらに上皇ご夫妻は'05年にサイパン、'15年にパラオ、'16年にフィリピンと世界の激戦地だった国を慰霊のため訪問されている。
そんなおふたりの近況を、ある上皇職関係者はこう話す。
「7月には那須、8月には軽井沢に毎年恒例のご静養が予定されていましたが、7月の九州豪雨やコロナで苦境に立たされている国民がいることを理由に、中止されました。
上皇さまは毎週研究のために皇居を訪問されている一方で今年3月末のお引っ越し以来、1度も外出されていない美智子さまのご体調を危ぶむ声も。しかし、そこまで重い状態ではないようで、日本の現状を鑑みて“軽々しく外出するべきではない”という気持ちがお強いのだそうです」
国民を案じて、お住まいに引きこもられている美智子さま。その“意志”を引き継がれた雅子さまには大きなプレッシャーがのしかかっていることだろう。そんな中でも雅子さまは前々から追悼式を見据えられていたという──。
「コロナ感染が収束しない現状から、両陛下が特に重きを置く地方公務“四大行幸啓”や『秋の園遊会』、都内公務などの外出を伴うものは、年内すべて中止になったそうです。ただ、追悼式だけは出席されました。
しかも、雅子さまは約2か月前から内々で“出席の意向”を関係者にお伝えになっていたのは、かなり珍しいこと。普段の公務であれば、いまだご体調に波があり、直前まで出席するかどうかをお決めにならないからです。
上皇ご夫妻の“平和への思い”を痛いほどご存じであり、今回はコロナで参加したくてもできなかった遺族たちの気持ちも、痛いほど理解されているからなのではないでしょうか」(侍従職関係者)
戦争の記憶が風化しないように
参加者が絞られた中で、10年近く毎年参加している岐阜県の房前征一さん(77)にも話を聞いた。
「今回は残念ながら“県で20名”と枠が定められたので県職員5名と遺族会12名で出席しましたが、希望者は100名以上もおり行きたくても行けない人が多かったのです。
コロナでリスクがある中で追悼式を開いていただき天皇・皇后両陛下もご出席されるということへの感謝を表すためにも、私は“出席”することに決めました。
今の両陛下は戦争を経験されていませんが上皇ご夫妻の強いお気持ちを紡いでくださっていると思います。日本の象徴が、今回のように一生懸命になってくださると、われわれとしてもありがたく、戦争の記憶が風化しないように今後も式に出席していただきたいです」
陛下は冒頭の追悼式で、昨年のおことばから次のような一文を加えられたのだが、皇室がいかに国民に心を寄せているかがわかる。
《私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います》
戦没者、その遺族、そして美智子さまからの“平和への叫び”を浴びながら、雅子さまは大役を務められた──。