『青春アミーゴ』から15年、山下智久と亀梨和也がまさかこんなことになるなんて……! 『文春オンライン』による“女子高生との飲酒報道”でふたりがそれぞれ活動自粛・厳重注意との判断を下された。
処遇の差が出ているのはもちろん、山Pだけが“女子高生モデル”をお持ち帰りした流れがあってのことだろう。ホテルから出てくるところを撮られたと気づいた瞬間に《情けないぜ 助けてくれ 例の奴等に追われてるんだ》とアミーゴ・亀梨に電話をかけたのかどうかはわからないが、とにかく、『修二と彰』にはっきりとした明暗がついた。
ツイッターでは山Pファンと思しきアカウントがその女子高生モデルを特定し、叩くという、今やおなじみとなった目も当てられないネット粛清が散見。なかには記事中の現場写真に写り込んだ“チラシ”や“自動販売機”から一緒に飲んでいた店舗を特定する猛者のツイートも拡散されていた(なんのため?)。
山Pに送るマザー・テレサの言葉
そんなネット地獄のなかで、同じSNSでも全く異なる様相を呈している場所があった。山Pインスタグラムのコメント欄だ。
最新の8月2日の投稿が48000件以上(8月20日現在)ものファンのコメントで埋めつくされているのだが、注目すべきはその内容がほぼ“山Pへのエール”で埋め尽くされているということ。ネガティブな意見も多いツイッターとはまるで別世界。
代表的なのは、想いの丈を綴った(長文多し)あとに「待っているよ」「私たちが支える」と締めるエール系。別種では、過去に実物の山Pと会ったことのある人が神対応を受けたエピソードを披露したり、苦境に立たされる彼にマザー・テレサの言葉を贈るものまで。
あふれる想いとそれを伝えるバリエーションの豊かさ……ツイッターの不特定多数にむけるつぶやきとは違い、本人に直接語りかけようとする文体がまるでファンレターのようだ。山下とファンの絆の強さが伺えて、関係のない私までなんだかウルっとくる。
ほとんどのジャニタレが個人のSNSアカウントを持つことが許されていないなか、誰よりも早く開設を許されたのがこの山下智久だった。現在、発売中の『日経エンタテインメント』(2020年9月号)で表紙を飾っている彼は、SNSとの付き合い方について、このように語っている。
《手紙のつもりで書いてます。こんなことをしているとか、こういうふうに生きているとか、文通しているようなつもりで。手紙がなくなりつつあるからこそ、なおさら》
まさに、このスタンスに呼応して今度はファンから山下へと手紙をしたためているということか。しかし、コメント欄を読み進めていくと、ある傾向に気づく。それは、“自粛に至った経緯”について極力触れまいとする姿勢だ。
女子高生というワードは使わずに
それが感じられる箇所を、投稿のなかから抜粋してみたい。
《貴方の代わりに私が泣いている。何でこんなに縛られているんだろうって。何でこんなに生きづらい世界なんだろうって。どうしてこんなに頑張っている人には邪魔が入るのだろうって》
《くやしいね。こんな事。どれだけの試練をあたえれば気が済むのかな?》
《まっすぐ開けた道に突然おおきな岩が落ちて来てしまったと悔しさで一杯です》
比喩表現を使い、具体的なワードを避けて、避けて、ポエジーな方向へと走っているのがみてとれる。なかには『文春』の報道自体を“ガセ”と断定するような書き込みも多く、その投稿に寄せられるのは、たくさんの「いいね」──。応援メッセージを発信しながらも核心に触れないような表現で互いを気遣う、傷ついた女子たちのヒーリング活動である。
コメント欄がなぜこのような“山P擁護”の流れを生み出しているのか。それは、今回の自粛にあたってジャニーズ事務所が出した公式コメントが「年齢確認したにも関わらず成人だと偽った女性と飲んだことは本人たちも認めている」としながらも、“お持ち帰り”の件については一切触れない(認めていない)という解釈の余白を残したからではないか。
ファンにとって身分を偽り山Pと飲んだ女子高生は、彼の活動を妨げる“邪魔であり試練であり大きな岩”であった。そして、“お持ち帰り”については事務所が認めていないからガセネタとみる。つまり、山Pはハメられた側なのだと。
あらゆる情報がネットで流れてくるこの時代、人はみな内容を取捨選択するリテラシーが試されている。信じたいものだけを信じ、聞きたくないことには耳を塞ぐというのは、偏向を生むという意味であまり良しとされていない。しかし、あのコメント欄の不思議な活気をみるに、こと夢を売るアイドルのゴシップに関してはそれはそれでアリなんじゃないでしょうか。
《皿乃まる美・コラムニスト》