土屋太鳳

《1日目のゴールをしたあと汗でメイクが落ちていてすっぴんになっていたのをテレビで観た家族が「変わらないねー!」と送ってきました。確かに、変わらないなと思います》

 8月22日、日本テレビ系で放送された『24時間テレビ』の企画『募金ラン』に参加した土屋太鳳。彼女は2日めの出番の前にインスタグラムにこんな投稿をしていた。

「今年は、毎年恒例のチャリティーマラソンがコロナウイルスの影響で中止になりました。沿道に視聴者やファンが集まって、密になる可能性を防ぐためです。なので、誰かが走る、という企画自体がなくなるとも言われていましたが、高橋尚子さんが発起人の『チームQ』による募金ランが実施されました」(日本テレビ関係者)

 そうそうたるメンバーが、コロナ対策を施した環境で力を振るった。

「関係者以外は立ち入れない、自動車工場の敷地内にある1周5キロのテストコースを使って、リレー形式で走りました。チームのメンバーは高橋さんを含め6人。吉田沙保里さんや陣内貴美子さんなど、アスリートを中心に選ばれましたが、その中で唯一、女優として土屋さんが選ばれたんです」(同・日本テレビ関係者)

身体力の高さと精神力の強さ

 彼女にとってアウェーのような環境にも思えたが、走り始めると軽快に距離を重ねていく。

初日に10キロ、2日目には20キロを走りきりました。特に初日は、長距離を走り終えたばかりなのに、息を切らさず笑顔で“明日も走ります”とコメントしたんです。普通の女性なら10キロも走ったら、しばらくは話すどころじゃないと思うんですが、すごいパワーですよね」(スポーツ紙記者)

 土屋の身体能力の高さ、精神力の強さは以前から話題になっていた。2016年に放送された『オールスター感謝祭』(TBS系)でも、驚異的な走りを見せていたのだ。

「当時、出演する連続ドラマの宣伝として、番組内の名物コーナー『赤坂5丁目ミニマラソン』に参加しました。ほかに出走したのは、リオ五輪・陸上1万メートル金メダリストのモハメド・ファラー選手や、今年の『24時間テレビ』の真裏で独自に100キロマラソンに挑戦した猫ひろしさんなど、現役のトップアスリートやレベルの高い芸能人ランナーばかり。

 その中で、ハンデがあったとはいえ、1周900メートルを4周するコースの3周めまでトップを守る走りを見せたんです。最終的な結果は8位でしたが、苦しそうなのにいっさい手抜きをせずゴール直後に倒れ込むほど全力で走っていました」(テレビ誌ライター)

 懸命に走る姿が称賛されたのはもちろんだが、それだけではない。

完走した直後、酸欠状態でフラつきながらも、向けられたマイクに向かって、“(出演するドラマを)本気で見ていただきたいです”と宣伝。自分に与えられた仕事を見事にやりきる根性には驚きましたね。まさに“命がけの番宣”でした」(同・テレビ誌ライター)

 土屋の何事にも全力で取り組む姿勢はどうやって育まれたのか。インスタグラムには、

《子どもの頃、がむしゃらにスポーツをして、その時に感じたり鍛えたりしたものを心の根っこにして女優の仕事に出会ってからもがむしゃらに生きてきた》

 という投稿もある。どうやら、そのルーツは小学生時代に通っていたスポーツクラブ『バディ陸上クラブ』にあるようだ。

「バディは、“やればできる、という精神を子どものころから意識させる”という方針のもと、都内を中心にスポーツ幼児園や小中学生向けのスポーツクラブなどを運営しています。陸上クラブはその中のひとつ。サッカー日本代表の武藤嘉紀選手も同クラブの卒業生です」(一般紙記者)

恩師が明かす「土屋太鳳の強さ」

バディの創立者で、バディスポーツ幼児園理事長の鈴木威(たけし)さんに話を聞いた。

太鳳は小学校のころ、うちの陸上クラブに通っていました。お姉さんの炎(ほの)伽(か)や弟の神(しん)葉(ば)も、そろって通っていましたよ。日舞やクラシックバレエもやっていて、習い事が多く忙しかったはずですが、陸上の練習には毎回遅れずに来て、いつも楽しそうに走っていましたね

 土屋の活躍ぶりについては、

「バディは、自分の力で辛いこと、苦しいことを乗り越え、いくつもの成功体験を通じて“やればできる”“最後までやり遂げる”という自信を持てる子どもに育てています。ご両親の教育方針が素晴らしかったのはもちろんですが、バディで学んだことが太鳳の頑張りの原点にあると思うとうれしいですね」(鈴木さん)

 あの激走や“命がけの番宣”をやり遂げた根性が、このクラブで鍛えられたことは間違いなさそうだ。運動以外でも“最後までやり遂げる”意識が、土屋に根付いているエピソードも。

「女優業のかたわら、大学での勉強に取り組んでいますよね。ほかの人よりちょっと時間がかかっていますが(笑)。普通なら本業優先で学校を辞めてしまう人も少なくないと思いますが、多忙にもかかわらず、卒業できるように頑張っている。こういうところにもバディでの経験が生きているのかな」(鈴木さん)

鈴木理事長とともに、当時、土屋を指導した岸政智コーチにも話を聞くことができた。

「もともと長距離が得意な子でしたね。長い距離を走らせても楽しそうにしていました。長距離以外にも、走り高跳びをしたり、いろいろな競技に挑戦しましたが、どれも積極的に取り組んでいましたよ」

募金ランでは、コースを走るメンバーにエールを送り続けていた。彼女の仲間を思いやる気持ちは、子どものころから変わっていないようだ。

「東京の八王子にある小宮公園で練習をしていたときのことです。公園内の『ひよどりの道』というコースを走るんですが、当時の武藤選手すら、“あそこでの練習はもう嫌だ”と言うほどの、アップダウンがきつい大変なコースなんです。彼女もその練習に小学5年生くらいのころに参加したことがあるんですが、走り終えたあと、自分より年下の子に“大丈夫?”“頑張ったね”なんて声をかけていたんです。自分も疲れているはずなのに、ほかの子を労って気配りをしている姿を見て感心しました」(岸さん)

 チャリティーマラソンのランナーとして、今度は1人で100キロを走る日も、遠くはなさそうだ。