8月12日に放送された『バナナサンド』(TBS)にゲスト出演したFUJIWARA。登場するなりフジモンこと藤本敏史は、深々と頭を下げた。
「最近、何に謝ってるかわけがわからんねん」
そう付け加えて笑わせた。番組ではFUJIWARAのレギュラー本数の推移のグラフが紹介された。デビュー以来、ずっと1~3本で推移し、大ブレイクを果たした2011年から数年は0本。そこにこそ、FUJIWARAのスゴさが宿っているようだった。
斜め上を行くフジモンのガヤ
フジモンは、収録時間が長くなったとき、ひときわ元気になるという。
特に特番が多くなる時期は真骨頂を発揮する。5時間、6時間の収録が当たり前になると、出演者は疲れ、口数が少なくなっていく。そんなとき、フジモンだけは口数が減らない。それどころか、ますます口を開く回数が多くなっていくのだ。
勝手な使命感――。フジモンはそう自嘲する。
「誰にも頼まれてないのに。それをスタッフさんがね、藤本、頑張ってるなと思ってくれたらいいと思うんですけどね」(「文春オンライン」17年4月10日)
彼の武器はなんといっても、その「ガヤ」である。「ガヤ」という言葉を視聴者にも浸透させたのは間違いなくフジモンだろう。
それまでの「ガヤ」は、「イエーイ!」だとか「フー!」などと、その場を盛り上げるだけだった。いわゆる“賑やかし”だ。もちろんそれは「楽しげ」な空間を演出するという意味で大事な役割を持っていた。だが、それ以上でも以下でもなかった。あえて偽悪的に言えば、“その他大勢の仕事”だ。
それをフジモンは大きく変えた。
たとえば、有名なステーキ屋がスタジオに登場し、肉をワサビで食べることをすすめられたとき。その際、「わー!」だとか「おいしそう!」などと盛り上げるのが普通のガヤだ。でもフジモンは違う。
「ジャン・レノと広末涼子!」
と、すかさず叫ぶのだ。一見、全く関係ない単語。しかし、知っているものはピンとくる。ジャン・レノと広末涼子は映画『WASABI』で共演した。だから、「ワサビ」という単語に反応してフジモンは発したのだ。こうなるとフジモンは止まらない。続けて叫ぶ。
「記者会見で広末が泣いてた!」
この映画の記者会見で広末が謎の涙を見せたことは、当時のワイドショーで大きな話題を呼んだ。だが、もちろん、番組とはまったく関係がない。けれど、それが重要なアクセントになっている。ときに、番組の流れを止めてしまったり、共演者から「うるさい」と言われても止めることができない。
「病気やって言われてますから。ストッパーがバカになってるので、ブラブラなんですよね、1個言ってしまうと、全部出ちゃうんですよね、そこから(笑)」(「文春オンライン」17年4月10日)
矢沢永吉の映像を見れば「耳かじらないで!」。そのガヤを発する理由となった矢沢永作、三浦カズノコ、つんつくが起こした“事件”(※)をよどみなく詳細に語ることができてしまう。藤本のガヤは「データ派」なのだ。
彼の頭のなかには豊富なテレビ知識が、詰まっている。ひとたび、関連のある単語が話題に上がると、それがトリガーになって、矢継ぎ早に「ガヤ」が出て来る。フジモン以上に「テレビっ子」であることが、武器になっているお笑い芸人はなかなかいない。
フジモンの「ガヤ」は、“その他大勢”ではできないフジモンならではの仕事だ。だからこそ、レギュラー番組0本でも強烈な印象を残しているのだろう。
「勝手な使命感」
しかし、そのガヤもコロナ禍の中ではなかなか使うことができない。長時間の収録は難しく、そもそもガヤ要員を配するような多人数の収録ができない。フジモンは最大の武器を封印されたようなものだ。けれど、フジモンの仕事が減ったという印象はない。
彼のスタンスとして「芸人としてのプライドなど1円の価値もない」というのがあるという(『バナナサンド』20年8月12日)。
仕事を選ばず、来た仕事に全力を尽くす。これは「勝手な使命感」で発し続ける「ガヤ」と同じことだろう。『アメトーーク』(テレビ朝日系)で見せる「パクリ芸」も、「関東芸人と関西芸人のかけ橋になりたい」と関東の芸人に「ガサツに」話しかけていくのも「勝手な使命感」だとフジモンは言う。
「勝手な使命感ばっかりですよ、誰からも頼まれてないのに(笑)。とどのつまりは、テレビを元気にしたいというのがホントにあるんですよね」(「文春オンライン」17年4月10日)
きっと“財産分与”でもらったと「チョリース!」を連発していたのも「勝手な使命感」があったからだろう。たとえスベってもただひたすら笑いを取ろうとする彼が番組や共演者たちを助け、結果として窮地に立たされたフジモン自身を救っている。
〈文/てれびのスキマ〉