コロナの影響から新作映画の公開が限られるなか、日本では「宮崎駿監督」の根強い人気が再証明されている。6月には全国374の劇場で『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』が再上映。8月には「金曜ロードSHOW!」で放映された『となりのトロロ』(1988年公開)が16.5%の高視聴率を記録した。
海外からもリスペクトされる宮崎駿監督
宮崎駿監督は、言うまでもなく日本の国宝的存在。その才能は海外でも広く評価されてきている。ハリウッド関係者の中にも、「ミヤザキのファン」と言えば「わかっている」「センスがいい」との印象を与えるため、実際にはどこまで好きなのかさておいても、ファンを公言する人は多い。
とくにハリウッドのアニメ関係者からの信頼は絶大だ。筆者はディズニー、ピクサー、ドリームワークス、ブルースカイなどの監督、アニメーター、ストーリーアーティストを何度も取材してきたが、その中で「クリエーティビティーに行き詰まりを感じると、ミヤザキを見てインスピレーションをもらう」などの発言を、何度も聞いた。
今年前半、まだコロナ脅威が本格化する前に『トロールズ ミュージック★パワー』のウォルト・ドーン監督をインタビューしたときも、「宮崎駿は僕が最も好きなアーティストの1人。『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』などは、何度も見た。わが子にも見せている。僕だけじゃなくて、このスタジオの人たちは、みんなそれらを見ているよ」と言っていた。
宮崎駿の偉大さをアメリカにも伝えたいと、最大の努力をしたのはピクサーに創設時から勤め、『トイ・ストーリー』『カーズ』などの人気アニメ映画を監督したジョン・ラセターだ。
2017年に起きた「#MeToo」で今やすっかり凋落してしまったが、ディズニーがピクサーを買収し、両社のアニメ作品における最高責任者に就いた頃の彼はハリウッドで最もパワフルな人物の1人だった。そんな彼が「天才」「友人」「最も独創性にあふれるアーティスト」と呼び、ことあるごとに持ち出した名前が「ミヤザキ」だったのである。
2003年に北米でリリースされた『千と千尋の神隠し』のDVDで、ラセターは冒頭に登場し、「みなさんはラッキーです」という言葉で映画の紹介を始めている。続けて、彼は「これは今までに彼(宮崎駿)が作った中でも最高作だと思います」と述べた。
ラセターはまた、2014年に宮崎駿監督がアメリカ映画芸術科学アカデミーから黒澤明以来の名誉賞を受けた授賞式でも舞台に立ち、およそ6分にわたってその功績を称えている。
そのスピーチでラセターは、宮崎氏の作品を初めて見たのは『ルパン三世 カリオストロの城』で1981年のことだったと明かした。当時、ラセターは大学を卒業し、ディズニーで働いていたのだが、「その頃は、ディズニーですら、アニメは子どもだけに向けたものと認識するようになっており、失望していた」と振り返っている。そんな折にこの作品を見て、大きな希望を得たというのだ。
「あの映画は、冒険、ハート、ユーモアに満ちていました。さらに、人間の行動のディテール描写がすばらしいのです。あまりに好きだったので、前の日に出会ったばかりだった妻にも見せました」と、ラセターは語る。
彼はまた、そのスピーチの中で「(宮崎駿監督の映画は)感情が豊かで、技術的にも非常に優れており、観客を目覚めさせます。それは、自然の美しさかもしれないし、自分の才能を他人のために生かそうということかもしれません」「映画というものが世の中に存在するかぎり、人は彼の作品を愛し、鑑賞し続けることでしょう」とも述べた。
アカデミーからも絶大の信頼を集める
ところで、アカデミーといえば、当然のことながら宮崎監督は何度も会員に招待されているにもかかわらず、その都度断っている。大きな栄誉には飛びつくのが普通なのだろうが、彼には彼なりの価値観と信条があるということだ。
それなのにアカデミーが名誉賞を与えたというのも、アカデミーが彼に寄せる愛と敬意の大きさの証拠だ。宮崎監督もこの栄誉は素直に受け入れ、授賞式にも出席している。
だが、アメリカの一般人にとって、ミヤザキはディズニーやピクサーに並ぶ身近な名前とは言いがたい。アニメに限らず、アメリカ人は「アメリカの映画」が好きだ。他国の作品にあまり目を向けないことが、おそらくそのいちばんの理由だろう。実際、ヨーロッパではミヤザキはもっと広く一般人に認識され、子どものファンも多いようである。
アメリカ人にとっての「アニメ=CG」
さらにピクサーがCGアニメを作り始めてからというもの、アメリカの子どもたちにとって「アニメといえばCG」が常識になってしまったことも大きい。
アンジェリーナ・ジョリーが製作総指揮を務めた2Dアニメ『ブレッドウィナー』(Netflixの邦題は『生きのびるために』)で主人公の声を務めたサーラ・チャウドリーはカナダ人なのだが、彼女も「それまでほとんど2Dアニメを見たことがなかった」と、筆者とのインタビューで語っていた。
「この仕事のおかげで2Dも悪くないと思うようになった」そうだが、彼女のような機会のない普通の子どもの場合は、2Dアニメの傑作の多くを見逃してしまうということである。
それは興行収入にも顕著に表れている。長編アニメ部門でアカデミー賞を受賞した『千と千尋の神隠し』は、宮崎監督の作品で最も北米興収が高い映画だが、それでもたった1000万ドルしか稼げていない。
北米は世界最大の映画市場であるにもかかわらず、全世界興収のたった3.7%しか貢献していないのだ。比較のために挙げると、『千と千尋の神隠し』と北米での公開年を同じくする2003年の『ファインディング・ニモ』の北米興収は3億8000万ドル。不幸にもコロナ脅威のタイミングに当たってしまい、普段並みの成績を上げられなかったピクサーの『2分の1の魔法』ですら、6100万ドルを稼いでいる。
もちろんお金のかかり方や、たった26館という公開規模を考えれば『千と千尋の神隠し』は成功なのだが、つまり、日本のように「みんなが見た映画」とは言えないのである。
しかし、希望がないわけではない。配信サービスが充実してきたうえ、コロナで家にこもらざるをえない状況下では普段と違うものを見ようと、宮崎駿監督作品と「偶然の出会い」をする人が出てくることは十分ありえるからだ。
折しも、HBO Maxは今年5月に大々的なデビューをするにあたり、ジブリ作品21本の配信権を獲得している。契約発表時、同社のコンテンツオフィサーのケビン・ライリーは「ジブリが送り出すすばらしい映画は、世界中の人々を感動させてきました。HBO Maxが、それらの映画をもっと身近にできることを、光栄に思います」と語った。
配信こそ未来と言われるこの時代、宮崎監督の映画は、次の世代のアメリカ人に、どのように受け入れられていくのだろうか。
猿渡 由紀(さるわたり ゆき)L.A.在住映画ジャーナリスト
神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒業。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場リポート記事、ハリウッド事情のコラムを、『シュプール』『ハーパース バザー日本版』『バイラ』『週刊SPA!』『Movie ぴあ』『キネマ旬報』のほか、雑誌や新聞、Yahoo、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。