左から松田聖子、中森明菜、市川海老蔵、勝 新太郎

 テレビでやっていると、ついつい気になってしまうのが「記者会見」。旬の人がマスコミ、そして世間に向けて発表や釈明をするわけですが、数々の伝説が生み出されたものです。そんな、世の中を騒がせた記者会見を総ざらい! その変遷を追って、あのころを思い出してみませんか?

松田聖子の変わり身の早さに全員がズッコケた

 今年6月、ジャニーズ事務所を退所した手越祐也が、自身のYouTubeチャンネルから緊急記者会見を生配信したことは記憶に新しい。会場に約130人の記者が詰めかけたことからも騒動の大きさを物語る一方、約2時間に及ぶ会見の生配信を132万人を超える視聴者が、リアルタイムで見届けたことも大きな話題を呼んだ。

 かつての記者会見といえば、芸能人とワイドショーの芸能レポーターが、ときに“にらめっこ”のように、ときに“つば競り合い”をするかのごとく、喜怒哀楽がないまぜになって進行することが当たり前。

 ところが、時代は変わり、今や自らのチャンネルで配信し、ワイドショーやレポーターを介さずとも、気持ちを伝えることが可能になった。振り返ると、芸能史にはさまざまな記者会見が存在し、その一幕を覗くと時代の変化が垣間見えるから不思議だ

 例えば'80年代、松田聖子が郷ひろみとの破局を表明した記者会見'85年)のように、このころは結婚、破局、出産といったライフイベントを、わざわざ芸能人が自ら報告することが習慣化していた。

1985年、松田聖子・破局記者会見

 テレビ越しに、生まれ変わったら一緒になろうねと話し合ったと号泣する松田聖子を見て、誰もが同情したにもかかわらず、わずか1か月後に、神田正輝との交際が報道される──という流れに、全員がズッコケたのは懐かしい思い出だろう

「ネットが登場する以前は、動画配信はもちろん、ブログすらない。意思を表明する場が記者会見しかなかった。輪をかけて、視聴率が欲しいワイドショーとの相性もよかった」

 と、語るのは芸能ジャーナリストの渡邉裕二さん。記者会見が、テレビのコンテンツとして機能していた時代を振り返る。

'90年代に入って記者会見の風向きが変わる

 例えば、海老名美どりの“緊急発表”と題された会見'82年)は、「峰竜太との離婚!?」をにおわせておきながら、ふたを開けると「タレントをやめてミステリー作家になるという芸能史に残るどうでもいい会見だった。ところが、いまだ多くの人の脳裏に焼きついているから恐ろしい。

 同様に、視聴者にもモヤモヤとした思いを残したのが、近藤真彦と中森明菜の交際解消会見'89年)。

近藤真彦と中森明菜の記者会見

 「明菜は婚約発表会見のつもりで登壇したと聞いています。それがあんな形になるとは。見ていた人たちもなんとも納得がいかなかったのではないでしょうか」(渡邉さん)。現在だったらブログや事務所の発表ですまされていたであろうこの一件。結果として歴史に残る会見のひとつとなった。

 その極めつきといえるのが、パンツの中にマリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕された勝新太郎の記者会見'90年)。とぼけ続けたあげく、もうパンツをはかない」と放言し、世間をアッと言わせた。

 企業の危機管理やメディア対応のコンサルティングを行う窪田順生さんは、「マニュアルどおりの謝罪会見が存在しなかった時代。勝新さんや、フライデー襲撃事件後のビートたけしさんなどは、人間性が垣間見えるような、その人にしかできない記者会見を開いていた」と分析する。

 このタレント性重視の会見が、百戦錬磨の芸能レポーターとの丁々発止を生み出し、「記者会見が場外乱闘のような表現の場になっていた」と続ける。

 しかし、'90年代に入ると風向きが変わるバブル崩壊、阪神・淡路大震災、そしてああ言えば、上祐という流行語にもなったオウム真理教による一連の事件が世間を騒がし、芸能の記者会見も、がんを公表するケースや破局系など暗いものが目立つようになる

「'80年代まで通用していた場外乱闘としての記者会見が通用しなくなってきた」(窪田さん)

 その最たる例が、田原俊彦の長女誕生記者会見('94年)で発した“ビッグ発言”だ。「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕くらいビッグになっちゃうと~」と答えるや、調子に乗っていると受け取られ、田原の芸能活動は一変。

 '00年に発覚した盗撮事件で、「ミニにタコができる」と弁明した田代まさしも同様だろう。ひと昔前なら笑ってすんだかもしれない会見に対して、世間はどこか冷めたまなざしを送り、シビアに判断する……そして、当事者のタレントはしっぺ返しを食らうことになる

2014年、記者会見界に訪れた“素人の乱”

 '00年代に起きた、雪印乳業の集団食中毒事件での寝てないんだよ!という社長の逆切れ会見('00年)や、高級料亭「船場吉兆」による食品偽装等の謝罪会見('07年)で飛び出した「ささやき女将)」を見ても明らかなように、誠意なき会見に対して、世の中は拒否反応を示すようになった。

 そんな中、金屏風の前で離婚発表をした泰葉×春風亭小朝の記者会見'07年)は、“時代の残り香”とでも言うべき、風化させたくない名記者会見だ。円満離婚を強調するも、後日、ブログで小朝を『金髪豚野郎』と罵る──、今なお場外乱闘をし続け、“海老名家健在”を結果的にアピールするあたり、さすがは伝統を重んじる一家である。

2007年、泰葉・春風亭小朝。金屏風の前での離婚発表後、泰葉がブログで「金髪豚野郎」

「『あの日の自分に声をかけるなら?』という質問に『出かけるのはおやめなさいと言いたい』と語り、失笑を招いた11代目市川海老蔵暴行事件の会見'10年)、片岡愛之助&藤原紀香の結婚会見('16年)、6代目三遊亭円楽の不倫謝罪会見'16年)など伝統芸能系は、今でもきちんと会見を開く傾向が強い。

 円楽師匠の『今回の騒動とかけまして、いま東京湾を出ていった船と解きます。(その心は)“後悔”の真っ最中』といった大喜利のような会見は絶賛された。きちんと対応できる人は、記者会見を開いたほうがいいということを示した」(前出・渡邉さん)

 裏を返せば、対応するスキルがない場合は、表に出てこないほうが賢明とも。

 くしくも、芸能人のブログやSNSが定着化した'10年代は、ライフイベントの発表をネット上で行うことも珍しくなくなった。

 その影響からか、発表性に乏しくなった芸能人の代わりに、素人たちの記者会見が目立ち始める。新垣隆、佐村河内守、小保方晴子、野々村竜太郎といった芸能人以外の人たちが、立て続けに世をにぎわせた2014年は、記者会見における“素人の乱”といえよう。

2014年、小保方晴子がSTAP細胞の存在の釈明

 また、印象に残るような芸能人の会見が少なくなった理由として、「昨今は“お辞儀は〇秒”“決められたスーツを着る”など、こうすれば世間は納得するといったマニュアルどおりの謝罪会見が目立ちます。そつなくこなしているように映り、どの会見も似たり寄ったりになる」と、窪田さんは指摘。

 芸能事務所が、十把一絡げの危機管理をタレントにしいることで、イメージの回復はおろか、事態の深刻化を招くという。その人“らしさ”を無視した会見は、逆効果というわけだ。

“気持ちが伝わる会見”が求められている

 それを証明するように、山口達也の不祥事に関するTOKIOの会見'18年)や、吉本興業の「闇営業」問題について説明する宮迫博之&田村亮の会見'19年)からは、誠心誠意、気持ちが伝わってきたという人も多いはず。

2018年、山口達也が女子高生への強制わいせつ容疑で謝罪

 TOKIOのメンバーや田村亮に対する好意的な反応は、記者会見を開いたからこその効果であり、今の時代は“気持ちが伝わる会見”こそ求められているといえそうだ

 芸能人の発信の場は広がっている。しかし、どんな形で記者会見を開くにせよ、見ている側を納得させるためには、いつの時代もその当事者“らしさ”や“誠実さ”が鍵のようだ

●芸能ジャーナリスト・渡邉裕二さん
「記者会見はエンタメから政治になった」

 かつての記者会見は、ワイドショーと連動することでエンタメの装置としての側面が強かった。また、芸能人も記者会見を開くことで、「マスコミから追いかけられずにすむ」という抑止力につながった。

 しかし、今はどちらかというと事務所の都合で、わざわざ開くという傾向が強い。いわば、政治力の装置としての記者会見。どこか裏を読んでしまうところがあり、かつてのように視聴者が記者会見を楽しむといった感覚も希薄になっていると思います。

・PROFILE・
わたなべ・ゆうじ。芸能ジャーナリスト。松山千春『旅立ち〜足寄より』CD、映画、舞台などを企画、プロデュース。主な著書に『酒井法子 孤独なうさぎ』など。

●当事者・林葉直子さん
世間を騒がせたアノ人が語る“会見の裏側”「不本意な当事者も多いかも……」

 失踪騒ぎ、不倫騒動、豊胸手術、自己破産……数々の記者会見を体験した林葉直子さん。記者会見のときの胸中を振り返ってもらった。

(写真左)林葉さん失踪騒動の会見、(右)現在の林葉さん

「う~ん、多すぎて覚えていない(笑)。でも、失踪騒ぎのときは、大騒ぎになっているなんて思わなかった。帰国して、緊急会見を開くと言われて、『なんで!?』って。しかも会見の直前、師匠(故・米長邦雄さん)から『立場を悪くしたくないなら謝りに来なさい』というメモを渡されて……。

 悪いことをした覚えはないし、まだ公になっていなかったけれど不倫をしていた時期でもあったんで(笑)、いろいろ複雑な思いでしたね。

 だから、あの場であまり発言しなかったのは、反省していたとかではなくて、話すことがなかったからなんですあのときの私みたいに記者会見が不本意な当事者も多いんじゃないでしょうか。あ、渡部建さんはやったほうが世間が納得すると思いますよ(笑)」

・PROFILE・
はやしば・なおこ。1968年生まれ。元女流棋士、小説家、エッセイスト、漫画原作者、占い師。さまざまな行動で世間をアッと言わせてきたことでも知られる。

今は量産型の芸能人が増えた

●危機管理アドバイザー 窪田順生さん
「“危機管理”という概念が入ってから変わった」

 危機管理の世界では、「雪印乳業集団食中毒事件」と「三菱自動車リコール隠し事件」が発覚した2000年がターニングポイントといわれ、日本の企業危機管理が見直される契機になりました。その影響もあって、芸能界にも危機管理意識が強く働くようになり、芸能人に社会人らしさを求める風潮が強まっていきました

 しかし、芸能界は一般企業とは違いますから、定型的な謝罪をさせるといった危機管理でうまくいくわけがない。芸能事務所は、タレントの個性をいかすような危機管理を心がけたほうがいいでしょう。

・PROFILE・
くぼた・まさき。危機管理・報道対策アドバイザー。ノンフィクションライター。数多くの広報コンサルティングや取材対応トレーニングを行う。

●関係者・石川敏男さん
名物芸能レポーターが斬る、記者会見はこう変わった
「今は替えがきく芸能人が多い。だから記者会見に個性がない!」

 かつての記者会見は、芸能人とレポーターが会話をするように質疑応答が行われていた。しかし、今は一問一答じゃないけど質問ごとに仕切るから、本音や気持ちを引き出しづらい。これじゃ本心はわからないよね。

 ひと昔前の芸能人は、替えがきかない人が多かった。例えば、丹波哲郎さんに愛人と隠し子騒動が浮上して、彼の自宅へ直撃したら、「なんで今ごろ聞きにくるんだよ? 地元の人間はとっくに知ってるよ」と言われた(笑)。

 こういう人だから芸能人であり、丹波哲郎なんだな、と今は、似たような決まりきった会見を開くよね。人気はあるかもしれないけど、その人に代わる人がたくさんいるーー、だから誰でもできる会見になるから、記憶に残りづらくて個性がない。量産型の芸能人が増えたってことだと思いますね。

・PROFILE・
いしかわ・としお。1946年生まれ。女性誌記者を経て、芸能レポーター歴32年。コメンテーターとしても活躍中

(取材・文/我妻アヅ子、本誌編集部)