すべてを脱ぎ捨て、世間の荒波と戦う全裸俳優・原田龍二。自らの過ちと対峙して前に進む彼の目には、今も静かな闘志が宿る。
そして今回、原田と拳で語り合うのは昨年、真打に昇進した落語家・瀧川鯉斗。かつて名古屋の暴走族総長として名を馳せた彼が、落語家を志したきっかけに迫る─。
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暴力に頼った時代「常に命の危険があった」
原田 今日は楽しみにしてました! 鯉斗さんの過去は、そのへんの中途半端なヤンチャ者とはレベルが違うと聞きまして。
瀧川 たしかに昔は“超”ヤンキーって呼ばれてましたね(笑)。僕も原田さんとの対談を楽しみにしていました。
原田 表のテーマは反省ですが、濃厚な人生を生きている方に人生観を聞くという裏テーマもあるんですよ。ちなみに、反省という言葉からは何を連想しますか?
瀧川 やっぱり、10代のころにおイタをしていたことを思い出しますね。今は落語家として言葉の表現を知りましたが、当時は暴力で人を傷つけて怒りを表現していたのは、本当に申し訳ないです。
原田 とはいえ、自分自身も痛い目に遭ったでしょう?
瀧川 遭いました! 暴走族時代に100対100の抗争が起きて、最終的に総長同士でタイマンを張ったんですよ。そのときに、頭を12針縫う大ケガをしました。
原田 12針!
瀧川 相手が金属バットを持っていたので、それでやられちゃいましたね。
原田 鯉斗さんはなにか武器を持っていたんですか?
瀧川 いえ、素手でした。僕が持っていたのは財布だけです(笑)。
原田 卑怯な相手だ! でも、そのとき死んでいてもおかしくなかったですね。
瀧川 はい、命は大事です。あのころは、バイクで暴走行為もしていたので、常に命の危険がありましたね。
原田 当時を知っている仲間たちは、今の鯉斗さんを見て驚いてるんじゃないですか?
瀧川 驚いてます! 瀧川鯉昇師匠に弟子入りしてすぐのころ地元に帰ったときに「総長、今何してるんスか?」と聞かれて、ICレコーダーに録音した師匠の落語を聞かせたんですよ。みんな真剣に最後の“下げ”まで聞いてひと言「総長、俺には無理です!」と言われました(笑)。
原田 アハハ! 総長の背中を追うつもりだったのかな。
瀧川 落語家を目指す後輩はいませんでしたが、僕の周りのヤンチャなやつらも落語を聞くようになりました。
原田 鯉斗さんが落語に触れるきっかけになったんですね。
更生した2人、共通点は“母への思い”
瀧川 そうですね。実は僕、三遊亭小遊三師匠にもすごくかわいがっていただいていて、前座のころはカバン持ちをしていたんです。僕の地元の名古屋公演にも連れていってくれて、高座にも上げてくれました。昔の仲間が、僕の晴れ舞台を見にきてくれたんです。ときには、信号無視で警察に捕まりながら駆けつけてくれました。
ただ、小遊三師匠は「鯉斗がいるから、女性の黄色い声援が上がると思ったのに、どす黒い声援が聞こえてきた」と残念がってましたね(笑)。
原田 熱いですね!
瀧川 いまだに熱いやつらです。僕らはヤンチャはするけど、縦社会なので上を敬うんですよ。僕が落語家になって下っ端として「座布団返し」や「太鼓」をやってるのを見て、シンパシーを感じてくれたのかもしれないですね。
原田 やっぱり気になるのが、アウトローな世界にいた鯉斗さんと落語の出会いですよ。落語家になったきっかけを教えてください。
瀧川 まず、18歳のときに総長を引退したんです。ふと「このままだと母親を悲しませるだけだ」と感じて、すぐに引退を決意しました。
原田 すごくわかる! 実は僕も、昔はただの不良だったんですよ。
瀧川 そうだったんですか!
原田 それこそケンカもしたし、いろんなことをやらかしていたので、母には心配かけ通しでした。でも、20歳前後で事務所にスカウトされて、いいきっかけだと思って仕事を始めました。
瀧川 おお……! 原田さんと僕が同世代だったら、仲間になって一緒にケンカをしてたと思います!
原田 もちろんだよ!(笑)僕自身は、芸能界にまったく興味がなかったから、はじまりはただ親を安心させるためでしたね。それが今でも続いているから、運命だったのかもしれないです。総長引退後はまず何をしたんですか?
瀧川 すぐに上京して、バイト情報誌に載っていたレストランでコックのバイトを始めました。そのころ、僕は役者を目指していたんですよ。しかも、たまたまバイト先のレストランのオーナーが元ミュージシャンで、芸能の仕事に理解がある人で、いろいろと協力してもらいました。
原田 すごい偶然ですね!
瀧川 そうなんです。そのお店では、年に2回、鯉昇師匠が独演会を開いていて、「役者になりたいなら、落語は見ておけ」とオーナーに言われて、初めて落語を見ました。それまでは落語のらの字も知らなかったです。
そのとき、師匠が高座にかけていたのは人情噺の「芝浜」。そのあまりの素晴らしさに感動して、打ち上げで弟子入りを志願したんです。
原田 その日のうちに志願したんですか! 師匠もびっくりされたでしょう。
瀧川 びっくりしてましたね。でも、師匠は突っぱねるでもなく「落語家の仕事場は寄席だから、まずは寄席に行って落語を見てきなさい」と言ってくれて新宿末廣亭に通いました。何度も寄席に行って瀧川鯉昇師匠に弟子入りしたい、とお願いに行ったら「明日から来い」と。師匠に扉を開けてもらいましたね。
“総長”としての自分に足りなかったもの
原田 いろんな師匠の落語を見ても、瀧川鯉昇師匠以外に考えられなかった?
瀧川 考えられなかったですね。初めて師匠の落語を聞いたとき、落語を愛して、大事にしている気持ちが伝わってきたんです。そして何より、18歳の若造をひとりの人間として扱ってくれたのは、今も心に残っています。
原田 芸の素晴らしさと、人間性に惚れたんですね。
瀧川 そうですね。だって、僕がヤンキーだったころは大人はみんなまともに話を聞いてくれませんでしたからね。でも、師匠はしっかり向き合ってくれて、本当にうれしかった。東京のお父さんです。
原田 ちなみに、師匠ははみ出した経験は?
瀧川 師匠は不良ではないですね。ただ……酒絡みでは、よくはみ出してます(笑)。
原田 なるほど(笑)。でも、分け隔てなく人に接するのは難しいですよね。器の大きさを感じます。
瀧川 うちの師匠は、僕の個性を尊重してくれるんです。僕が真打になるときに、師匠は「弟子には全員、個性がある。僕は個性を大切にして育てるから、お前に合った落語の表現を教えてきたんだよ」と師匠が話してくれました。
僕は昔、信頼と思いやりを持って仲間とつるんではいましたが、“人を育てる”ことはできていなかったな、と師匠の言葉で思い知らされましたね。人としてすごいです。
原田 鯉斗さん自身も、いろんな修羅場をくぐり抜けてきたから、人を見る目は厳しいと思います。運命の出会いだったんですね。
瀧川 本当に僕みたいなやつが弟子になったら大変ですよ。違う師匠に弟子入りしていたら前座でやめて故郷に帰っていたと思います。「待ってたぞ!」と言わんばかりに、友達から僕の名前が書かれたヘルメットを渡される、そんな未来が見えます(笑)。
原田 そうだよね(笑)。人との出会いは人生を左右しますよ。個性を大切にして、これからも輝いてください!
瀧川 ありがとうございます!
【本日の、反省】暴走族の元総長、という強烈な個性を持っている落語家は、これからの時代、特に貴重ですよね。いろいろな経験をしているので、落語にも説得力があるだろうし、バックボーンを知っているほうが彼の高座を楽しめる気がします。一方で、師匠に出会っていなければ命を落としていたかもしれない世界にいたのはたしかです。瀧川鯉昇師匠と鯉斗さんは、出会うべくして出会ったふたりなのかも。今度、彼の落語を聞いてみたいです!
《取材・文/大貫未来(清談社)》